第四章 沖縄の海(1)
【 武尅隊の足跡 】②
東京陸軍少年飛行兵学校 入学試験風景
彼の妹・英子さんは彼の少年時代のことを
「庭に叩き出されたり、教科書を破られたりして虐待を受けていた」
と僕に話してくれました。彼は当時のことを日記にこう記しています。
二十餘年の間英實に(ママ)不幸ばかりして来ました
故郷の川、山、一木一草が唯懐かしく走馬灯のように走ります
父には特別御心配をおかけしました 何時も理屈ばかり言って御困らせしました
休学して仕事に行った事 農園で叱られた事 今思って何と御わびして良いか
故郷も変った事でせう
裏山の様子はどうですか よく遊んだなつかしい場所です
これに対し英子さんはこう語ってくれました。
「ずっと前から心に決めていたんでしょう。適齢になるとすぐに試験を受けて東京に出て行きました… でも最後に兄は父のことを許したんでしょうかね…。」
昭和16年2月25日、官報第四二三九号に「陸軍省告示一九号」として東京陸軍航空学校(のち改制により東京陸軍少年飛行兵学校)生徒募集要項が発表されます。
受験ガイドである「天空翔破」(陸軍教授百瀬一著、前田干城堂、昭和16年。今でいう「赤本」ですね)によると…。
試験はまず昭和17年1月24日から2月7日まで、全国の各指定場所で身体検査による選抜。受験時の年齢にもよりますが、満16才以上の場合、身長150センチ以上、体重44キロ以上、胸囲74センチ以上が合格基準でした。
身体検査に合格者すると、2月8日から一日もしくは二日間のスケジュールで学科試験。科目は国語、算数、理科、歴史です。
合格発表は3月中旬に航空本部から「合格者のみ」直接本人に連絡されました。
でもこれで入校が決まったわけではないんですね。
合格者は「採用豫定者」になるだけなんです。
まず「採用豫定者」は昭和17年4月入校(小飛14期)と10月入校(小飛15期)に振り分けられて、それぞれ4月1日と10月1日に武蔵村山の東航に出頭して学校内の宿舎で過ごします。
そこでまた身体検査が行われるんですね。
「修業不能」と判定された採用豫定者は即日郷里に送り返されます。
故郷で盛大な激励と見送りを受けて東航にやって来たのに、最終の身体検査に合格することができなかった者たちは断腸の思いだったようです。
その気持ちは容易に想像できますね。「天空翔破」にも
「雌伏一年今日の一日に備へて来た諸君だもの、その気持ちは想像に餘りあるのだが…」
と書かれています。