2011年
3月11日
14時46分
パートさんの1人が言った。
「地震じゃない?」
僕は最近頻繁におこってる三陸沖の地震じゃないかと思い、どうせ震度2くらいだと思ってた。
荷物が置いてある大きい倉庫で、僕はパートのおばさん達と一緒に作業していました。
揺れは段々と大きくなっていきました。
凄まじい音とともに激しい横揺れ。
「キャーーッ!」
おばさん達は悲鳴をあげ、慌てふためく。
皆は作業している頑丈で大きい机の下に潜り込みました。。
僕は倉庫に何台もストーブを炊いてあったので、それを消しにパニックになりながらも走り回って確認していました。
最初は30秒ぐらいで揺れはおさまると思っていた。
一旦揺れが小さくなる。。。がさっきよりも激しい横揺れがおきる。
ヤバイ!
僕もストーブを確認するのをやめ、机の下に潜り込みました。
揺れはおさまらず、おばさん達は泣き叫ぶ、
「死ぬーー!」「ここで死にたくないよー!」叫び声があちこちから聞こえました。
隣にいたおばさんは、僕の腕をぎゅっと握り締めていました。
僕はすぐさま、蛍光灯が落ちてきたら破片が危ないから気をつけて!と皆に叫びましたが、揺れの凄まじさで声がかき消されていたのかもしれません。
地震は3分以上続きました。
揺れがおさまり、皆建物の外へ出て非難しました。
いつもしっかりしてる女性の人でも涙を流すくらいの恐怖でした。
僕もただただ呆然とするしかなかった。
それぞれ座り込む人、携帯でテレビを見て確認する人がいる中、僕は建物内に残っている皆の荷物を走って取りに戻りました。
強い余震が続く。
周りはパートの女性ばかり。自分は男だからパニックになるのを抑えて冷静でいたつもりだったが、内心は心臓が鳴り止まなかった。
すぐ様家族の事を思い出し電話をするが通じない。
メールを送ってみた。
暫くすると姉から短いメールで、
友達の家にいる、息子は保育園、旦那はわからない。と
周りを見渡すと信号が止まっていたり、急ぎ足で帰る人もいた。だが家は崩れていないし、それといって大惨事には見えなかった。
皆、少しずつ恐怖がおさまってきたが、それと同時に家族の安否などの不安が募ってきていました。
暫くして、すぐ近くの本社に戻る事になった。
本社の前に着くと、女性従業員らが外へでて不安そうに怯えながら避難していました。男性陣は営業の人がほとんどで、今日も宮城各地に行っていて本社には男性は数人。
いつも自転車で通勤している僕は、今日に限って親の車を借りて通勤していました。
余震が続く中、車の鍵のあるロッカーは本社の2階。余震の恐怖に怯えながらも駆け足で2階へ。
2階はめちゃくちゃだった。
荷物を何週間もかけて作り、それを綺麗に積み上げていたのが一瞬でめちゃくちゃに。少し涙が出そうになるのを堪え、鍵を取りに戻り再び外へ出ると、それぞれ家に帰るように上司に言われました。
電車が止まっているから、方向が一緒の人は乗り合いしたりと相談していた。
僕は家族や姉夫婦、親戚などの安否が頭から離れなくて、どうやって帰るか、
家は古いから家が潰れていたら、飼っている猫が心配だったし、けど甥っ子達も心配、どうしよう、どうしよう、と頭が混乱していました。
僕は本社を離れ、急いで車に飛び乗りました。
さっき本社に戻る途中には、信号が止まってて大通り以外は車は無理に道路を横断しないといけませんでした。狭い道からだと、皆車は入れてくれないかもしれない、それどころか帰れないかもしれないと。
なるべく大通りを走ることにしました。車は慎重に慎重にと頭で確認しながら。
信号は止まってるし、人々も忙しなく移動してて危険な状態だった。
大通りはビュンビュン我先にと車を飛ばし、中々入れない状態。
車の窓から顔を出して、手ではジェスチャーして直進している車に合図しながら、なんとか右折して大通りに入れました。
そこからは、スピードを上げ一気に家まで帰りたい状態。だが信号は止まってるから、すぐさま十字路で動きが止まる。
何回も何回も確認しながら慎重に長町方面まできた。
するとショッピングモールの駐車場は人込みで埋まっていました。と、渋滞で止まっている間にも、車がバウンドするくらいの強い余震がおこる。
右をみると、ラーメン屋の屋根が崩れ落ちていたり、
バスの停留所のガラスが粉々に割れていました。
これはただ事じゃない・・・。段々と事の重大さが大きくなっていきました。
その間にも、どうやって帰ろうか、先に確認しに向かうのは、家が先か、甥っ子の保育園が先か迷っていました。
