第四章 沖縄の海(1)
【 武尅隊の足跡 】11
彼はこの目の前の場所から飛び立った...
父母上様
御別れ申上げます
二十年の間色々御世話に相成りましたが四月三日愈々出陣です
勿論特攻隊ですから生きて再び皇土には歸りません
精神だけは永久に止りて米英撃滅に努力します
待ちに待ったこの命よろこび御想像下さい
隊長殿はじめ戦友九神鷲はすでに紙上にある通り武剋隊大戦果です
残った吾等が隊長殿はじめの弔合戦です四月三日の命日には地獄の道連れに敵空母をやっつけます
生を享けて二十年父母様に対して何一つ出来なかった事學校にばかり通って遂いに親の世話のみ受けて申訳有りません深く御わび申します
(中略)
大日本帝國のため悠久の大義に生きんとして新たなる希望に燃えてゐます
四月三日を一期とする英實は幸報です 大日本に生れ来た甲斐もこヽにあります
敵米英何ものぞ何万あらうと決して恐るヽに足りません 特攻ある以上絶対に日本は敗けません
父母上様つヽこんだ後も死に対してその戦果最后によくやったと云ってやって下さい それが何よりもうれしく思ひます
女々しい事を云はないで下さい 絶対に犬死はしません
愛機と運命を共にするも 後十数時間に迫ってゐます
父母上様御先に失禮致します 御身御大切に益々勝つために御健斗の程御祈り申上げます
(中略)
恩深き東條様にも呉々もよろしく 御恩に深く感謝して居ります どうぞ御禮申上げて下さい
よろしくと云ってゐると申して下さい
では皆様さやうなら
南立、中村、吉竹によろしく
大峯の方々。山田の方々によろしくお願ひします
昭和二十年四月二日出撃前夜記
宮崎縣竜湯郡新田町
新田原航空路兵站
新田原基地跡に残る掩体壕
4月3日15時30分、彼はほか五名の隊員とともに新田原飛行場を出撃、18時20分、沖縄・比謝川河口付近の敵戦艦に突入、
かくして武尅隊は消滅、十五名は沖縄の海に消えました。
一説にではありますが、回顧記述によれば、十五名全員が突入に成功したのはこの武尅隊をおいて他になく、極めて稀有な例であった、と...