この映画を観てから、心なしか気分が不安定になってしまい、食事が喉を通らなくなってしまいました。
10年くらい前にアニメ映画として公開された作品の実写版ですが、ひとまず内容を簡単に紹介します。
※ネタバレが嫌なら画面を閉じてください。
転勤に伴って度々転居させられてしまう家庭で生まれ育つ小学4年生の貴樹(たかき)と明里(あかり)。
表面的な関係しか築く機会がなかったせいか、2人ともクラスに馴染めず、どことなく内向的な性格に育つ。
そんな中、転校してまもなくの明里に差し向けたさりげない優しさ(実写版のみのシーン)がきっかけとなって仲良くなり、似たような趣味を持っていたこと、体が弱くて外であそべず図書室で過ごすことが多いなど共通点が重なることから2人で過ごすことが増えていき、次第に距離を縮めていって2人だけの世界を作っていく。
それから2年。
小学6年生に上がった春、桜の花びらが舞う踏切の前で明里は、来年も今と変わらない同じ景色を一緒に見たい(CMではこれを別の言葉で表現されていますが、あらすじなので根底にあるものを書いています。)と、年令を考えれば精一杯の勇気と言葉で気持ちを伝える。
何をするにもいつも一緒という関係が3年になろうとする3学期の終わり頃。
小学校を卒業する直前、明里が栃木県に引っ越すことになる。
それから半年、文通(原作は手紙、本作では交換日記)でのやり取りが続くものの半年くらいで連絡の頻度が落ちていく。
更に半年が過ぎて明里の転校から11月が経とうとしている頃、貴樹も種子島に引っ越すことになる。
その事を伝えるために久しぶりに交換日記を送ると突然、明里から会おうと言われる。
東京で肩を並べて見たかった桜とは違うけど、一緒に桜の木の下で会う約束をする。
その日は不運にも寒の戻りで、桜どころか交通機関が混乱するほどの大雪。
約束の時間を大幅に遅れて駅につくと・・・・・
核心に触れるのでここで止めます。
ネタバレに配慮するため、CM等で目にしたことがあるシーンを補完する形で書かせていただきました。
(ここから本当のネタバレになります。)
長くなりましたが、こんなお話です。
結末はハッピーエンドでもありバッドエンドでもあります。
登場人物の誰に感情移入するかや価値観など見る角度によって結末が変わる、意図してホログラムのような感じ方に作られた作品に思えます。
貴樹は自分の中途半端な態度でそうなったのでしかたないと思えるけど、はっきりしない態度に振り回された女性3人があまりにも可哀想なんです。
でも、原因が自分にあるとはいえ成長を待たないとできないこと(勇気と判断力、強さ)だってたくさんあるし、そもそも一度は自分の中で整理した気持ちに火を付けたのは明里だし、貴樹だってとても辛かったんじゃないかな、と思います。
明里だけ見れば自分の名前が性格と一致しないから嫌いだと言ってたくらい内気だった少女が貴樹のおかげで明るくなって、強くなって、これから幸せに向かっていくわけだからハッピーエンドに見えるでしょう。
でも、わずか2時間の間に4人・・・それも男女両方の失恋を見ることになってしまうんです。
それがね・・・・。
正直自分の時よりも辛かったです。
いや、現在進行形で辛いです。
だって、自分ごとなら「男1人」で済むところ、「男女4人分」ですもの。
それも僅か2時間ちょっとに凝縮された形で。
特に子どもの頃の明里。
