受け継がれていたもの | バベルの平屋
昨日の帰り、駅に向かっている時にメイドさんがド派手にコケたので支えてあげました。



そこからロマンスなんか全く生まれない羽鈴です。



皆さんこんちばんちは。


1910年の今日、日本海軍の第六潜水艇が訓練潜水中に沈没した。
禁令無視によるガソリン潜航実験の訓練中の第六潜水艇が沈没して翌日(~17日)に引き揚げられ、内部調査が行われた末、ガソリンパイプの修理をしていた2人を除く全員が持ち場を離れずに乗員14人全員死亡していたことがあきらかになった。

第六潜水艇はガソリンエンジンの煙突(伸び縮みする)を海面上に突き出して潜航運転する潜水艦でその煙突がシュノーケルのように海上に出ていないと排気できず長時間の潜水後進が出来ないタイプの潜水艦だった。矢印の所が煙突。 


それが原因は定かじゃないけど何らかの理由で煙突が海面下に行ってしまって煙突から浸水
そして煙突を閉じる機械が故障していたため手動で閉めたけど、艇内の一部が完全に浸水してしまい。沈んだまま動けなくなってしまった。


艇長の佐久間勉は事故が起きた午前10時から死に至る12時40分まで、司令塔から洩れる微かな光を頼りに事故に至る詳細な経過を手帳の39頁にわたって記録した。(読むの大変だよ)


小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ
サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ
我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ
希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲサスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ
沈没原因
瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ
途中「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ
沈拒後ノ状況
一,傾斜約仰角十三度位
一,配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 
十四日午前十時頃沈没ス 此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム
一,沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 
燈消エゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水終レルモノト認ム電流ハ全ク使用スル能ハズ電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ「クロリン」ガス発生セズ残気ハ五00磅(ポンド)位ナリ
唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ 「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ 
(右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン 
サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス一,司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺深度ハ八十尋位ナレバ正シキモノナラン
一,潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故 幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期スサレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)
公遺言謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ
左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一,斎藤大臣  一,島村中將  一,藤井中將  一,名和中將  一,山下少將一,成田少將  一,(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一,小栗大佐 一,井手大佐  一,松村中佐(純一)  一,松村大佐(龍)  一,松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一,船越大佐   一,成田綱太郎先生 一,生田小金次先生

十二時三十分呼吸非常ニクルシイ瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ
一,中野大佐
十二時四十分ナリ


と、「十二時四十分ナリ」と書いたところで気を失ってそのまま気を失って息を引き取ったと思われま。

潜水艇が故障して海底に沈んだ事故は外国にもある。
これ以前にイギリスの潜水艇が同じような事故にあった時、定員は死を免れようと、水明かりの洩れる窓の下に折り重なって死んでいたらしい。


でも佐久間艇長の乗った第六潜水艇が引き揚げられたとき12名の艇員は全て整然として部署についたまま仕事をしている状態のまま、2名は破損箇所の補修をしながら殉職、さらに佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を書いて、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として海外に広まった。


在りし日の第六潜水艇



でも、この状況って最近似た状態の賞賛のされ方あったよな?


わかる?


そう、2011年3月11日東日本大震災だよ。


震災直後からお互いがお互いを思い支えあって、我先にとかもなく行動したんだよな(一部を除く)。

戦前戦後の日本人は大きくかわったかもしれない、でも、大和魂の如く日本人の細胞レベルで受け継がれている精神ってのもあるのかもしれない。



よし、良いこと言った。



じゃ、アデューッ!