姫路の古刹 増位山『随願寺』と、可愛い御朱印。 | かまのん紀行

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この度、ヤフブロの閉鎖の為… こちらに移行して来ました✋

日常の事や、旅行での事、寺社巡りや史跡巡りなど行った所を日記形式で載せます♪

 

今回、雨の降る中!雨 姫路の増位山に在る古いお寺へ行って来ましたほっこり

 

増位山随願寺は、聖徳太子の命により高麗僧・恵便が開山し、のちに行基が中興したもので、播磨六山の一つとして、姫路市内では最古の寺と伝えられており書写山円教示と並び称される名刹です。

 

御本尊は、薬師如来お願い

随願寺の寺伝のよれば、はじめは法相宗であったが834年(承和元年)に天台宗となり、古今を通じて皇族、貴族、武士の信仰を集めていました。 平安時代には諸堂が整備され、山上には36坊もある大寺院でした。

 

『時は戦国時代ビックリマーク織田信長の播磨攻め。羽柴勢が攻めた三木合戦の時。1573年(天正元年)別所長治に攻められ全山を焼失しました。何故、別所軍がココを攻めたのかと言うと、合戦が始まった当時、姫路城の城主をしていたのが、黒田官兵衛の居る黒田家でしたパー 当時の城主は、父の黒田職隆でした。 この時、随願寺の近くの有明の峰に支城か、砦が在ったので一緒に攻められた!? って感じですにやり この時、職隆の弟 高友 (休夢)が守備していた伝わっていますパー この高友(休夢)は、随願寺の僧になっていて普段は地蔵院にて暮らしていたそうです。しかし、戦となると黒田家の主力として戦ったそうです。』 

大河ドラマ《軍師官兵衛》の時も、官兵衛の叔父 休夢として登場し職隆(柴田恭兵)の側に居ましたねほっこり

 

随願寺は、その後1585年(天正13年)に羽柴秀吉によって再興されました。

また、江戸時代になり姫路城城主・榊原忠次が随願寺を菩提寺とし、再建、整備に努めました。

 

 

(経堂)

 

 

 

 

 

(本堂)

今回訪れたのは、この本堂内の天井画を見る為でしたがキラキラ・・・・扉が閉まってて入れずぐすん

 

ん~うーん 入りたかったけど、流石に本堂なので「入れて」と頼むのも、おこがましいので!またの機会にしようにやり

 

 

 

(鐘楼)

 

(毘沙門堂)

 

(奥の院 開山堂)

 

 

 

 

(榊原忠次の墓所)

『こちらは、別記事に書き直します。』

 

 

コチラは何だったのか?うーん確認せずでした汗

 

それから、御朱印を頂きに向かいましたにやり

御朱印は、3種類パー 今回は2種類だけ頂きましたにやり また本堂の天井画を見に来たいので、残りはその時にほっこり そして頂いた御朱印は、御本尊の薬師如来パー 字体が、薬師如来の体になっていて可愛い照れ音譜御朱印の説明もして頂きましたほっこり 左手には薬壺を持っているキラキラ こういうのを、直筆で頂けるのは嬉しいね~ニコニコ

 

住職さんは、気さくな方で御朱印を書く間お茶お茶を出してくれましたほっこり また、いろいろ世間話をしたりしましたにやり 一つボヤいてたのが、《軍師官兵衛》の時、NHKが取材に来たのですが、黒田家と縁があり、休夢の居た所なのに!全然紹介してくれなかったと言ってました(笑) 確かに!番組が終わった後、縁の地など紹介しているが随願寺は出なかったかもうーん 

 

『なので、ここで宣伝しときますウシシ(笑)』