貴樹が種子島に転居することを知り、それが今後どんなに頑張っても会いに行けない・・今まで(栃木と東京)なら、時間はかかるけど会いに行くことはできます。
でも、種子島だとそういうわけにいきません。
つまりもう続けることは無理なんだ、という事実を突きつけられてしまう。
それであきらめることを決心。
引っ越す前に最後の姿を見るつもりで貴樹を呼び出して会うことになったけど、会えなかった11ヶ月の積もる想いに身を任せる形で衝動的にしたファーストキスをきっかけに余計に好きになってしまった。
元々気持ちに整理をつけて、心の中ではすでに別れていた貴樹も、それを機に恋心に火が灯いた感じだ。
(再会の前後で世界が変わってしまったというナレーションはそういう意味だと思います。)
でもその気持ちを必死に抑えて帰り際に別れを決心。
差し出そうとした最後の交換日記(原作では手紙)を引っ込めた瞬間、それから最後のエールを送ってドアが閉まった瞬間、どれだけ辛かっただろうか。
列車のドアで分け隔てられた空気は二度と交わることはない。
肩を並べることも、手をつなぐことも、ガラスが邪魔して叶わない。
そして列車は走り出し、やがて視界からも消えてしまう。
最後のお別れの後、その後に続く貴樹の16年分をかき集めて何倍にしてもきっと遠く及ばない、とてつもなく大きな想いにどれだけ身を打たれ、潰されそうになって、どのような気持ちで家路に向かい、何日、何週間悲しみ、泣き通しただろうか。
考えただけで胸がえぐられる思いでしたね。
キャスティングも、辛さを増幅させたと思います。
原作では中学生という設定ではあっても、ある程度しっかりしたお兄さん・お姉さんといった見た目をしていることに加えて、実写版ほど一緒に育んだ時間の描写がない(放映時間はアニメが1時間、実写版が2時間超です)ので、別れ際のシーンを観ても「切ないね。悲しいね。」止まりだったんです。
この微笑ましい、可愛い世界観がそのまま再現できるキャスティングなんです。
何をするにもいつも一緒で同じ時間を過ごして、精神的に助け合って生きてきた。
2人でいるときはいつも明里が笑いながら先を走り、貴樹が後を追いかける。
きっとその笑顔は、貴樹にしか見せたことがないはずです。
そんな愛らしいカップルが引き離されてしまう。
可哀想などという言葉では表現しきれないことは論を俟たず、残酷という表現でもあまりあり、言葉にならない苦しさ、息苦しさをおぼえました。
そこに、明里が渡しそびれた手紙のナレーション(これからもずっと、一生好きです。)が入るのですが、これがやっぱりイチバン見てて辛かったですね。
貴樹も、プラネタリウムのシーンで加速するまでずっと並走していた衛星がある日を境に別々の方に飛んでいくシーンで、二度とお互いの視界に入ることはない自分と明里を重ねた瞬間、どれほどむなしかっただろうか。
失恋した4人の失恋劇は時間を掛けてつぶさに描かれているのに、幸せを手にした1人の描写に過程(立ち直りやロマンスの描写)がなく、結果だけサラッと描かれていて、どことなく適当にどこかで出会ったことさえ想起させてしまう。
それが曲解だったとしても、感情移入する時間や情報がないため、自分ごととして腹に落ちてこない。
「12年掛けて吹っ切れただけ」の貴樹も、4人分の失恋を観ることで刷り込まれた負のエネルギーを覆すほどのパワーはなく、ここに至るまでに負の方向に引っ張るエネルギーと見合わないと言うか、アンバランスすぎるんです。
たとえば、このようなストーリーが挟み込まれたらどうだろう?
