2024.6.4.
天正7年の明智光秀による丹波攻めに遭い、滅ぼされたと考えられる小畑城跡へ
登城口に、車2台ほど置けます🅿
この地域を治めたのが波々伯部氏です
波々伯部氏は、もと多紀郡(現在の丹波篠山市) 東部に興った豪族で、室町時代の初め頃口丹波に勢力を伸ばし、その後16世紀の初め頃に小畑の地にも進出したと考えられています。
小畑城を中心に小西城、六反城を配して守りを固め、福知山猪崎城の塩見氏などとも姻戚関係を結んでいたと言われています
近年、地元の方により、綺麗に整備され登城しやすい
切岸
曲輪跡。小さな山城なので、数十分で行って来れます
小畑城跡は、戦国時代末期に築かれたと伝えられている山城跡です。北西から南東方向に伸び る尾根の先端部の丘陵上にあり、山裾の平地からは約40 mの高さがあります。
丘陵の頂上部分(主郭)は、長さ約 50m、幅約20mの平坦部を造り、北東辺には高さ 約1.5mの土塁を配置しています。土塁の先は、堀切を 配し、更に土塁状の高まりと深い堀切が続いています。
主郭南東側の尾根には大小の平坦面が設けられ、南東側からのつづら折れの道が大手であったと思われます。
近くの城と連携して防衛していたそうな
土塁跡。
土塁の奥は堀切がある この小さな城にしては、大きな堀切です
その向こうには、小さな曲輪がある様ですが、ここで撤退しました
堀切を渡った所から
麓に在るお寺さん。