
後漢第5代皇帝。
後漢の第4代皇帝和帝は多くの皇子をもうけたが、いずれも夭折していた。
宦官、外戚による謀殺の疑惑を抱いた和帝は、皇子を民間で養育することとした。
105年12月、和帝が崩御した際、長子の劉勝は病気を理由に即位が見送られ、劉隆が宮廷に迎えられて皇帝に即位した。
劉勝は殤帝即位と共に平原王に立てられた。
即位した殤帝は生後100日余りであり、朝政は外戚の鄧氏により掌握された。
106年8月、病気により崩御し、早死を意味する「殤」を諡号に贈られた。
中国の歴代皇帝最年少の皇帝である。