昔、座頭の沢市はお里という女房と仲良く暮らしていました。
ある頃から、お里は早朝に床を抜けだすので、沢市は「浮気をしているのでは・・・」と不安になりました。

ある時、意を決して、沢市はお里に問いただすと、お里は沢市の目の病が治るように壺阪寺の観音様に毎朝お参りに行っていると言います。

それを聞いた沢市は疑った自分を恥じて、一緒に観音様に詣でることにしました。
しかし、内心は自分が盲人であるが故に苦労をかけていると思っていたのです。

それで、先にお里を家に帰してから、自分は壷阪寺の崖から谷へ身を投げてしまいました。

お里は不吉な予感がして、寺に戻りますが、沢市が谷へ身を投げたと知ると、悲しみのあまり自分も谷へ身を投げてしまいます。

しかし、観音様の力で奇跡がおこり、二人とも助かり、沢市の目は見えるようになりました。

おしまい

これは、歌舞伎や人形浄瑠璃で今も演じられる有名な話だけど、最後の観音様が助けるという部分が本当にいらない。
この話は信仰のためのご都合主義過ぎる。

悲恋の死は美しく、神様の力で楽に生きるのは醜悪でしかない。
と言えば言い過ぎか。

写真は、二人が身を投げたという、”投身の谷”の前の沢市とお里の像

 

前九年の役という戦で、源頼義・義家父子の軍は水が無くなり、敵の軍に負かされそうになりました。

その時、頼義公は源氏の氏神である八幡様に水をお与えくださいとお祈りし、岸壁に弓を放つと、そこから水が溢れ出し、水を得ることが出来、頼義・義家父子は戦いに勝つことが出来ました。

その水を壺に入れて持ち帰り、自分の屋敷に掘った井戸に埋めて壺井水と名付けて、地名も壺井に改めました。
戦いに勝利したので、石清水八幡宮を自分の館に勧請して、壺井八幡宮となり、現在に至ります。

おしまい

壺井八幡宮は源氏三社の一つで、河内源氏の発祥地で知られます。
壺井水の井戸は最近まで飲料水として実際に使われていたそうですが、私が行った時は、水は濁っていて、とても飲めそうには無かったです。

ここの神社の宝物は源氏三社だけあって、国重要文化財の黒韋威胴丸壺袖付、国指定重要美術品の天光丸太刀、源氏の白旗、 神功皇后の物と伝えられる鉾長刀等がある。

写真はその壺井水

 

昔、京の都に渡辺綱という武士がいました。
ある日、渡辺綱が羅城門に鬼が出るという話を聞き、門にやってくると、突然の大雨が降りだし、門で休んでいました。

すると、突然現れた鬼に兜を掴まれてしまい、鬼は空高く舞い上がります。
綱はとっさに腕を切り落とすと、鬼は「腕は必ず取り返す」と言って、逃げてしまいました。

綱は落ちた腕を持ち帰り、陰陽師の安倍晴明に相談すると、晴明は、「七日間の物忌みをし、腕は誰にも見せぬこと」と言われたので、綱はそれに従いました。

七日目の晩に綱の乳母が突然訪ねてきました。
物忌みの最中なので一度は会うのを断りましたが、どうしてもと言うので、情にほだされて家に招き入れます。

色々、話しているうちに鬼の腕を切った話になり、乳母はぜひ見せて欲しいというので、仕方なく見せると、乳母は突然鬼の姿になり、「やれ嬉しや、わが腕を取り戻したり!」と叫んで飛び立っていきました。
その後、鬼は教に現れなくなりました。

おしまい

謡曲「羅生門」では、ここで終わっていて、「平家物語」では、舞台を一条戻橋に舞台が変わっている。

また、名前は茨木童子と言い、酒呑童子の家来の一人で、酒呑童子が源頼光らに倒されたのを見て、「これは敵わない」と逃げたと言う話も。
また、鬼が報復しに来る話もある。

茨木童子は越後出身説と摂津出身説があり、面白い言われが今も残り、この言い伝えは、色々と想像力を掻き立てられるが、それはまた別の話。

羅生門という呼称は現在羅城門で統一されて、京都駅から少し行ったところにある公園の中に碑が残るのみである。