貴樹からの手紙が途絶えた高校2年の春(中1の冬じゃない?と思った方、後で理由を説明します。)、明里が傷心に暮れていたところ、貴樹と花苗の逆パターンみたいな関係が部活の先輩と繰り広げられる。
やはり明里も貴樹の高校時代と同じように上の空。
貴樹は明里を引きずりながらも花苗との相思相愛は自覚していたはずだが、明里はそうはならなかった。(貴樹より一途で、そんな簡単に立ち直ったわけではないということを伝えたい。)
先輩と多くの時間を過ごす中で、貴樹と過ごした時間で得たものがさまざまなシーンでヒントになる。
こうして貴樹との思い出が明里にとっての糧に落とし込まれていくことで、「貴樹に支えられているから」ではなく、本質的な明るさが明里に刷り込まれて、感謝しながら自分の意識の中でしっかりと恋を失う。決別する。もちろんこの過去のロマンスは先輩にも泣きながら打ち明けるシーンがあって、先輩の理解と応援があって克服していく。
こんな感じで、貴樹と花苗のシーンと同じくらい時間をかけて愛が育まれる様子が放映されていれば、「明里!よかったね!おめでとう!!!!」て涙を流しながら喜んだでしょう。
作品の骨格もしっかり維持されています。
誰かと結婚することになったとはいえ、職場での休憩中の会話の通り、明里の心の中にはいまも貴樹は生きていて、それも渡しそびれた手紙に書かれている通り、今はもちろんきっと一生貴樹のことが好きで居続けるんだろうなと思います。
貴樹も水野さんか花苗、どちらとの復縁をもうすこし匂わせる終わり方をしてほしかった。
貴樹のためだけではありません。
2人の女性のどちらかだけでもいいから、幸せになって欲しかった。
それを想起させて欲しかった。
水野さんは社会人になった後で3年間、上の空でお付き合いされた後、それが原因で別れることになってしまったけど、お互いに愛ではつながっていたように見えました。
貴樹の心に整理が付いて、ふっきれた状態でそれなりに時間が経った頃、何らかのきっかけで再会して恋心に灯がともれば、幼い頃にしか経験できないような眩しいほどのときめきをお互いに感じられる関係になるんじゃないかな、と思います。
初めて恋をしたときめきは普通、歳を重ねると大人の人生に付きまとう固有の雑音にかき消されてしまい、耳を澄ませてもちょっとしか聞こえてこなくなります。
それが30代で経験できて、おそらく一生続くでしょうから、貴樹は幸せものだと思います。
別れ際に水野さんが言った「もう遅いよ、うーん・・・でも、遅くないのかな?じゃあ、元気でね。」(正確には憶えていませんがこんな感じの言葉だったと思います。)は、もしかしたらそういうことなのかもしれません。
わからない人のために何が遅いのか、の理由から説明すると、貴樹は過去との決別を決心した後、水野さんに苦し紛れの理由を付けて告白しています。
その告白のシーンが好きな点を1つ1つ箇条書きで説明するような超論理的思考で、心を揺さぶるようなエモーショナルバリューを感じさせない無機質なものでした。
きっと、そこに恋心はないでしょう。
これも、「3年付き合って心は1センチしか近づかなかった」とメールした水野さんに対する気遣いというか愛情だと思います。
水野さんは恋がしたかったのでしょう。
だから、「待ってるから心の整理をつけなさい!」と言いたいのだと思います。
じゃなかったら、「遅くないのかな?」なんて言わないし、そんな脚本をあとづけしたりなんかしません。
アニメ版、実写版ともに水野さんの表情は終始暗く、笑っているシーンを目にしたことがありません。
出会った頃の明里と重なります。
またどこかで再会して、貴樹の愛情がきっかけで距離が縮まって恋に落ちて、小学5〜6年の時に明里が見せたような、コロコロした とびきりの笑顔ではしゃぎまわる貴樹と水野さんが見れる日は(スクリーンでは見えないと思うが)そう遠くない気がしています。
花苗との復縁エピソードも想像してみました。
最後の踏切のシーンの後、思い残すことがなくなった貴樹は明里や水野さんと一緒に見た景色がたくさんある東京を離れることにする。
貴樹にとって東京は、辛い場所となってしまった。
もう二度と東京の地を踏むことはないでしょう。
行き先は思春期以降、東京に次いでたくさんの時間を過ごした種子島。
荒涼とした年末の波止場で、乗ってきた船をぼーっと見つめながらその場に佇み、これまでの12年を振り返る。
これまでやっていたことは一体何だったんだろうと、肩を落としてため息をつく。
水平線に向かって進む船は少しずつ小さくなり、それがもう二度とその姿を見ることはないだろう明里と重なる。
これが完全に見えなくなったら、もう明里とはお別れだ。
船を降りて1時間弱が経った頃だろうか。
船の姿はとっくに見えなくなっている。
でも、なぜか波止場から歩く気力が沸かない。
やがて寒波に耐えきれなくなり、後ろ髪をひかれる思いで実家に帰ろうと集落に向けて歩き出す。
高校時代によく立ち寄った街のちいさなスーパー。
「懐かしいな。」
かすかに微笑み、ため息をついて歩き始めると、一人の女性とすれ違う。
茫然自失となっている貴樹はそれが誰だかすぐには気付かなかった。
向こうも最初は反応することはなかった。
一呼吸か二呼吸したくらいである。
自分を呼び止めるような小さな声が聞こえた。
「・・貴樹。」
聞き覚えのある声とアクセントに、声の持ち主はすぐに判った。
反射的に振り返る。
瞳を凝視する。
するとこれまで張り詰めていた何かが急に壊れたのか、貴樹の頬には理由なく突然涙がつたう。
口を真一文字に閉じて歯を食いしばる。
これ以上、涙を流したくなかったからだ。
花苗「えっ・・大丈夫?
