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禅昌寺のご住職の寄稿
ご住職も少年飛行兵に対する強い思いを持っておられる
蝉の大合唱が聞こえる中、禅昌寺のご住職は温かく僕を迎えてくれた。
「暑いのに遠いところわざわざ起こしいただいて… 少し待っててください。宮崎さんて方にも声をかけてありますから。ご存じかな?」
その名前はよく知っていた。
少飛の塔の脇に置いてある記帳簿、そこには宮崎さんが毎日この場所を訪れ、参拝しているさまが記されている。
書かれているご自宅の住所は禅昌寺の近くだったから、僕は以前直接訪ねたことがある。どなたも応答されなかったので名刺に書き置きをしてポストに入れておいたんだけれど、先にそれを見つけられた奥さんから僕の携帯に電話がかかってきた。
内容は…
もう主人に関わらないでほしい、というものだった。宮崎さんは東航で事務員をされていて、「東航職員会」の代表をされていた方だ。
世話をした卒業生の多くが戦地で命を落としたという現実を、未だに背負い続けているのだろう。その気持が毎日宮崎さんを少飛の塔に向かわせているのだと思う。
それに対して、いつまでもその呪縛から抜け出せないさまを見ている家族にとっては、東航という存在も、少飛の塔という存在も、心良しとは思えないのかもしれない。
「自宅に招くことができなくてすまない」と言ったあの橋本さんの言葉が頭をよぎった...

