著者がもっていたとされる過去世の記憶をもとに書かれた物語ということになっています。
期待して読んだ人は「何これ」という感想を持つ人が多いです。
過去世で実際に見聞した言葉も含まれるのかもしれませんが、基本はキリスト教のなかで伝わる考え方をもとに書かれています。実際のイエスの言葉というより、宗教としての伝統的なキリスト教の視点でのフィルターがかけられています。

伝統的キリスト教のなかで伝わる東方の三博士のものがたりをそのまま鵜呑みにしていて、史実として書いているのが興味深いです。また後世、キリスト教のなかでおこったマリア信仰につながる考え方などがかかれています。

つまりはキリスト教のなかで伝わる伝承や信じられてきたことをもとに構成されているので、アカシックレコードのような、普遍的な記録を読み取ったわけではありません。結局は、伝統的なキリスト教の範囲内に合わされて書かれてるということです。
著者の個人的な視点によるイエス像をかたっているのであって、客観的な視点でみて、知られていない出来事を記録するということはないです。


イエスに関して、個人的にどんなことに思っていても、それは自由ですから、本にしてもいいでしょうが、歴史的事実とは無関係であると考えていいでしょう。後世の作り話、ものがたりから再構成されたものと考えていいでしょう。今に伝わるキリスト教をベースにしているものがたりですので、イエスの言行録というわけではないです。
考古学的に検証されている事実と合致しないと他のレビュアーも指摘しているところです。

聖書の登場人物とイエスとの血縁関係を重視して家系図まで掲載するところは著者の個人的な血縁関係を重視する今生での生き方とつながっています。著者の関係者のギリシャ人教師はこの家系図を事細かに解説していました。著者の前生とイエスとのつながりを家系図を用いて繰り返し強調していました。こういったところもかなり個人的な色彩が強いです。

以上のような、問題点が含まれているところからすると、この著者が関与する出版物には、もともとの純粋なエソテリックティーチングというよりは、かなりの夾雑物がまじっていると考えられます。