終章 次世代への伝言(2)
【 硫黄島 】③
壕の中から出口を眺める
あの時、壕の中も外も地獄だった,,,
遺品
ここで、某国会議員が主張してやまない
「道具を与えられずに壕を手で掘った」
「滑走路の下に遺体が埋まっていて飛行機で踏みつけている」
という問題についてお話ししておきたいと思います。
一口に壕と言ってもさまざまなタイプの壕があるんですね。
岩場を砕いて作ったもの、司令部壕のようにコンクリートで塗り固めたもの、ツルハシで掘削したと思われるもの、また距離の短いものから迷路のように長くていくつもの分岐があるもの、綺麗な階段まで作られているもの、さまざまです。
少なくとも僕が立ち入った壕は手で掘れるようなものではないし、工具の跡がしっかり残っていました。
その地質や指示した上官によって掘り方が違うんでしょうね、壕の中の様子は一様ではありませんでした。
また滑走路の下に…という問題ですが、これは某国会議員の「努力」によって多くの方が知ることとなりました。
某国会議員の熱意によって安倍内閣が予算をつけ、調査が始まったわけですね。
探査機を滑走路に走らせて遺骨を探すわけです。
実は硫黄島には飛行場が三つありました。最大のものが千鳥飛行場、そして元山飛行場、北飛行場なのですが、千鳥飛行場はそのまま放置されて現在は草むらの中。北飛行場はペンキ跡が残されていて当時の滑走路の様子を窺い知ることができます。
北飛行場跡
ペンキの跡が見える
問題となっているのは現在の海上自衛隊の滑走路で、これは元山飛行場の滑走路を上書きして拡張したものです。
当時の滑走路からはかなり大きくなっていますから拡張部分に遺骨が埋まっている可能性はあるのですが、普通に考えればもともとあった滑走路部分に遺骨が埋まっていることなどありえないわけですね。
昼間は海上自衛隊の滑走路として稼働していますから調査は夜間に行われます。
現地で確認した話では、滑走路の下で探査機に反応するものが確かにあるそうです。
反応があると夜間にその場所を掘削して調査するわけですが、実際にその反応したものを取り出してみると人骨ではない、少なくとも私が訪れた時点まででは人骨は見つかっていないということでした。
絶対にないと断定はしませんが、遺骨を埋めてその上に滑走路を敷いたというのはちょっと誇張にすぎる。
事実を確認しない妄想という印象ですね。