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超三国志 人物伝

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劉肇 和帝(92-105)妃。80頃-121年頃。41歳没。

和帝没後から死去するまで漢帝国の実権を握った。

中国史上よく見られる外戚一族の専 に統治の混乱という禍には陥らず、自身の権力維持には腐心したが、儒教官僚を用いて内憂外患の時代に対策に専心した。

皇太后の息子の殤帝は8ヶ月程度で死去し、殤帝にとっては従兄弟となる13歳の安帝(105-125を帝位につけ兄の鄧隲とともに実権を握った。

鄧一門の政治姿勢は節倹、賢才推進とされる。

この背景としては、107-118年、10年近く続いた羌族の叛乱があり、軍事支出が政府財政を破綻させた点、更に2世紀は気候の寒冷化とあいまって天災が多発し、その為貧民救済措置としての支出や減税費用が莫大なものになったことが挙げられる。

この時期西域放棄策も何度か議論された。鄧太后死去後鄧隲は自殺に追い込まれ、一族の殆どが政権から追われた。