2020.8.4.
約10年ぶりの伊予松山城へ 愛媛県に来ること自体が、10年ぶりだな~
自分が、城巡りを始めた初期の頃に訪れた城で今回で、4度目の登城です もちろん!ブログを始めるずっと前の事なので、載せたかったのだ やっと、スケジュールが立ち向かいました
(加藤嘉明公の騎馬像)
今回は、三の丸にも行くので登城はロープウェイで上り、下城は徒歩で行きます
先ずは、番所跡を抜けます
(揚木戸門跡)
そして(大手門跡)を横目に 上ります 登城道の一つ『黒門登城道』で、二の丸の黒門から大手門に繋がっています
そして、大手門横から中央に見えるのが太鼓櫓その下には、中ノ門がありました
(太鼓櫓)
ここをぐるっとUターン すると戸無門があります
(戸無門)
戸無門を抜けると(筒井門続櫓)(隠門続櫓)が、待ち構えています
ここのメインが(筒井門)です 敵が、この門を攻めて来た時、横の隠門から打って出るって戦法
(隠門)
隠門を内から見たとこ
それから直ぐに、(太鼓門)と(巽櫓)が待ち構えています
(巽櫓)
先ずは、最初の大手門や揚木戸門から太鼓門までの連続した鉄壁の防御が凄いね
そして、本丸へ 山頂部が本丸で、天守が在る所が少し高く本壇となります
松山城の好きなアングルがココ
こうやって見ると、改めて松山城も凄い石垣なのが分かるね~
そして、本壇へ
(筋鉄門) 中央上に見えるのが(小天守)
右から(内門)(玄関多門櫓)(十間廊下)
左から(小天守)(多門櫓(南隅櫓)(十間廊下)と続きます
(天守)
松山城の創設者は加藤嘉明です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手し、翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされました。その後も工事は継続され、四半世紀の後にようやく完成します。
当時の天守は五重で偉観を誇ります。しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)に会津へ転封されることになりました
そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成しましたが寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶します。
その後寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。
なお天守は寛永19年(1642)に三重に改築されましたが、天明4年(1784)元旦に落雷で焼失したので、文政3年(1820)から再建工事に着手し、35年の歳月を経て安政元年(1854)に復興しました。これが現在の天守です。
天守から見た景色
奥に見えるのが、乾櫓 今回は、乾櫓の方はスルーです
そして、本丸を出て三の丸へ向かいます 下りは、「県庁裏登城道」を行きます たぶん!車両を通す為につくられた道ですねなので、当時は無かった道だと思います
そしてコレを下りる理由は、松山城の見所の『登り石垣』があるからなのです
ロープウェイで来た殆どの人は、またロープウェイで帰るので!コレを見ずに終わってしまいます
ただの観光客なら良いのですが、城好きの人がコレを見ずに帰るのは勿体ない事です
しばらく車道を下ると!登り石垣が見えてきます 全国でも珍しい登り石垣ですが、ココのは規模が大きい
水軍の将であった加藤嘉明は、朝鮮出兵で倭城(安骨浦城)を拠点としており、その経験から松山城築城に際しても、「登り石垣」をふもとの二之丸と標高132mの本丸間の防備として用いたものと考えられています。
松山城の「登り石垣」は、南側の部分はほぼ完璧な形で残っていますが、残念ながら北側は一部分しか残っていません。古図には完全な形で描かれていることから、幕末以降に何らかの理由で、取り壊わされたものと思われます。
(二の丸巽櫓跡)
石垣好きには、たまらないかもね~ 石垣の下は、犬走りみたいになっているので、当時は、石垣沿いに通れたのかも
それから、下って来て二の丸へ 今回は、時間の都合で二の丸はスルーします
「二の丸庭園は別料金」
ここの高石垣も見所 ここからのが、黒門登城道です この先も櫓跡や門跡があります
二の丸に在る(槻門跡)と黒門と立て続けに続いてるのですが! W桝形虎口になっていて、ヤバイです
(黒門跡)
そして、三の丸に到着 ここから見た二の丸から山頂の天守や櫓が素晴らしい
登り石垣も、ちょろっと見えるが木々が邪魔だねえ 十数年前に見た時は、もう少し見えてたと思うけど この辺は、整備してほしいかな~
それと松山城には、水堀も有るので忘れずに~
(東御門櫓台)