やさしい日々 -3ページ目

胎児ドック (受ける理由)

「胎児ドック」いきなりのタイトルですが・・・。
アラフォーの私、二人目妊娠しました。

プライベートなことなので、書きたくないような気もしたけれど、私も色々な方のブログを拝見し、参考にさせてもらったので、もしこのブログを見て参考になったらいいなと思います。

「2人子供がいたらいいな~」夫の気持ちは分かっていたものの40代での出産になるのは私にはちょっと辛いな・・・・
二人目妊娠と書きましたが、実は妊娠は3度目です。
2度目の妊娠では赤ちゃんに会うことはできませんでした。

そんなこんなもあり、すっかり自信をなくしていた矢先の今回の妊娠。
ギリギリ30代で出産セーフ予定です。

妊娠してすぐにつわりが始まって、現在痩せ干ボケています(苦笑)。

(妊娠するには少々)高齢だという事、前回の流産の事・・・。考えれば考えるほど、苦しく辛く、ハッピーに思えない日々が続きました。

出生前診断を受けるべきなのかどうなのか?
もし、赤ちゃんが健康ではないって言われたらどうする? 
羊水検査をして、赤ちゃんが流れてしまったら? (300分の1の割合で可能性があるそうです)
障害がありますって言われたら? ダウンちゃんだったら?

それに直面したご両親たちが自分達で答えを出すべき問題であり、実際に育てもしないまわりの人たちが口出しできるほど、簡単な問題ではないと思う。

私たち夫婦も色々と話をしました。

色々調べてみて、私の住んでる別府で「胎児ドック」が受けれる事を知りました。
クリニックの先生に正直に自分の気持ちを話すと、お手紙を書いてくださり、
先日受けてきました。

受けてみて、今の気持ちは・・・。
受けてよかった。。。。

100%の診断ではないこと、(障害がある可能性もあること)も分かっています。
それでも、今、私の赤ちゃんは元気に心臓を動かしている事が分かっただけでも、赤ちゃんと一緒にがんばろうと前向きになれました。












ワイト島(ホストファミリ)

2001年 1月4日 夜
ワイト島へ向かう船に乗り込む。 寒い・・・そして寂しい。

同じプログラムに日本から私の他に2人。
関空で合流できたので、3人で船の中。

ワイト島へ着くとホストファミリーが待っていてくれたのでホッ。
1歳半になる赤ちゃんのいる家族でした。

ホストファミリーと言ったら家族のように仲良く!っと思ったらそれは間違い! まあ、たまにはそういう人もいるかもしれないけれど、語学学校などで紹介されるホストファミリーは、家賃収入を期待しているわけなので、どちらかといえば、お部屋を借りている感覚。

自分の部屋にはテレビと机、そしてダブルベットがありました。

ワイト島・・ロンドンとは全く違ったゆっくりした雰囲気。
若い人が少ない・・・。と正直思った。

いよいよ、午前中は英会話のレッスンを受け、夜はガーデニングやピクチャーフレームのアダルトエデュケーション、そして週末は花屋で働く生活が始まりました。

英会話クラス、アダルトエデュケーション(園芸)、花屋・・・この全てが私の今につながってきています。

乗馬やバックパッカー生活を経験するとはまだこの時は想像もしませんでしたけど。。。。











きっかけ

17歳の頃、ちょうど父を空の事故で亡くした頃、「自分史」を作ったことがある。今までの自分が、家族にどれだけ大事に育ててもらっていたのかを思い、泣きながら書いた。

そして・・・今更だけど・・・今更だからかな。
そろそろ忘れないうちに、自分がどうしてイギリスに行こうと思ったのか、何をして、どう感じたのかを少しずつ書いてみようと思う。
ブログに載せるかもしれないし載せないかもしれないけど。


大学を卒業した後、一般的に言う「安定した会社」に就職し、6年間周りの人にも恵まれ働いていました。
それなりに仕事も任され、それなりの給料をもらい、他の人から見れば、何の不満があったのかと。
その当時、お付き合いをしている彼がいて結婚したいなって思っていました。
「結婚したら、今の仕事はどうなるんだろう?」 「このまま結婚してしまって後悔しないの???」
結婚を意識すればするほど、結婚前に何かをやっておきたい。。。海外に行って生活してみたい。。。

その彼が、そんな自分勝手な考えを大きな気持ちで受け止め、留学をすすめてくれました。
あたりまえですが、家族からは猛反対をくらい、それでも行こうと決心できたのは、帰ってきたら彼が待ってる。そう信じていたから。

限られた時間(半年)でできる限りの事を経験できるようにと、語学を学びながらボランティアとして働くというプログラムに参加することにした。

出発の日、彼が見送りに来てくれていた。
恥ずかしながら、オイオイと声を出して泣いた。
私、どうしてこんな事を決めてしまったんだろう。。離れたくないよ・・・。

「辛くなったらいつでも帰っておいで。」

この言葉を胸に渡英したのでした。。。

今思うと、とても身勝手であまったれていた自分です。書きたくなかったけど・・・。
ただ、今があるのはこの事があったからで。

数年後、その彼に好きな人ができ「自分達のそれぞれの道を歩いていこうね。ずっと応援してるよ。」
と言われた時は、少し寂しかったけど、本当に感謝しています。ありがとう。