カウンセリングに通ってる。
初回、1回目、2回目と3回行った。
毎回、学ぶことはある。
なるほどって思う。
死にたい、気持ちが落ち着く、死にたい、気持ちが落ち着くのエンドレスサークルから抜け出せるんじゃないかという希望が持てる。
・・・だけど。
カウンセラーさんが言うように、今まで感情に蓋をしてきたんだと思う。
時には意識的に、時には無意識に。
高校生の時、「感情を平たんにすると、怒りも悲しみもなくて良いことだ」って気づいて、
なるべく平たんにすることを意識した。
狙い通り、多少気持ちが鈍化した。
マイナスの感情が鈍化すると共に、プラスの感情も鈍化したと気づいたのは大学生になってから。
大学で付き合っていた部活の先輩と過ごすことで、感情を取り戻した。
「楽しい」って感じたり、「うれしい」と感じたり、あの頃はプラスの感情が豊かだった気がする。
その先輩を振ってから、風俗で働いて、また感情に蓋をするようになった。
感情をまっすぐまともに感じていたら風俗で働けなかった。
嫌な人だっている、自分が風俗で働ける感覚を持っていることに対する後ろめたさ、
一般的な人と感覚が違うという罪悪感・・・etc
社会人になってからは、無意識が多かったのかもしれない。
負の感情が芽生えそうだと感じた瞬間、気持ちをフッとそらすとか。
そういうのが蓄積されてある日突然、キャパオーバーで気持ちがパニックになったりして、
きっと死にたくなる・・・。
で、意識的に感情に向き合うようにしている現状。
思いのほか、苦しい。
楽しいってどんな感情?安心って?
感情なんて、みたくない。負の感情だったら尚更。
負の感情を意識的に感じること自体が、目を背けたい現実。
カウンセリングに行き始めて1か月。
毎日、「活動記録表」を書いている(宿題)。
1日の流れ(活動)を書いた横に、それぞれの活動中に感じた感情を書く。
単純な作業なのに、かなりのプレッシャーと少々の苦痛を感じる。
目的は、感情を中心に考えられるようにすること。
だから、どうしてその感情を持ったのかとか、書いた感情が実際の感情を適切に表現しているかは現段階では関係ない。
だけど、どうも意識しすぎてしまう。
記録に残すなら、適切に表現したい。感情を認識したら、どうしてそう感じたのかまで考えたくなってしまう。
実際は、どうしてそう感じたかまで考えるとちょいウツになってしまうからできないのに・・・。
あーここまで書くだけでも疲れちゃう。
本当は頭で色々考えたこと、感じたことを備忘録として書きたいのに、
考えるスピードのほうが速いから、書くスピードに合わせるとテンポが合わない。
カウンセリングで希望が持てたのと同時に、
カウンセリングの存在への依存も始まった気がする。
カウンセリングという存在があることでの安心感。
安心感があるから、希望があるから、精神的な落ち込みに歯止めがきいてしまう。
気持ちが落ち着いてしまうと、何に困っていたのか、何に悩んでいたのか、
カウンセリングで何を相談したかったのかがわからなくなってしまう。
今は、次のカウンセリングで相談する悩みを探すことが、精神的な負担になってる。
本末転倒。
気持ちが安定したのなら、カウンセリングに行く必要はないのかもしれない。
でも、行かなくなったらきっとまた遅かれ早かれエンドレスサークル。
どうしたら良いんだろうか。
あ、あと、これを悩み事として話しても良いんだろうか、とかも考えちゃうかな。
ちゃんと考えれば自分でももう少し解決策見つかるような気がすることや、
そもそもどうしようもないんじゃないかと思うこととか。
そんなの、みんな困ってることだよ、とかね。
私の悩みの多くの根本には「顔色伺い」が原因として横たわってる。
カウンセリングを受けるにあたっても、これが邪魔をしている。
次は来週。
活動記録表は来週の面談をもって終了らしい。
ホッとするな。

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