4日目
日付がかわった頃に、ふと目が覚めると、目の前の外灯が点いていた。
いっきに目が覚めて、すぐに弟や両親に電気が回復した事を知らせるとともに、電気が復旧してなにが出来るのかを急いで考えた。
水があれば米が炊ける、電子レンジ、髭剃り、TVに電気ポット、ホットプレートで料理、携帯の充電、と、ここで初めて自分がもってるiPhoneが使える事にようやく気がついた。
すぐ様友達に電話したが、夜中だしもしかしたら、相手は通じない所なのかもと思い、復旧してできる事の準備にとりかかった。
すると、折り返しすぐに友達から電話があり、久しぶりの相手の声に安堵した。
暫く話して、相手の充電もままならないし、夜も遅いので電話も早々にした。
いっきに安心感がでて、車に戻り再び寝ようとしたが、意外と眠れなくてそのまま朝になってしまった。
たいした眠りにもつけずに朝目覚めると、久しぶりに大画面のテレビを見ながらの朝食となりました。
電子レンジの音にも嬉しさが湧き出ます。こたつも温かいです。
でも僕の目に飛び込んできたのは、津波が宮城沿岸を飲み込んでいく様子が生々とテレビに映し出されていました。
悲惨な光景に涙が出ます。
毎年の夏には海に行っていた場所が跡形もなく、バイトに行っていた石巻も津波に飲まれていました。
今まで分からなかった、伝わらなかった情報がテレビから得られるようになり、改めて今回の地震の凄さ悲惨さ辛さを実感しました。
今日は一応仕事先へ行くのと、人とも会うので、金曜日ぶりに髪を洗うことにしました。
ガスでお湯を沸かして、それをバケツにいれ、貴重な水で適温にし、
それを大事に大事に使いながら髪を洗いました。まだ3月は寒く、すぐにお湯は冷たくなります。ついでに体も洗いました。
でも久しぶりにさっぱりして、清清しい朝です。がそんなにのんびり洗ってる場合じゃありません。
いつまた地震が起きるかビクビクしながら素早く洗いました。
自転車での通勤はいつもと風景が違っていました。
民家のブロック塀は崩れ、、アスファルトの道路は地割れや亀裂、そして波打っていて自転車や車はスピードを出していると危険です。
自販機は当たり前のように全部売り切れ。お店も開いていません。
道路はガソリンスタンドの給油待ちで渋滞しています。
近くの公園は壊れた家具のごみ置き場となっていました。
会社に着くと、早速片付けです。
めちゃくちゃに物が散乱していたのも、人数をかければ意外と早く片付けることができました。
と言っても、まだ水も電気も何もきていません。天井からは水漏れしていた痕があったりと酷いあり様です。
やはり片づけが終わると、やることがなく仕事も再開できる見込みがないので、また明後日来るように言われました。
外にはパートのおばさん達が数人。皆大丈夫だった?とか色々聞かれ、皆不安な表情です。
おばさん達から、パートのリーダーさんの家が閖上で、家が津波に飲み込まれたらしいと言っていました。
ショックでした。
こんな身近に被害にあった人がいただなんて・・・。
そのパートさんの家族が無事かどうかも分からなくて、ただただ祈るしかなかった。
家に帰ると自分の部屋の片づけをしながら、今まで安否が分からなかった友人にメールしてみました。本当は電話ですぐに安否確認したいけれど、電気が復旧してるか分からないし、相手の携帯の充電も気にしなければいけなかったのでメールにしました。
すぐに返信がくる人もいたけれど、返信がない人は不安になります。中には家が地震で倒壊して避難所にいる人や、知人や親戚の家にいる人もいました。そういうメールの内容だとなんて返していいか分かりませんでした。
テレビもゆっくり見れるのは久しぶりのような気がします。が放送している内容は地震の報道ばかりです。どのテレビ局も24時間ずっと震災の内容です。被災地からの伝言メッセージなどの内容にはすぐに目がとまります。
どの番組も地震ばかりなので、DVDなども見たくなると思いきや、全然そんな気がおきませんでした。緊急地震速報や給水所の情報など、生活に必要な情報がテレビに流れるので、そんなビデオを見ている暇や余裕はありませんでした。
それと同時に充電できる家電も今のうちに満タンにしておきます。また大きい地震でいつ停電がきてもいいように携帯の充電も常に満タンに。髭剃りやノートパソコンなども。
今日は3日ぶりに部屋で寝てみます。やはり布団は気持ちいいです。でも余震は一時間ごとにきます。夜中に何回も地震で起こされながらもなんとか眠れました。









