五十代の末頃、以前ちょっと触れた職場の先輩の見舞いのため同僚数人と千葉の病院に行った。その先輩は10年年上で、退職して数年経過しており間質性肺炎の末期とのことだった。しかし久し振りに会う先輩は、死期が迫っていることを自ら明かしながらも以前と変わらない笑顔で応対してくれた。私は、なぜあんなに明るく振る舞うことができるのか不思議に思った。勤務先での日々は楽しかった、自由に好きなことをさせて貰った、と。

 先輩は仙人というタイプではない。むしろどろどろの俗人である。処遇は決して恵まれていなかった。我々の前だから職場の話が中心になるのだろうが、どうやら人生そのものについてもそう思っている様子だった。それにしてもなぜそんな解脱したような心境になれるのか。

 

 同じ病を得てみると、現実を受け入れるという点では自分も同様であることに気づく。きっちりと突き詰めて考えた訳ではない。しかし今の進行具合から、特段のことがなければやがてこの病で死ぬことは間違いない。嫌だと思ってもどうにもならない。それじゃ仕方ないな、という感じ。人は瞬間々々を生きている。その積み重ねの時を普通に過ごすことができていると、死が迫っているという実感はなかなか持てない。自分に関して言えば、年齢的に考えると十年早いかなとは思うが、そういう相対的な残念感はあっても絶対的な未練はない。

 

 次に入院する時には覚悟しろって言われてるんだ。でも酒は止められていない。退院したらこのメンバーを家に呼んで飲もう。よし、最後の目標ができたぞ。いや、それは無理だろう、と私は思った。先輩の病状から、仮に退院したとしてもそんなことはできそうもない。忙しいのに遠い所わざわざ来てくれてありがとうな。全員が万難を排しピンスポットで先輩の体調や気分等の都合に合わせれば可能かもしれない。しかし「忙しいのにわざわざ来ている」ようでは日程調整だけでも難航しそうだ。

 

 その後、先輩が退院したという話を聞いたかどうか覚えていない。次に先輩の名に触れた記憶は数か月後、職場のLANの掲示板に掲載された訃報だった。

 一段落した後、奥様から先輩が元気だった頃に都心の橋を巡り歩き、それぞれの名前と由来を調べ記した随筆風のペーパーが送られてきた。もちろんコピーだが先輩の癖のある手書き文字を久し振りに見て、何十年かを共にした職場での日々が一気によみがえった。

 

 あの文字で書かれた上層部への説明資料、あの文字で書かれた会議の資料。必ずしも上司を説得できた訳ではなかったり、メンバーの了承を得ることはできなかったりしたが、不思議とそんなあまりうまくいかなかった時のことが脳裏を去来し、一人の人間の悩める日常を追体験することとなった。あの頃から自分なりによかれと思う仕事をしていたけど、その分色々と苦労していた。

 

 楽しかったというのはああいう風に自分の目標に向かって、山や谷を乗り越えていく前向きな気持ちを言っているのかなあ、と考える。確かに自由ではあったけどなあ。