貴樹「俺、いったい何がしたいのかよくわからなくなってきて・・。
花苗「貴樹でも、そんなことあるんだね。
貴樹「何かを追いかけて、それに追いつくように がむしゃらに生きてきたつもりだったんだけど、そもそもそれが何だったのかよくわかってなくて。ここを出た目的も自分でもよくわかってなくて・・。
花苗「そっかー。・・・目的、、か。
貴樹「うん。
花苗「あたしには無いなー。
貴樹「・・・。
花苗「ねぇ、それってないとダメなの?
貴樹「えっ・・。
花苗「今がとびっきり楽しくて、精一杯生きていればそれでいいかなって思ってさ。
貴樹「目的は必要だよ。
花苗「ふーん・・。あたしね、実はあれからずっと、何がしたいのかわかってないんだよね。
貴樹「ははっ。懐かしいね、紙ヒコーキ。
(花苗は高校当時、進路が見いだせなくて進路調査の紙で紙飛行機を作って投げ捨ててしまっている。)
(花苗の表情が曇る。)
貴樹「ごめん。・・・マジかよ。
花苗「うん、マジ。」
貴樹「だって10年だよ?何してたんだよ。」
花苗「でもいいの。たぶん、それで幸せなんだと思う。うーん、、幸せなのかな?でもね、不思議と幸せじゃないって思ったこと・・一度もないんだ。」
貴樹「・・・。」
花苗「でもね・・・でも。」
貴樹「ん?」
花苗「ちょっと前までは、あぁなりたい、こうなりたいって考えてたっけ・・・。
ほんとに、本当にちいさな目的?目標?・・・っていうのかな。
夢でもないし・・・うーん、、あこがれ?(肩を縮めて照れ笑いする。)
どんなに背伸びしても届かなくて、もうすぐ届くかなって思っていつもよりちょっとだけ頑張ってみたんだけど、そしたら同じだけ遠くに行っちゃって。
頑張ったけれど、気がついたらもうどうにもならないくらい遠くにいっちゃって・・・」
(花苗うつむく)
花苗「ああなりたい、こうなりたいってさ、考えるのがすごく怖くて・・・・。
あたし、どれだけ頑張れば それに追いつけるのだろう、って・・。
(涙声におどろいて花苗の方を見ると、涙を床に落とす。)
貴樹「・・・・。
(貴樹うつむく)
花苗「ねぇ貴樹、あたしね・・
(顔を上げて、堰を切ったように話し出す。)
(2人の後ろ姿からカメラを引いていき、空と海にフォーカスする。
小さくなっていく2人を包む世界の空は、秒速5センチメートルで初雪が舞い降りる。)
ここで終了。
貴樹については結ばれる描写は不要です。
結ばれても結ばれなくても、これが貴樹の新しいスタートであることがハッキリわかれば事足ります。
敢えて解像度を落とすことで観る人の想像の世界で膨らませてもらいます。
スクリーンで魅せるより、観客の脳裏で展開してもらったほうがより美しい描写になるはずです。
(ただ、それを匂わせるような演出をしますが、それは後で書きます。)
・・・みたいな。
実写版を作るにあたってアニメや小説の原作がある場合、だいたいは脚本にアレンジが入るでしょう。
貴樹と明里の関係が大きく覆ることはない(本心では「君の名は。」みたいに10年越しで2人の世界を取り戻して欲しかったが、作品の骨格が変わって別物になってしまうから、そこは我慢しなきゃいけませんよね。)にしても最後にはみんなが救われるアレンジを淡く期待していました。