道路状況を考えると、あそこの信号が止まっていたら、多分車は入りづらいとかを考えた結果、まずは家に戻ることに。
家の駐車場に付くと、父が弟と一緒に弟の車でどこかへ向かうところでした。
「大丈夫!?どこへいくの?」
「まずは、甥っ子のところへ行って!保育園に迎えにいって!それからお母のところに!」
と、混乱しながらも、姉からのメールで得た情報をそのまま伝えました。
僕は、家の駐車場で独り待つことに。
家は無事でしたが、家の中はめちゃくちゃです。猫は無事で大人しくしていたそうです。家には居れないので車の中で猫をゲージに入れたまま、ただひたすら皆が帰ってくるのを待っていました。
待っている間も余震で車は揺れる。
イライラが募ります。
追い討ちをかけるように、ぼた雪が降ってきました。
僕の携帯はiPhoneなのでワンセグはなく、ネットも使えない状態。一切外の情報は入ってきませんでした。
暫くすると、原付で母が帰ってきて、すぐ父達も帰ってきました。
甥っ子は一足早く、義兄さんが迎えに行ってたとのこと。とりあえず家族皆無事でした。
僕は、頭の中で誰かに ありがとう と言っていました。
雪も止み、家族が一先ず無事だったので、改めて状況を確認し合うと、
すぐそこのセブンイレブンには長蛇の列。そこらへんでガス漏れで危ない、ブロック塀が崩れていたなどの話。
僕達も非常事態だから、すぐさま食料やら何やらを買いに自転車でコンビニへ。
だがコンビニは本当に長蛇の列だし、電気も停電してて暗い。余震もあって怖くて並べませんでした。
僕は、その足でそのまま長町方面まできました。
いつもの道路が被害が大きく、信号は停電してて渡れない。
皆、歩行者は手を上げて、横断歩道を急ぎ足で渡らないとだめでした。
そこらへんの道路や歩道には地割れの跡が沢山あり、注意して自転車を運転しないと転びそうになります。
モールでは先ほどの人込みはなかったが、出入り口付近に人だかりが、
何やらもめているらしく、モールの中に荷物があって家に帰れないから入れて!と店員に訴えている女性。
店員も今は中は危ないから荷物は確認できない、と言った返答でした。
あとからわかった事でしたが、モール周辺も駐車場が転落したりと酷い状況で、店員は中に人を入れる訳にはいかなかったし、女性も家族の安否が心配なのに家に帰れない。
双方の気持ちが痛いほどわかったけど、どうする事もできない状態でした。
長町駅付近まで来て見ました。
いつもの長町駅が、今は車は通っておらず閑散とした様子。
ただ近くのコンビニは込んでいました。
段々と外が暗くなってきたので、コンビニも外で販売するといった処置がなされていました。
結局飲み物類だけを自販機で買って家に戻りました。
それから僕達家族は家から毛布を取ってきたり、この時の為に備蓄していた水や食糧、ガスボンベなどを車に持ち込みました。
父が持っている携帯ラジオが唯一の外の情報源で、そこで初めて津波で沿岸が多大な被害を負っていることを知りました。
津波の情報から、僕は初めて友達の安否が不安になりました。名取や岩沼、亘理、福島にも友達はいます。
でもそれを確認する術も精神力も今はありませんでした。
とりあえず家族がみんな揃い、準備も出来るだけのことはしたので、夜ご飯を食べることになりました。
と言ってもお米などはありません。母が原付で買ってきた魚肉ソーセージを食べました。それが被災した日の最初の食事です。
皆文句ひとつ言いません。黙って食べて食事はすぐに終わりました。
僕はと言うと、昼にパートのおばさん達と、初めてほか弁を皆で頼んで食べることになってて、いつものお昼よりちょっと多めにに食べたので、たいしてお腹が減ってませんでした。
食事が終われば、あとはする事はありません。
親の車と弟の車に2人ずつ乗って、ただ黙って過ごしていました。
余震は何度もあります。
車は意外と地震の揺れを軽減してくれて、地震のあの物が激しく揺れる音を消してくれます。
それこそ、車を運転している時の揺れと錯覚する感じで緩和してくれます。
それでもすぐには眠れません。まだ夜の9時です。
夜は寒く白い息がでます。
でもあまりガソリンを使えずたまにしかエンジンをかけられませんでした。
辺りは真っ暗です。でも悲しいかな、夜空の星はいつもより綺麗で輝いていました。
電気の明りがあるとないとでは、星もこんなに違って見えるのかと思いました。
中々寝付けないので、僕は今日起こった事を忘れないでおこうと思い、今、日記をつけています。









