この記事は2023年6月16日
Livedoorブログ
「ミンスクの青い空」
に私が投稿した記事です
ミンスク中心部、旧市街地地域に人工島があります。
「勇気と悲しみの島」またの名を「涙の島」
悲しみと記憶ーこの島はソ連のアフガニスタン介入から10年間の戦いで命を落としたベラルーシ出身兵士、そしてまた世界各国に派遣されて命を落としたベラルーシ出身兵を追悼するため、1996年に作られた施設です。
この国における観光地、あるいは名所と呼ばれる場所の多くは戦争に関連するものです。
この「涙の島」もその一つ。ガイドに率いられて、多くの観光客が訪れる場所です。
ソ連がアフガニスタンで戦闘を開始したのが1979 年 12 月 25 日、撤退したのが1989 年 2 月 15 日、その間にアフガニスタンで命を落としたベラルーシ人、旧共和国住民は771人とされています。
神の母の像 「アフガニスタンで亡くなった息子たちへ…」
島の真ん中の丘に立つ礼拝堂、四方を向くのは亡くなった兵士の母親たち。
遺影を抱く母、涙を流す母…
いかなる時代も、いかなる場所でも、どんな動機であれ、そしてどちらが正義であれ、
いくら名誉の称号を与えられたとしても、残された人たちの記憶と悲しみは消えることはないし、亡くなった人たちは還ってこない。戦争とは、傷跡しか残しません。
771人の名が刻まれた礼拝堂内部


この礼拝堂の中には、ベラルーシ人兵士の血で洗われた土と、子供を亡くした母親たちが墓から持ってきた土が置かれていると言われます。
天使の像
生還後、肉体的・精神的な傷が原因で亡くなった兵士たちを慰霊するもの。
像の目からは涙が流れています。
このプレートはかつてソ連駐留時代にカブール飛行場にあったもの
このベラルーシには戦争で命を落とした方々を慰霊する施設や記念碑が本当に多いです。
これらの場所には先生に引率された学校の幼い生徒も集います。
ベラルーシ国民は戦争の悲惨さを知っています。戦争は絶対にあってはならないと言います。
かつてこの国の住民を苦しめた戦争というものを、しっかり後世に伝えているんですよ。
だからこそ国民を危険にさらさない。自国から戦争を仕掛けることは絶対にしない。
ただし不届きものが一歩でもベラルーシ領土に入ってきたら、ためらいなく撃滅する。
それがこの国のスタンスです。
"Peace Loving Countries"ー平和を愛する西側諸国のやっていることは、本当に平和につながっていますか?
「ロシアを支援する極悪の国」ベラルーシの方が遥かに平和を愛していると思います。
これ、オマケ
このときついでに撮りました
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