「美味礼賛」 海老沢泰久著の書評です。別のところに投稿したものを載せます。

投稿したところの性質上、表現を抑えている文章ですが、この文章で本当に言いたかったところは、真正のオカルティストは感性の問題を重視し、特に教育にかかわるオカルティストは感性教育を力を入れているということです。マジカルな場面で、倍音が聞こえたり、ありえない音声、映像として認識されるということはその延長上にあることです。

 

 

書評:美味礼賛 海老沢泰久著

 

辻静雄氏が料理の世界を追求するうちに、人の縁がつながり、ネットワークとなり、縁により運が開けていく話はとても興味深いです。開運する人の典型的なストーリーです。

描かれるフランス料理や日本料理の様子はとても興味を惹かれるものがあります。

 

今回は、人の縁による活動の広がりについてよりも、料理そのものに焦点を当てて考えてみました。

 

物を食べるのに料理をする生き物は人間だけです。

ミツバチが花の蜜を加工して蜂蜜にするとか、食物を保存して、自然に起きる変化を待ってから食べる生物がいます。しかし、これはその生物が、長年月にわたって取得した自動的行動なので、料理と異なります。そういうことで料理は人間だけがおこなう行為といっていいと思います。

 

視覚、聴覚、味覚、臭覚といった外的な刺激を受け取る機能は、第一に生存のためにあるのは、あきらかです。

しかし、人間に限っては、五官は人間の内面に形成される存在、精神作用に強く結びついています。言葉、言語は聴覚がなければ成立しないし、人間的文化は言葉で伝えられる部分が大きいです。さらに聴覚に関しては、人間は音楽を作り出して、それを楽しみます。

視覚は、何か意味のある記号を作り出して、文字となり、絵画、彫刻などの表現を生み出しています。嗅覚は香道のようなものがどの文明でもあります。また料理を楽しむときの重要な要素です。味覚は今回のテーマである料理があります。

 

感覚器官で感受することで、その刺激から、精神の内面にあるものを作り上げて、育てていく。そういったところが人間にはあります。特に味覚にかかわるものが料理ということです。

 

料理の本質は食欲を満たす以上に、人と食べる喜びを共有することにあるとおもいます。

この本の最初にあるワイン知識を自慢したい人が参加したディナーパーティのエピソードは、それが裏返った例になっています。本来、食事は集う人が楽しめるようにするものです。

料理の本質は、食べる人がより食べやすく、楽しめるように手を加えるという行為です。

 

味覚は教育によって磨かれていきます。生まれつきではないところが注目すべきところと思います。

 

この本の中では、辻静雄氏はフランスを訪れた最初のころは、ワインの味がまだわからなかったのですが、20年後にはワインの味は時間で変化が起きていることを自分で気が付くようになっていることからわかります。

同様のことは、ワイン以外にも、お茶の味やみそ汁の味を味わえるかどうかということも関係しているように感じます。

以前、イギリス人と日本人を含んだグループで、食事を自炊して一週間ぐらい合宿形式の勉強会をしていたときに体験したことですが、和食にとても理解のあるイギリス人でしたが、そのとき、出してはいけない料理があって、それは生魚とみそ汁でした。さらに緑茶もだめで、いつもコーヒーだったことを思い出しました。

食べなれていないと、別の文化の特徴的な食物の味わいは理解できないものだとおもいます。

 

味覚と文化は結びつきがあります。文化によって、味覚の色合いが異なります。それぞれの民族の感性の総体と食材のちがい、風土の違いによって、その民族の料理の文化ができるのかもしれません。

 

国の文化による味覚の違いのうえに、さらに感性はひとそれぞれです。感受性と感性はことなります。人間の内面で、育つ精神性、それのあらわれが「感性」という言葉で、くくれるのではないかと思います。感性は適切な刺激となる教育が必要です。自分の内面から育つもので外部から付け加えられないものですが、教育によって伸びていくものです。

味覚の確かさと感性には結びつきがあります。

 

あまり食事の楽しみを重視しない社会があります。それは軍隊です。

日本での戦前の軍隊での生活ではあえて食事を味わうことをさせていないです。用意する手間と時間の問題もありますが、手の込んだ味わう料理ではなくて、簡単なもので、食事時間も極めて短いです。

感性豊かでは、戦闘的な行為に不向きです。機関銃を向けている先を思いやる心を持つ人ではなくて、機械的動作で、兵器を扱うようでなければ、戦闘行為にならないので、必要な栄養成分だけ摂取する献立と短時間の食事時間だけあたえられていたようです。

 

感性の発達には、五感でとらえた情報をさらに高次のものに内面からとらえて味わうという行為がベースにあります。甘味だけでなく、苦味も酸味も味わうということです。

そういった内面に育まれた感性は、人間の精神性と強く結びついています。多くの味わいをすることで、感性の幅が広がるということになります。

 

料理の完成形は先人が作り上げた味を知らなければ、そこにたどりつけないもののようです。本書の175ページにチェンバレンのことばとして、出てきます。

さらにその先に進むには、創造する精神が必要で、その時に高度に発達した感性が生きてくるのだと思います。

日常的に出会う料理、文学、音楽など、内面を高めるものを大切にしていきたいです。