第一章 ミンスクの青い空(1)
【快翔萬里〜空の果て遥か】⑤
昭和20年2月 東條邸にて
私服姿の東條と彼
たしかに当時の写真雑誌を見ると、駅のホームは人があふれていて切符がなかなかとれないと書いてありました。
「総理にお願いすれば切符ぐらいすぐにとれたんですけれどもね… 福岡には帰らず いつも東條さんのところに通っていました…。」
父親との確執があったと英子さんから聞きましたが
福岡に帰らなかったのはそれだけではなかったと思います。
彼が飛行機乗りを目指したのも、東條が当時陸軍航空本部長、陸軍航空総監を経て陸軍大臣に就任したことと関係しているのかもしれません。
昭和20年4月3日の特攻出撃前夜、彼が父親に宛てて認めた遺書の最後には、
「恩深き東條様にも呉々もよろしく…」
と四行にわたって東條に対する感謝の気持ちを記しています。
彼は満州で特攻隊の一員に抜擢されたあと、(彼の部隊・誠第三十二飛行隊・別名武尅隊は関東軍として特攻の先陣を切った四隊のうちのひとつです)、特攻訓練のため松本・浅間温泉に到着、すぐに五日間の休暇をとって東條邸に向かっています。
その際に撮影された一枚の写真の存在を知って僕はそれを探し始めますが、その際に知り合ったのが東條の孫・東條由布子(本名は岩浪由布子)さんでした。そうした東條家との関わりがあって、僕はやがて東條の人となりを調べ始め、必然的に東京裁判についても調べていくようになったわけです。
さて、こうして「快翔萬里−空の果て遥か」を書き上げる材料は徐々に揃っていったわけですが、コトはそう簡単には進まなかったんですね...