二本松神社の御朱印 | かまのん紀行

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本松神社の創建は平安時代末期の久安年間(1142~1151年)頃周辺の領主だった安達盛長が熊野大神(紀州熊野:和歌山県)を勧請したのが始まりとされます。当初は安達氏の本拠があった塩沢田地ヶ岡の地に遷座していましたがその後に領した畠山満泰が室町時代中期頃(15世紀中頃)に二本松城を築くと城内(白旗ヶ峯)に遷座し氏神だった八幡神社(宇佐八幡宮から八幡神を勧請)と合祀し、城の鎮守社として崇敬されました。

 

 

 

 

寛永20年(1643)に丹羽光重二本松藩(藩庁:二本松城)の藩主になると丹羽氏の崇敬社として白旗ヶ峯から現在地(清地)に移され扶持米80石、社領25石(後に50石)を安堵され領内総鎮守として領民からも崇敬されました。

近世以前は八幡宮と熊野宮の2社が並存し「御両社」などと呼ばれていましたが明治5年(1872)に社号を「二本松神社」に改称し大正3年(1914)に県社に列しました。

 

 

 

 

 

 

現在の二本松神社本殿は江戸時代後期の寛政6年(1794)の火災で焼失後の文化3年(1806)に再建されたもので一間社流造、銅板葺、外壁は真壁造り板張り。拝殿も本殿と同時期に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺、正面千鳥破風、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。随神門は文化4年(1807)に再建されたもので、切妻、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門。神門は平唐門、銅瓦棒葺き、一間一戸。二本松神社本殿、拝殿、随身門は現在残る数少ない二本松藩が造営した建築物として大変貴重な遺構とされます。