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超三国志 人物伝

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安帝(あんてい)は、後漢の第6代皇帝。第3代皇帝章帝の孫。父は清河孝王 劉慶。母は左姫。

父は讒言により廃されて清河王に落とされていた。

幼いときから学問を好み、和帝にも可愛がられていた。

和帝の没後、殤帝が迎えられ、和帝皇后の鄧氏が臨朝しその兄の鄧隲(とうしつ)と共に朝政を運営していたが、109年、殤帝がわずか2歳にして死去すると、13歳の安帝が擁立された。

107年2月には清河国が分割される一方、9月には鄧氏の母の陰氏に新野君が与えられ、西域都護が廃止された。

成人後の安帝は外戚の鄧氏に反発するようになる。

閻氏を立后するが、安帝との子をもうけた他の后妃を殺害するなどを行っていた。

3月、長く臨朝して政治の実権を握っていた鄧氏が死去すると、鄧隲や鄧遵ら、鄧一族を粛清し、また、平原王の劉長を罪に問い侯に降格させた。

124年2月、太尉の楊震が罷免され、石為が後任となった。

125年安帝は3月に客死した。32歳であった。

従兄弟の北郷侯・劉懿(章帝の孫で済北王劉壽の子)が擁立され、閻皇后が皇太后として臨朝し、兄の閻顯が車騎將軍としてそれを助けた。

摂政をしていた鄧兄妹は他の外戚に比べて良質であり、鄧氏は節約に励んで懸命に政治に当たったという。鄧氏の粛清の後は、宦官と閻氏一門が専権を振るった。

安帝の時代には西域は匈奴の手に落ち、後漢の衰退が明らかになってきた。