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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

10月から12月までとにかく忙しかったので、その間つけてた記録を残しておきます(一部、私の日記のままなので、そのまま「である」調です)。実際に書いたのは2025年12月15日です。

 

  • 前日、3時ごろまで起きていたので、5時に目覚ましをかけたが、さすがにこの時間だときついよなと思っていたところ、果たしてその時間に起きた(起こされた?)。体はさすがに重かったが、ヨガをしたり、体を動かしているうちに動いた。
  • 大阪(梅田)から京都を経て、亀岡へ。保津を超えて亀岡に入るあたりから、山に雲がかかり、千代川で降り立ったら、山の方はほぼ雲というか、霧で見えなかった。途中の川の写真だけあり。出雲大神宮に向かう道すがら、導養寺があり、その横にお社が三つあった。あとで検索したら、廃寺らしく今は近くの長林寺の観音堂らしい。ここでお社にお参りし、寺の前でお祈りをした。道に戻ると、霧/雲が晴れてきた。
  • 出雲大神宮は、神饌田→弁財天社→拝殿→黒太夫社→眞名井いずみとまずはお参りした。拝殿でも身滌大祓。摂社の黒太夫社は地図上で気になったが、お参りしてよかった。ここでも身滌大祓。黒太夫社から本殿に戻るときにくぐる鳥居越しの山は、本殿・磐座・上之社・御蔭山 磐座を正中ともいうべきメインの仕掛けであると考えるならば、実はもう一つの仕掛けであろうと思う。
  • 出雲大神宮は、黒太夫社が猿田彦、大山祇命、本殿が大国主、上之社に素戔嗚と櫛名田比売、御陰山磐座に国常立尊、笑殿社に事代主と少彦名を祀っている。この配置の妙も素晴らしい。中心に、国常立尊・素戔嗚・大国主である。磐座前、上之社で身滌大祓。御陰の瀧の前で龍神祝詞。御陰山磐座で身滌大祓。御陰山磐座から降りて来て上之社の手前のところあたりで、ものすごく背中を駆け抜けていくようなエネルギーを感じた。笑殿社の前でも身滌大祓。再び上之社を抜けて磐座に戻り、磐座ないし古墳と本殿の間のところを本殿に向かって、再び身滌大祓をやった。
  • 出雲は、政治的な闘争もあったからだろうが、特に出雲大社のあたりはいまだに汚れていると私には思えるので、出雲大神宮の方がよほどトータルで、清涼な気に満ちていると思う。

 

JRの車窓。ここからどんどん朝靄の中へ。

 

 

 

 

 

霧が晴れていきます。

 

 

 

出雲大神宮入り口。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒太夫社。

 

この奥こそが御影山(御神体山)。

 

 

 

眞名井いずみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素戔嗚尊と櫛名田比売を祀る上之社

 

国常立尊を祀る磐座

 

笑殿社

 

バスはほぼないので、そのまま歩いて、元愛宕に向かいます。愛宕神社は今は愛宕山の山頂にあるのですが、もともとはここから勧請されたものと言われています。京都の発展とともに向こうの方が近いからということのようです。

 

 

神社ではあるんだけど、私はこの社務所の前あたりで、ものすごく仏教的なエネルギーを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

珍しい狛犬さん。

 

愛宕神社と深い関係にある養仙禅寺。ここに愛宕神社の神仏習合時代の本地佛の地蔵が眠ると言われています。

 

神応寺。ここもGoogleマップで気になってました。

 

神応寺の石仏。ここのお地蔵さんたちに般若心経を唱える必要があったみたいです。

 

この後、亀岡まで帰って来たのですが、大本の聖地、高熊山にも行きたかったものの、とても体力的に一日で回るものではかったので、あきらめて、この日は終了しました。忘れちゃうので、記録用で残しておきます。

 

 

スピリチュアル界隈だと、圧倒的に女性が多いので、やはり男性に出会うことは少ないという印象があります。もちろん、そういう出会いがないわけではないのですが、やはり関心を持っているのは女性だなあという感じがあります。

 

今までの時代は、女性が男性を立てる、ということが長く続いてきましたが、今後は女性のなかの神聖性を男性が支える、という古代と同じ時代がやってくると思います。今回、高市早苗さんが総理大臣になって、女性性の時代=女性とイメージしやすいのですが、実はこれからの時代が開かれていくための難しさは逆説的ですが、真の男性性の実現なのです。

