備中松山藩、板倉家の菩提寺『案正寺』 | かまのん紀行

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2022.12.26.

 

 

 

備中松山城の城主で、備中松山藩最後に藩主となったのが板倉家でした。
安正寺は、延享元(1744)年3月、7代勝澄公が藩主となった時、現在地に御霊堂を建立し、板倉家歴代の御位牌を祀り御仏殿としました。
京都所司代に任じられた初代勝重、二代重宗を始め、最期の老中板倉勝静までの霊を祀っています。

戊辰戦争の際には朝敵の立場をとなった備中松山藩と、朝廷側についた岡山藩との交渉が安正寺にて行われました。

戊辰戦争の時、備中松山藩は1869年に降伏、藩主の板倉勝静は禁固刑に処されました。
山田方谷や熊田恰の働きで、藩は2万石に厳封されたものの、板倉勝弼の相続が認められました。

 

 

 

 

 

 

 

 

板倉家歴代のお墓と縁者の墓