
後漢第3代皇帝。明帝の第5子。
60年に3歳で皇太子に立てられ、75年に父の明帝が崩御すると、19歳で即位した。
義理の母である馬皇后(光武帝の有力部将馬援の娘)が皇太后に立てられて後見した。
馬皇太后は、実家の馬氏一族が高位に取り立てられることを拒んだので、章帝の時代には、後漢王朝の宿弊となった外戚の専権が表に現れることはなかった。
生母の賈貴人は、明帝の正妻である馬皇后と従姉妹同士で仲が良かったといわれる。
父の明帝が法治政治を行ったのに対し、章帝は幼少の頃から儒学を好み、徳治政治を敷いた。
魏文帝は明帝を“察察”、章帝を“長者”と評し、史書でも仁治を強調されたが、近親に対する恩愛は竇氏の驕横を惹起した。