清盛の事績については少し調べたんですが、まだ十分に分かったという感覚にはならず、改めて福原京の足跡を辿ることにしました。スタートは須磨寺の出世稲荷と思ったので、須磨寺から始めます。
須磨寺(亜細亜万神殿、正覚院、千手観音像、桜寿院、蓮生院、本堂、大師堂、八角堂、ひとすじ辨財天、五智如来、出世稲荷、三重塔、須磨の仇浪親子地蔵、敦盛卿首塚、護摩堂、奥之院)→荒田八幡神社→祇園神社→五宮神社→湊川神社
弘天さん。弘法大師と菅原道真の子ども時代の像を並べてるという珍しいものです。
亜細亜万神殿。
五智如来
出世稲荷。
須磨の仇浪親子地蔵
奥之院の手前、虚空蔵菩薩
奥之院
愛染明王を祀る正覚院。帰りに撮りました。
須磨寺と福原京探索で、前半後半にしても良かったのですが、そこまでの長さでもないかなとも思うので。
朝も食べずに13時頃になったので、参道でカレーパンとアンパンを食べました。ここが有名なキムラヤさんなの!?今回は須磨霊泉で禊してから向かいました。
須磨寺の領域に入ってまずは亜細亜万神殿からお詣りします。ここはアジアの仏像が集められているんですが、やはり日本とは違うエネルギーですね。でも、確実に聖域です。中国でもないですね。もっと大陸を進んだ先の雰囲気です。私は今生はまだ味わっていない空気です。
次は正覚院の愛染明王です。ここの愛染さんも強力ですね。ただたとえば南都仏画展で出会った元内山永久寺の愛染さんや、先週行った宮島の大聖院の愛染さんとも違います。三面六臂というのも関係しているのかもしれないです。複数の顔を持つ仏様はやはり多次元的な感じですね。ただ、観音様は慈悲一色な気がします。伝えるのが難しい。
仁王門をくぐって、桜寿院の白龍辨財天様にご挨拶します。千手観音はなにか一人の世界に入ってる人がいたので、ラストにもう一回来ました。
本堂は、ご祈祷中だったので、七観音様と対面することができました。というか、通常は開いてないのは知りませんでした。御本尊の聖観音は、後で調べたら、もとは大輪田の泊で発見され、須磨寺の前身の北峯寺に祀られていたようです。チャッピーとやり取りしたところ、大輪田の泊が発達して会下山のあたりも港町になって来たので、静かな須磨の地に遷って来たようです。六観音は阪神淡路大震災をきっかけに祀られるようになったそうですが、さすが須磨寺という感じですね。見事に七観音が響き合ってしまいました。実は後で、正直、もう腕輪いらないのですが、思わず求めてしまいましたよ。
本堂の隣が大師堂なんですが、その後ろのところになぜか絵馬をかけるところがあるんですね。私はほぼ絵馬を見ないのですが、この日はなぜか一つの絵馬に惹かれて、願い事を書いてない方を見ると、虚空蔵菩薩でした。
大師堂の横を八角堂、辨財天、五智如来、出世稲荷と順番にお詣りしました。出世稲荷はゆっくり話すというわけではないのですが、やはり私が知っている神様の中では、かなり強力ですね。この出世稲荷は尾玉大神を中央に荒熊大神と末廣大神を祀っています。でも、この神様はかなり謎なんです。荒熊は高取山に祀られています。
尾玉大神はメインの神様であるにもかかわらず、他ではほとんど聞かない名前です。伏見稲荷の荒神峯田中社神蹟に一つだけ祠があるようです(これは私が「伏見稲荷大社大祓御神徳記」から調べました)。ちなみに、荒熊や末廣は少なく見積もっても10以上あります。いずれ伏見稲荷に調査に行きたいですね。私の感覚ですが、強力な荒御魂というか、現実を動かしていく男性的なエネルギーで、これが他に知られてないというのは、かなり不思議です。あ、ちなみに、須磨寺参拝にいらしてる方たちも多くはここスルーされてますが、もったいないですね。
この後、三重塔、親子地蔵、敦盛首塚まで行って納経所に行きました。そこで虚空蔵菩薩がどこに祀られているのか聞いてみると、奥之院に向かう十三仏の一つとして、奥之院の目の前に唯一祀られていると教えていただきました。実は、この日は奥之院まで行かずに次に行くかと思ってたんですが、さすがの私も上まで来い、ということだと分かりましたよ。果たして、十三仏七福神まわりをすることになりました。ここすごいのは知ってたんですが、福原京、神戸のことを調べたかったので、サボろうとしてたのをガツンと引き戻されました笑。
