先月、近くまで行ってたので発売されてた『山崎城の御城印』を買いに宝積寺へ
現在、山崎城跡で見れる遺構は僅かですが、赤色立体地図で見ると、主郭以外にも沢山の曲輪が在った事が分かります
こちらは、『宝積寺』 羽柴秀吉が、明智光秀と山崎の戦いの時、本陣を置いていた場所
秀吉が一夜で建立したと伝わる三重塔。勿論!そんな訳ないです
天王山への登城口
山崎城は「応仁の乱」の前から築かれていた城で、京都を防備するに細川晴元らが城主を務めています。羽柴秀吉と明智光秀が織田信長の後継者を争った、いわゆる「山崎の戦い」では羽柴軍が山崎城に陣取ったため優勢となり、光秀は逃亡、討死する結果となりました。
秀吉はその後、清州会議で長浜城を手放すこととなったため、大坂城を築城するまでの間、姫路城よりも京に近いこの城を本拠地としています。交通の要所であったため、軍事、経済の両面において重要な城でした。
山崎の戦いで、明智光秀が本陣を置いたと伝わる「境野一号墳」
ただ!最近では、勝竜寺城に近い『恵解山古墳』が、本陣だった方が有力らしい
(恵解山古墳)