第四章 沖縄の海(2)
【 特攻とは 】④
防衛省で見つけた誠部隊・天號作戦戦果表
3月27日と4月3日の欄に武尅隊の戦果が記されている
あくまで「タテマエとして」ではありますが、軍は天皇陛下の皇軍であり、その兵士は国民と同じく天皇陛下の臣民でした
(大日本帝国憲法の条文上)。
したがって特攻作戦当初は「軍中央からの命令」ではなく「現地の自発的作戦行動」という形をとらざるを得なかったんですね。
中央からの指令ということになれば陸海軍を統帥する(大日本帝国憲法第十一条)天皇陛下が特攻を命じたことになりますからね。
天皇は絶対にそんなことは望まないし、実際そんなことはあり得ないですが。
しかしながら戦況が悪化してくると軍としてはそうキレイゴトばかり言っていられなくなってくるんですよ。
太平洋方面や南方方面は連合国に制され、栗林中将が頑張ってくれたけど硫黄島も陥落してB29がバカスカ日本本土に飛んでくるようになる。
敵艦隊は北上していよいよ日本本土を目指してきているわけです。
すでに沖縄は目の前。
陸軍だの海軍だのなんて言っていられない。(仲は悪いけど)
そこで陸海軍が協力して行なった特攻作戦が「天號作戦」で、沖縄方面のそれが「天一號作戦」となるわけです(天二號作戦は台湾方面)
その目的は本土に迫り来る敵勢力を特攻攻撃で減退させて沖縄で食い止めることでした。
結果はご存知の通り、作戦の甲斐なく昭和20年6月23日に牛島司令官が自決して、連合国側は7月2日に沖縄戦終了を宣言しています。
沖縄方面への陸軍特攻も6月22日でほぼ終わりました。(その後は7月1日、19日、30日に計11名が出撃していますが、以後沖縄への出撃はありません。)
その後は全軍全機特攻体制となって、「本土に飛来するB29に体当たり攻撃をする」体制をとりました。
いわゆる「全軍特攻」というやつです