 

私の中のイメージで言うと、真の女性性はゼロ(原典の神聖)に戻ることであり、真の男性性は経験を積み重ねて神聖にたどり着くことだと思っています。もちろん、女性がゼロに戻ることだってそう簡単ではありません。ただ、スピリチュアルな分野では、女性がゼロに戻るための方法は結構たくさん開発されていて、それを実践できている巫女的な方も少なくないと私は思っています。しかし、それに比べると、真の男性性というのはなかなか見えにくくなっているなと思います。

 

こういうのは知識で知っていても、実際はよく分からないものです。本当の意味で分かるためには、本物に触れるしかないと思います。ただ、そうはいっても、身近に本当の男性性を実現出来る男性がいるかと言われるとなかなかそういう機会に触れられる人は少ないかもしれません。

 

ですが、今の時代を生きる我々には幸いにも一人のアイコンがいます。大谷翔平選手です。子どもたちに夢を与える、仲間を奮い立たせる選手というのは、今までも私たちは見てきました。しかし、対戦相手やそのファンさえも愛するその姿勢は、今までの先人たちとは次元が違います。私は最高レベルの人たちによる本当の切磋琢磨を大谷選手を通じて初めて見ることが出来たようにも思います。とても雑駁な言い方ですが、大谷選手の人間性を称えるエピソードの中にこそ、真の男性性があります。それは難しい宗教書を紐解くよりも、確実に真の男性性に触れられる道である、と私は思います。

 

 

といっても、私はたまたまこうです、というだけの話なんですが、これを読まれた方も同じような感覚お持ちだったりしますかね。

 

私はお経については、おそらく真言宗系の調子が合っています。般若心経とか、宗派によって少しずつ唱え方が違うので、いくつか動画を比較したこともあるんです。

 

もう少し正確に言うと、最初は誰のものを見なくても、素人なんだし、自分で読めばいいだろうという感覚がありました。唱える数が増えてきて、自然になってきたというか、自分の中でしっくり来る唱え方が見つかってきたんですね。少し前にある人と交流する中で、観音経を練習しようと思って、それでYouTubeで探してたんですが、たまたまそのお坊さんが真言宗で、しかも2、3回練習したら、私もほぼ出来たんです。これには驚きました。というのも、私は歌とか、音でコピーできるタイプではないし、なんなら人より時間がかかるので。

 

驚いた私は、他でもこういうことはあるのかと思って、いろいろ動画を探したんです。他宗派のものも観たんですが、どうもしっくり来ない。それで、自分は真言宗のお経の唱え方が合ってるんだと思うようになったんです。

 

これを書きながらいろいろ思い出したんですが、子どもの頃、なんでうちは浄土宗で、真言宗じゃないんだろう?真言宗の方が良いのにと思ってたことがあって、今から考えたらそれも不思議なんですよね。たしかに、母の実家の近くに等々力不動があって、子どもの頃、お不動さんや稚児大師御影堂が好きだったりしたことはあったんですが、基本的に真言宗の知識なんてないんですよ。ここ数年、弘法大師に導かれるように、いろいろなところに行っていて、真言宗に縁があったんだろうなという感覚はあって、過去生にそういう経験をしていました、という話だったら、ことは単純なんですが、実は他にも続きがあります。

 

というのは、浄土宗にも実は縁がある、ということなんです。これもその人と話をしながら思い出したんですが、私は法然上人の直弟子であった過去生もあったようなのです。その清算はしたので、良いのですが、それをきっかけに結構、思い出す感覚もありました。たまたま増上寺を通りかかったときにお参りしたら、読経が始まって、その歌うような調べを聞いたとき、ああこんなにも繋いできてくれたんだな、という感慨がありました。

 

真言宗にせよ、浄土宗にせよ、仏教の方は実は思い出す感覚があるんですが、神社の祝詞についてはまだ全然思い出せないんですよね。ひょっとしたら、そもそも神官であった経験がないのかもしれません。一応、祓詞と、ここ最近は身滌大祓を唱えるんですが、これっていう節がまだ自分の中で見つからないんですよね。神主さんたちの祝詞はすごく好きですけどね。