「食事が喉を通らない」というのは恋煩いなんだろうけど、人様の恋愛でこんなことになるなんて生まれて初めてだし、そもそもそんな人いないでしょう。
取り付く島のない辛さに支配されてしまい、まるでレッグチェーンを付けられてしまったかのような毎日を送っています。
貴樹があまりにも救われないように描かれているので、補足しますね。
まずアニメ版を観た時に気付いていたのですが、最後の方で岩船で別れた後の貴樹・明里両方の中学〜高校時代のスナップが高速で映し出されているシーンを憶えていますか。
何が起きているのか正確に知りたくてビデオを買い、フレーム再生をして全てのスナップを確認しました。
岩船での別れが最後のように見えていますが、実はあれは最後の別れではありません。
少なくとも高校2年の春先まで、文通を続けています。
岩船でのお別れが中学1年の3月頃ですので3年、手紙でのやり取りは続いています。
手紙を先にやめたのは貴樹です。
貴樹は渡しそびれた手紙に、「いつか再会した時、恥ずかしくない男になるよう約束する。」と書いてましたね。
岩舟駅に向かう時の自分の気持ちを「好きだった」と過去形にしていることからも、きっと別れることを決心していたんだろうけど、いつか再会して迎えに行くつもりだったんだと思います。
そこから友達付き合いを大事にして、部活に勤しみ、花苗とたくさんの時間を過ごしながら自宅では机に赤本を並べて猛勉強をしています。
その手を少し止めれば明里に手紙を書くことはできたのだろうけど、面倒になってやめてしまった。
明里を迎えに行くために猛勉強していたのに、「明里のため」という部分を見失って猛勉強(社会人になってからはお仕事)だけが独り歩きしてしまった。
そして高2の冬、明里も彼氏らしい人と肩を並べて歩くスナップも目にしました。
貴樹が手紙をやめてから、半年以上も先の時期です。
大人になった明里が「音信不通になった」と言っていることから、手紙(交換日記)が不達(宛所にたどりあたりません。)になった可能性があります。
考えてみればわかると思うが、「音信不通」は、自ら連絡しようとして初めて発覚することではありませんか?
高校を出るまで種子島にいたはずですが、種子島の中で転居すれば郵便物は届かなくなります。
その間、明里だって悲しく、心細かったでしょう。
でも、岩舟駅での感情ほど強いものではないはずです。
普通に学校に通っていれば、話題だって貴樹より学校の友達の方が多いでしょう。
明里は、貴樹のおかげで強く、明るい性格になっています。
きっと既に、学校のみんなで盛り上がって楽しい毎日を送っていたに違いありません。
明里は現実の人間関係の中で心地よさを憶えて、貴樹は部活と猛勉強に明け暮れて、お互いがお互いを必要としなくなってしまった。
視界からはぐれて見えなくなってしまった。
別れた真の原因は、「貴樹に原因がある自然消滅」で、貴樹にとっても、明里にとっても傷が深くないお別れだった。
そのおかげで明里も過去に縛られることなく青春を謳歌できた。
(直前の1行のみ、私の推測です。ただ一方で貴樹という特別な自分の世界を持ちながら謳歌する青春だって違った充実感があるので、貴樹がいないほうが楽しいとか充実しているとかは思っていません。)