帰りは志らはま鮨で持ち帰りの志らはま盛を買ってから、次の場所に向かいました。須磨寺駅では、私の前におばあさんがいて、その人を運転士さんは待ってたのに、一言二言交わしたら、結局乗らなかったので、乗らないんかい!と心の中ではツッコミつつ、同時にラッキーありがとう!と感謝して高速神戸に向かいました。
荒田八幡神社
荒田八幡神社
チャッピーに聞いたときに清盛ゆかりの神社として紹介されたのがこの荒田八幡神社でした。ここもたしかにすごい御神気ではあったのですが、やはり本丸は事前に調べてるときから気になっていた祇園神社だなと思い、改めて検索すると、15分くらいなので、向かいました。
平清盛像@平野。このあたりは福原京だったと言われます。
塞神の跡。ところどころに見られる出雲の痕跡。
祇園神社入口。八十八段は狙って作ったんでしょうね。そこそこ急です。
祇園神社拝殿
猿田彦神社
祇園神社の境内から神戸の町を見る
祇園神社はこの辺りだと、かなり古い神社ですね。この祇園神社の後ろの山にはかつて、上祇寺という天台宗の寺院があったようです。そして、ここで教わった五宮神社はひょっとするともっと古いかもしれません。
五宮神社の入り口。本殿、撮り忘れた。
猿田彦神社@五宮神社
大国主神社
岩松稲荷
五宮神社から祥福寺を臨む。
大倉山から平野、祇園神社方面を臨む
湊川神社
菊水天満神社
遥拝所
私の中の結論から言うと、現在の神戸は湊川神社が里宮で、祇園神社(五宮神社もあわせて)が奥宮のような役割分担になっている気がします。そして、関係者以外立ち入り禁止だったので、入れなかったのですが、道場になっている祥雲寺も守りになっていると思います。東福寺については、調べることが十分出来なかったのですが、今後の課題にしたいですね。もちろん、今の神社やお寺の方がそのように役割分担を決めているわけではなく、現地を歩いてみて、そのように機能しているだろうと私が感じた、ということです。
祇園神社の末社を見ると、市杵島姫神社は清盛と厳島神社の関係から勧請されても不思議ではないですね。この後ろに磐座があります。白玉稲荷は、この地域にはいくつか同名のお稲荷さんがあるようです。白玉と尾玉の関係も気になりますね。もう一つの境内末社に烏原神社があります。これは明治に烏原村がダムでなくなり、さらには移転した氷室村が空襲でやられたため、移転して来たようです。この神社も力があって、そして、大事にされていて気になりました。実は、私は氷室神社に行ってないんですよね。長田の水天宮に行ったときに気にはなっていたのですが、ここもそのうち行ってみます。恋愛系の神社になってるということは、浄化が必要な気もしますね。
氷室町が古い歴史を持つことが確認されるならば、今回の旧須磨寺の北峯寺のあった会下山から祇園神社のあたりまで地域的にも繋がりますね。そうなると、清盛以前から、このあたりが重要であった可能性が高いです。しかも北峯寺のあった場所と出世稲荷が近代まであった場所って、まあまあ近いですね。
祇園神社に話を戻すと、ここは廣峯神社から八坂神社の牛頭天王を勧請するときに、御旅所的に休憩したところと伝わります。廣峯神社の一帯は、天台宗が強いんですよね。随願寺や書寫山 圓教寺もすぐそこです。京都の八坂神社も一時期は延暦寺の別院でした(それ以前は興福寺)。このあたりも気になるところではあります。
思いの外、宿題が残ったな、という旅でした。2回に分かれば良い長さでしたね。すみません。
長くなったついでにもう一つ。祇園神社の後、大倉山公園に行きました(ここでようやくお寿司を食べました)。そこから最後、湊川神社に行きました。
大倉山が気になったのは、この前の護国寺のときからの大倉喜八郎繋がりを感じたからです。大倉山は大倉喜八郎の別荘ではあったようですが、本人はあまり使わず、知事時代の伊藤博文が使ってたと書いてありました。その伊藤博文が憲法草案を抱えてる銅像がかつてはあったらしいのですが、それを戦争で供出してしまったようです。憲法というのは、国の根幹です。その記念碑さえも鋳潰してしまうとは、そりゃ戦争に勝てないよな、とつくづく思いました。残念なことです。






























