元山上口駅→生駒山口神社→清滝石仏群→千光寺→鳴川峠→鬼ノ城山磐座→慈光寺→安高大神→弘法の水→神津嶽→枚岡神社
らくらく登山道ゲートの方から歩いてくると、神津嶽ふれあい広場に出ます。こちらは本来は神津嶽の裏側になるのですが、ちょうどここの部分に階段を設置しようと工事していて、通れませんでした。工事の人に回って上がってくださいと言われ、写真の正面側から上がって行くことになりました。偶然と言えば偶然なんだけど、これはこちらから参れ、ということだったんだろうなと思いました。
神津嶽本宮。
神津嶽では、身滌大祓を唱えました。御神気が吹き過ぎていく感じでした。しばらくは何をするでもなくボーっとしていました。私は実はなぜかここに来ると、いつも黒い蝶が何羽か飛んでいます。スピリチュアル的には先祖からの伝言とか聞いたことはあるんだけど、どうなんだろう。実は以前は他の場所でも見ていたんですが、最近は別に色んな所でよく見るというわけではなく、本当にこの神津嶽に登って来たときだけは、見るんですよね。季節もあんまり関係ない気がするなあ。
そんなことよりも、神津嶽を後にして、枚岡展望台まで来たときに、びっくりしました。この日は大阪というか、関西地方はすごい鱗雲で、何人か知り合いとやり取りしたときもみんな話題に出していました。それくらい鮮やかだったんです。でも、このとき、私には淡路島方面に神様が集まっているように見えました。同時に、2月に海神社から始まった一連のご神事繋がりで、淡路島に行ったときのことが、そのときは分からなかったけれども、この日、たしかに機能したと思ったんですね。相変わらず、それが何かは分からないのですが、それでもこの日の磐座でのことと、2月のご神事が私の中では繋がりました。
神津嶽から降りて来る道、少し遠回りして、椋ヶ根橋の方を経由してみました。こちらの方がコンクリート的な道が少なくて良いですね。
枚岡神社、本殿は挨拶もそこそこで、御神水のところに行きました。ただ、ちょっと少ないですよね。そのまま摂社を先に。
若宮社
一言主神社
常若の水
飛天来神社。ここは宇宙に繋がってる感じがします。私が数年前、最初に来たときは、ここら辺は荒れていたんですが、最近祈りの道という形で整備されました。神様の力に相応しい陣容になったと思います。
天神地祇社
本殿。
拝殿。
ここは鹿さんです。
こちらはなで鹿になっています。
手水も鹿。
私がこの1日で感じたのは、一言主神は岡山の温羅と同じく、鬼、ないし鬼神族だったのではないか、ということです。前鬼や後鬼はその末裔で、力はその当時の人間に比べれば強力であったものの、やはり失われていたように思います。細かく説明はしないのですが、私は一言主は現在の生駒山地や金剛山地の地主神であり、今は金剛山の葛木神社にいらっしゃると思っています。でも、まさにジャイアントのようなものなので、生駒までなんてあっという間に移動出来ただろうと思います。ダイダラボッチと呼ばれていた時代もあったかもしれません。私の知り合いは、枚岡神社の元の御祭神はこの一言主でないかと考えているようです。私もそんな気がしています。彼らにかかれば、石や岩を積み上げるなど、我々がレゴで遊ぶようなものであったのでしょう。
私の個人的な感覚で言うと、以前、葛木神社に朝、登ったときに対面した一言主神は、重厚な雰囲気でした。私は高天彦神社の横から登ったのですが、その日は御神気で満ち満ちていました。私が同じ鬼族と思う吉備の温羅さんは、重厚というよりは温容な深い愛を持った感じでした。葛木神社は元は転法輪寺の鎮守社で、明治の廃仏毀釈のときに寺の方だけ廃され、神社が残ったそうです。私はあるとき、葛城山に行かなければならないと思い、次の日、行こうと思った日の朝4時ごろ、「法起菩薩」という名前を夢で聞きました。私はそれまで法起菩薩という名前を知りませんでした。私がいつも腕につけている木の腕輪は、「法起菩薩」と「不動明王」のセットのもので、転法輪寺で求めたものです。転法輪寺は戦後に復興しています。私は金剛山がかつての葛城山であり、転法輪寺の山号から徐々に金剛山が定着したことを知らなかったので、金剛山から今の葛城山に歩いて、葛城山より金剛山だよな?と不思議に思っていたものでした。法起菩薩は、役行者が葛城山で感応した仏で、本当に葛城山界隈でしか聞かない名前です。ただ、私は一言主と近しい感じはしています。ひょっとすると、一言主が成仏した姿、転生した姿なのかもしれません。
家に帰ってから空が一層、変わっていくので、記録で写真を撮っておきました。






















