やっぱり余詰めがありました
…当然ながらショートレンジで撃っていくほうが作意手順です
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ある日のこと…某K楽会からの帰り道で、
とある将棋の超強い少年と一緒にとぼとぼ歩いたことがある。
彼は本格的に棋士を目指すかどうかで迷っていたのだが、
もちろん彼にどれほどの才能があるか私に判ろうはずもない。
そうして私は無責任にも
「自分の力で何かに挑戦して未来を選び取れる機会は、
そう多く来るものではないとは思う」
…などと知った風な口を利いてしまったわけである。
(しかし今同じことを訊かれてもこれ以上の答えは返せない)
思い返すたびに恥ずかしくなる話だ。。
今はただ奨励会員となった彼が悔いなく闘っていけるよう、
ひそかに祈ることしか私にはできない。
運命という奴が一体どういう構造をしているかは判らないが…
それが決して合理的選択だけで見極められる代物ではないっぽいことだけは私にも何となくわかる。
(もちろん合理的選択そのものに幸福を感じるなら問題ない)
いつの日か勝ちやすさや堅さを根拠とした現代将棋が崩れて、
よく判らない何かに取って代わってくれれば面白いとは思う。
そうして私は今日も懲りずに端歩を突き…負けていく。
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私は学問の世界に何か爪痕を残せれば他には何も要らない、
一生誰からも愛されず孤独であろうが全く構わないと考えてしまう超ネクラ人間なのでまあ恐らくは研究者向きなのだろう。
そして運命の流れは何となく血液内科に向いているようだが、
ただ個人的な境界条件から合理的に導かれた解とは全く違う。
同回生を見ていても、優秀な奴ほど進路をしっかり決めている傾向が容易に見て取れる。
しかし劣等生の私にとってそれは中々難しい相談だ。
自分という駒は、将棋の駒と比べて何と動かしづらいことか…
p.s. その後、Oヶ口君は無事プロ棋士となっている。
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