救われないように見えた貴樹も終盤のナレーションで、「ずっと抱えてたつもりだった想いが、綺麗サッパリ失われていることに気付き、俺は会社を辞めた。」と語られているので、明里に対する想いはいささかもなかったことになります。
明里と恋をしているつもりで、いつか一緒になる妄想の中で努力を重ねてきたものの、その灯は大学受験前に既に消えていたことに、30歳になってやっと気付いたんです。
岩舟駅での別れみたいに溢れんばかりの恋心を抱いたまま引き裂かれる残酷な別れではなく、時が進むことで失うことに心の整理がつけられる程度まで小さくなって、でも敢えて強制的に心の整理をつける(=お別れを伝える)ことはせず、消えかけの蝋燭の灯のような状態になった時に明里にとっては偶発的な何かのちょっとしたきっかけで、貴樹は消えたことにさえ気付かないまま自然と消えていった。
中学・高校の恋愛のほとんどは、3ヶ月前後で終わってしまうことが多い中で、小学4年生から数えると7年です。
明里が転居して物理的距離ができてからは4年ですので、交際期間の半分以上は文通ということになります。
岩舟駅でお別れしてから数えても丸3年です。
奇跡的な長さと密度の大恋愛ですが、ここまで続けばもう未練はないでしょう。
貴樹と明里は、物理的距離がなかった(一緒の中学・高校に通った)としても、自然消滅したんじゃないかなと思います。
お互いに忙しくなっただけでなく、お互いが支え合いながら人間として強くなったことで共依存状態から脱却でき、精神的に求めることがなくなったのも大きな理由の一つだと思います。
いかがですか。
切ないと思った人は、これを知れば心の整理がつくのではないでしょうか。
それから、途中で明里が別の男性と肩を並べるスナップについて触れたので書きますが、貴樹が花苗とよりを戻す設定ならば、小綺麗なカフェでパソコンを開いている貴樹の後ろで店員風の姿をした花苗がポーズを決めているカットが入ればいいなと思います。
なぜカフェかというと、「君の名は。」に少し寄せる形になりますが、そうしたオシャレなカフェが近所にありません。
中学〜高校時代に2人でお茶をした場所は決まって通学路にある小さなスーパーの横の自販機があるベンチです。
貴樹の職業柄(終始パソコンに向かう仕事)、自宅にこもりっきりでは滅入ってしまうので、気分転換しながらお仕事ができる空間が必要になります。
それから、花苗はずっと地元で育っているので、ここで何か役に立つことがしたいという思いもあるでしょう。
まずは、貴樹に喜んでもらえる空間を作りたいというところから始まり、次に地元のために何かしたいという思いが合流する形で花苗にも大きな目標が見つかり、カフェを開いたという設定になります。
「恋人」という存在には2通りある気がします。
ひとつは「恋」を与えてくれる人。
それから「愛」を与えてくれる人。
もちろん、人の感情はコンピューターの論理回路のような二値的なものではないので、愛に寄る人、恋に寄る人みたいな感じで配合バランスを持っているのが実際のところでしょう。
でも、お別れしてみると恋だった人はなんとなく引きずるし愛だったな、って人はどことなく爽快で純粋に将来を応援できるような気がするし、最後はなぜか二値的になるような気がしませんか?
