驚くことに、室生を歩くからの続きです(笑)。
室生を後にして、さすがに雨に打たれたせいで、寒くなりました。子どもの頃に叱られたまさに風邪を引くような状況です。一応、途中でお昼のパンだけを3つ買って食べながら向かいます。
幣掛神社。吉野を歩くスタートはここから。
太鼓橋。登りきったところ。ここからなだらかな上り坂です(あ、この日は勝手神社までだったので。そこから先は急なところもあります)。
総門(黒門)。
東大寺を作った余りで作られたのではないかと言われる金峯山寺の鳥居。神仏分離で壊されなくて良かったね。
鳥居のすぐ裏のの行者堂。もちろん、役行者を祀っています。
今回、吉野に来た一つの理由は蔵王権現の特別参拝だったのですが、吉野に来たら、絶対に行きたかったのは再建された勝手神社でした。放火による焼失から20年以上かけてついに再建がなされました。焼失していなかったら、間違いなく、世界遺産にも登録されたことでしょう。
私は新しい社殿を前にして「神様、お帰りなさい。おめでとうございます」と申し上げました。私の想像ですが、神様は社殿が焼かれて無くなってしまったこと自体にはそこまでこだわりはないと思うのですが、そのことに傷つき、再建までに心を砕いてきた人々とはともにあったと思います。本当に良かったなと思います。
新しい社殿は、明るい基調で、まったく今までとは様相を異にしているはずです。それでも、私はこれはこれで、新しい時代を切り開いていく、そういう役割があるのではないかと感じました。たしかに、日本は古いものを多く残していて、それが魅力でもあるのですが、現代には現代の時代性があり、それを反映したものはいつか歴史の中で評価されることでしょう。評価されなければ価値がないわけではありませんが、そういう風に人々から愛されるといいなあとは思います。
勝手神社の前でお参りを済ませたら、勝手神社の神様が長い間、逗留されていた吉水神社へ。吉水神社の神様にもお祝いとねぎらいにお伺いしました。今もなお社務所が復活していない勝手神社のいろんなものはここで取り扱われています。
東南院の多宝塔。東寺で学んだため、多宝塔への理解が深まっています。
金峯山寺は、山門から入れない今、こちらからの方が明らかに正面という感じです。もともと、山上ヶ岳に対して作られているので、そちらが正面を向いているのかもしれません。
天満神社(威徳天満宮)。
本堂の特別参拝、最高でした。入り口で杖を持って入ったら申し訳ないと思ったんですが、さすが金峯山寺、誰も何も咎めないし、持って入っていいですよ、という感じです。さすがに雨の山の中を歩いてきた杖は場所を取るし、他のお客さんに申し訳ないので、入り口のところに置かせてもらいました。
私は数年ぶり2回目の特別参拝なんですが、その当時に比べていろいろ感じるものは違いました。その時も今も金剛蔵王権現を怖いと思うことはないんですよね。私にとってはどこまでも親しみのある仏様です。ご本尊の蔵王権現以外にもいくつも素晴らしい仏像があり、そして、この日は写真展も開かれていました。一通り見終わった後、戻ってくると、障子で区切られた小さな空間で、それぞれが間近でお参りできます。最初、畳のところからお詣りしていたときは、たくさんの人がいたのですが、私がこの間に来たときはほぼ人がいなくて、ちょうど釈迦如来の一番間近の席で、お参りすることが出来ました。とにかく、蔵王権現のエネルギーが充填された(再ダウンロードされた)、そんな感覚でした。
お詣りしているとき、私の頭の中にあったのは、東寺をお詣りした経験を経て、光明真言と繋がっているはずなんですが、どのような意味で繋がっているのかは分かりませんでした。授与品のところを見ていると、「金峯山勤行儀」以外に『新蔵王権現入門』がありました。読み始めてみると、最初の方に金剛蔵王権現の意味が書いてありました。金剛とは金剛界、蔵の蔵とは胎蔵界の意味、金剛蔵王というのは金剛界・胎蔵界の王という意味で、これは密教における大日如来であり、釈迦如来は大日如来と別なのではなく、大日如来が人の姿として現れたのが釈迦如来であると説明されているのです。私はすごく得心がいきました。
そういえば、蔵王堂まで来て「あ、そうだ。五嶽神鏡をしばらく確認してなかった。曇っているかどうか確認してみよう」と思いました。ドキドキしながら、あとで確認したら、まったく曇っていませんでした。ズボラな私のことだから一生、鏡磨きなんてしたことはないんですが、曇ったことがないんだよな。
今回は覚悟を決めて脳天大神まで下りるかと思ったのですが、ちょうど、ここのところで夫婦の奥さんの方がお堂を閉めている話をしていたので、ここまでにしました。しかし、改めてここが吉野朝宮だったんですね。
この近くは桜ソフトクリームを200円でした。
吉野では参道にいくつか民芸屋さんが並んでいます。私はかつてこのお店で草鞋を買い、それで金峰神社まで歩いて行き、帰って来たことがあります(帰りの駅に着く直前に壊れましたが)。そのとき、ここのお店の方に親切にしていただきました。店先の手作りの鍋じきと、小さなすり鉢を買いました。店の方は私のことを覚えていてくださって、お話しできました。杖を見ても良いかとおっしゃられるので、どうぞというと、「ありがたいね」とおっしゃって触ってくださっていましたが、そんな言葉を聞きながら、「ありがたいのはこちらです」と思って眺めていました。それはまごうことなき祝福でした。




















