「人が制度を使う 制度に人が使われるにあらず」
これは東京裁判が始まる前、
東條英機が巣鴨で尋問を受けた際の言葉です。
昨日のNHK「虎に翼」にこんな一場面がありました
写真:NHK Webサイトから抜粋させていただきました
法制審議会の場面で官僚がこう言うわけです
「まず法が変わり、現場がそこに合わせて形にしていく強引さが、社会構造を作り上げていく」
戦後復興から高度経済成長へと日本全体が一丸となっていた当時であれば、この言葉は正しい側面もあったでしょう。
しかし法や制度というものは、本来国民が望むもの、国民が不利益と感じるものを、国民の代理人である議員や官僚がそれを議論し、形にしていくものです。
しかし今の自民党の「改憲論議」というのはまさにこの真逆で、テレビドラマの官僚の言葉と全く同じ姿勢なわけです。
人(国民)が憲法を縛る
憲法に人(国民)が縛られるにあらず
国民が望むのであれば、憲法を変える議論には賛成です
でも果たして本当にいま国民が憲法変えることを望んでいるのか
そんな議論もないまま「改憲することそのものが目的」の「改憲のための改憲」が必要なのか
私は順番が逆だと思います。
あの自民党改憲草案がそのまま成立すれば
否応なしに国民の人権は制限され、あの戦争の時代へと逆戻りします。
(おいおい説明します)
自民党の議員の方々はそれを十分に理解しているはず。
今回の自民党総裁選候補から
「国策に殉じられ、祖国を守ろうとした方々に敬意を表し続けるのは希望するところだ」
という発言がありました。
心の底からそう思うのであれば
「国策に殉じられ、祖国を守ろうとした方々」
は、そんな戦争の世を夢見て命を捧げたのか
「国策に殉じられ、祖国を守ろうとした方々」
がそんな戦争の世を望んでいるのか
今一度胸に手を当てて考えていただきたいと思います。
繰り返します
人が制度を使う
制度に人が使われるにあらず
人(国民)が憲法を縛る
憲法に人(国民)が縛られるにあらず