小さな頃、貴樹は愛を与えて、明里は恋を与えた。
大人になって貴樹には恋だけが残った。
「自分」というものを見失って12年間空回りした理由はそれでしょう。
明里には愛が残った。
だから独り立ちして前に進むことができた。
そう書くと、「じゃあ、幼かった頃の明里には愛はなかったの?」と思うでしょう。
間違いなくあるんだと思います。
でももう少し大きな愛だったら、貴樹が種子島に引っ越すことになっても貴樹といっしょに秒速10センチメートルで歩く(貴樹をリードする)方法を真剣に考えます。
遠距離で自信をなくすようなことはしません。
あと2年待てば高校卒業するんだから、バイトして交通費を稼いで逢いに行きます。
最後の夜だって、貴樹に負担をかけないように中間地点の大宮で待ち合わせします。
中間地点より貴樹寄りですが、これには理由があります。
大宮駅で降りて、賑やかな方の出口(そごうとかソニックシティがある方)から出て少し歩いたところに、空が桜で覆われて見えないくらいすごい咲き方をする通りがあるんです。
ビデオのパッケージの表紙を見ると、その美しさたるやファンタジーの世界の切り抜きにしか見えないでしょう。
本当にそんな世界があるはずないと思うかもしれませんが、それが大宮にあるんです。
2人の関係を象徴する場所としてはとても良い場所ではないかなと思います。
大宮(さいたま市大宮区)の区の花は桜で、名所があちこちにあります。
仮にその通りが見物客で賑やかすぎて嫌なら、静かに桜が見れる場所は大宮ならいくらでもあります。
そこに意識が向かなかったのは、やはり幼い頃に度々転校させられたことで心の通った友達を作る機会が奪われたことで、円滑なコミュニケーションができず、自信がつかなかったことが原因でしょうか。
自己肯定感と愛はかなり強く結びついていますから。
そうなると貴樹は、明里にとってのヒーローということになります。
愛は血肉となって自分を作る一部となるから、好きでいたまま(=でも再燃することはない)新しい人と恋ができる。
でも、恋を残すと執着し過ぎて前に踏み出せなくなるんです。
貴樹は、少なくとも花苗とは相思相愛(両想い)であることを自覚しています。
でも、執着が残っているから、誰とお付き合いしても一向に満たされなかった。
そう考えれば納得できるかもしれません。
国内ヒットソングの歌詞で、「恋が愛に変わる」という表現を耳にしたことありませんか。
これを聴くたび、いつも脳裏で2人の論者が議論を始めてしまうのです。
「恋と愛は別物だから昇華させても愛にはならない。」
「恋することで見える景色が変わり、その景色を見たまま次の恋をするとまた景色が変わり、これを幾度となく重ねるうちに愛が見えてくる。」
恋は愛と比べて、どうしても軽く見られがちですが決してそんなことはなく、どちらもかけがえのない大切なものだと思います。
恋の延長線上に愛があるというものではなく、全くの別物です。
時系列的に恋をしてから関係を深めて愛が芽生えることが多いため、そう見えているだけです。
貴樹は、愛が先にあって後から恋に落ちましたよね。
どっちが重いか、どちらが特別かなんて、コーヒーと紅茶を比べるくらい意味のない比較だと思います。
愛は、生きていく上でとても大切なものです。
でも、愛を深めるためには恋だって必要です。
愛と恋は、貴樹と明里みたいに相身互い身で生きる力になっている。
そんな気がします。
目を閉じて、静かに思い出してみませんか。
まだ名前さえも知らない、出逢ったあの日のことを。
名前を知った時の胸の高鳴りを。
ただただ気になって脳裏から離れず困惑したあの日を。
どのように話しかけようか考えあぐねていたあの日の苦しさを。
初めて下の名前で呼びあったあの日のときめきを。
これは、美化された過去への執着ではありません。
慌ただしい日々の喧騒の中、いつの間にか置き去りにされてしまった現在進行形であるべき「決して忘れてはならない想い」を取り戻しにいく、落とし物を拾うために来た道を少しだけ戻るに過ぎません。
大切な人が、いつまでもかけがえのない存在であり続けるため、恋をしましょう。
恋をさせましょう。
恋をさせないと、貴樹みたいに大人になってからこじらせます。
愛は自分に自信が持てるような生き方をしていれば、自然と愛を与えられる人になります。
既婚であれば、夫婦二人だけのときだけでも下の名前で呼んでみませんか。
西野カナさんの「トリセツ」を聴いてみるのもいいかもしれません。
歌詞の通りにしてください、という意図ではありません。
曲から何かを感じ取って、なくした何かを取り戻すきっかけとなり、ヒントになればなという感じです。
恋心が取り戻せるのならば、トリセツである必要はないし、音楽である必要もありません。
作中で幼い頃の明里が、人と人が出会う確率が0.0003パーセントと語っているように当たり前のことなんて、この世にひとつもありません。
この奇跡、この偶然をいつまでも大切にしたいですね。
少し長くなってしまいました。
読んでくださった方の大切な方への想いが少しでも長く続くよう祈りながら、この辺にしておこうかなと思います。
