第四章 沖縄の海(5)
【 妻と飛んだ特攻兵】③
彼の親友・高橋良雄さんが残した回顧録
モンゴルでの抑留生活が記されている
「戦争が終わったのになぜ出撃して行ったのか?」
実はこの疑問を解くひとつのヒントがあるんです。
戦後モンゴルに抑留された経験を持つ故・高橋良雄さんは終戦から引揚までの体験を
「敗戦二ねんかん 外蒙流浪廻記」
という手記に記録しています。その中で高橋さんは敗戦の報を受けた時のことを克明に記しているんですね。
その部分を見てみましょう。8月15日、日も暮れ、特攻出撃に備えての猛訓練を終え、宿舎で休んでいたときのことでした…
突然一下士入り来り、日本軍は負けたと言ふ
何を馬鹿な何を、気が狂ったか、誰も本気にする者は居ない
誰しも勝利を確信し、最后の栄冠を獲得する日を望んでおったはずだ
だからこそ一下士の言には反対した
我も何か解らず馬鹿なと笑った。
(中略)
負けた負けた 何事も終わった 皆傍然として自己の立場を失った 希望を失った
天皇のラジオ放送あり確実に停戦と決る
それも無条件ではないか 何故に一兵に 至るまで戦はずして負けたか
祖先に対し何と言ひ申訳が立つのか
(中略)
一兵は何事も自由にならぬ 只上司の命一下動くばかり
同士の者は気は荒んだ 酒は呑む遊ぶ
あゝ自由だったら一人で戦ふと皆言ふ誰でも思ふだらう
(中略)
二十二日武装解除 一戦も交へず解除か 馬鹿らしくなってつくづく生きるを情けなくなった
拳銃もかくした 落下傘も破った 何故か涙が出た
「妻と飛んだ特攻兵」の場合、日本軍は武装解除しているにも関わらずソ連軍は戦闘行為を継続していたという事情を忘れてはならないと思いますが、でも今の時代から考えれば、戦争が終わってもう死ぬこともなくなったのに… そう思いますよね。
国民も、軍の兵士も、だれもが命救われたことに安堵するはず。でも日本国内でも終戦そのものを食い止めようとした動きがあったように、最前線の一部兵士には敗戦の事実を受け入れられなかったんでしょう。
世田谷観音寺 神州不滅特別攻撃隊之碑
世田谷観音の特攻平和観音堂の脇には、妻と飛んだ特攻兵・谷藤少尉ら十名を慰霊する「神州不滅特別攻撃隊之碑」が置かれています。