ウイルスは、菌や体細胞と同じように、体内に取り込んだ「養分」を使ってDNAをコピーし自らを分裂させ自己増殖する単独の細胞ではない。

体内の「アミノ酸>塩基」を利用して分裂し自己増殖しているのでなく、体内の原子を歪んだ波動に共振させ、オルグしていっている物体=ナノ生命体である、と私は観ている。

 

即ち、ウイルスの波動が体内の水分子に転写されたり、その他の原子に移ったりするのである。

自己増殖でなく、ゾンビのように他者を同化していくのだ。

 

このことを生物学的に描けば、タンパク質の殻に内包された核酸を宿主(人間)の細胞に送り込み、宿主のDNAにウイルスを複製させる、といった現象として見えるのである。

しかし、そう捉えたところで予防にもならないし、特効薬もできない。できてもすぐに変異してしまう。特効薬が変異させているのかもしれないのだ。つまり、陽子をもっと歪ませる。第一波のウイルス群を薬物で歪ませ、絡めとって体内から排出して治った、治ったと喜んでも、さらに歪んだウイルスが再び人間の体内に入り込む。そうして、ますます手に負えなくなるのである。

 

体全体がウイルスと同じ周波数で振動し始める。不調和をまねく揺れである。肉体の振動は精神に転写される。

精神に転写した波動は、再び肉体へと作用する。すると、病気が症状を発し始めるのだ。

 

もっと細微に観ると、ウイルスは遺伝子に似た分子を有しているので、それの発する〈歪み波〉は人間の遺伝子に影響を与えやすい。人間のDNAが歪むのである。歪むとは情報が攪乱されうまく働かず、機能不全を起こすことである。そうなると恒常性が保たれなくなる。これが不調の自覚症状の状態である。

 

その時、感染した者にウイルスの波動を正常に戻す力があれば、ウイルスは増殖できず、したとしても無害であり発症しない。

こう捉えた時、初めて予防や治癒の緒につくのではないか

 

正常に戻す力とは、正常に振動している原子によって自分が構成されているということである。

原子を正常に振動させるには、中性子や陽子に歪みがないこと、すなわち、己の精神が健全であり、意識が調和を持っていて、意志が真心の状態であることだ。

(足立育夫さんは、愛という言葉を用いてあったが、それにはもはや負の意味さえ付着している上に外来語であるため、日本古来の『まごころ』からイメージされる感覚が最もしっくりくると思う。

 

ウイルスは人間の魂本来の波動への挑戦であり、ポジティブにとらえれば、ウイルスという歪んだ生命体を利用して本来の正常な波動すなわち回転運動に戻る、さらに言い換えれば「思い出す」のに使えるのである。

 

自分自身の魂を正円に戻し、健全な精神をして、体内に有毒物質をなるべく取り入れない、また歪んだ考え方をして自ら毒を作り出さない、そうなった時、病気も感染も完治し、完全になくなる、と断言はしない。だが、少なくとも非常に安らかな精神と健やかな肉体でいられるのは保証する。内面に平安を取り戻した時、怒りにざわつくことなく、嫉妬にさいなまれることなく、不安におののくこともない、しずかで平穏な暮らしが約束される。

 

症状を治したり、罹患しなくなるには、内側から変えることが順序であるが、外側から内側に影響を与えていくこともできる。

 

ウイルスとは逆の、というか正常で強力な回転運動をしているエネルギーがあることもわれわれは知っている。たとえば、乳酸菌。ビフィズス菌、味噌麹菌、納豆菌など。あるいは、いわゆるEMと呼ばれる有用微生物群など。菌まで行かずともウイルスのような構造をした好転作用をする機能性構造が自然界にあるのかもしれないし、作り出せるかもしれない(が、科学や医学はそんなものがあるとすら想像しない)。また、ビタミンやミネラルなどは、それが媒介物となり有用なエネルギーを放出して、体内の細胞や機構を正常な波動に戻す力があるのではないか。それから、波打ちぎわや滝の周辺には、マイナスイオンと表現されている、正常に戻った原子が立ち込めている場があることもわれわれは知っている。それを浴びることで、自分の歪んだ原子を正常に戻すのかもしれない。

 

そして、本質を捉えた『思考』あるいは洞察は、歪んだ波動を元に戻す働きがある。公平性や

いわゆる高次元の認識、それらが自分自身のものだ、と思えた時に、魂は霊性を取り込み、より大きな正円となっているのだ。また、陽気な笑いが出る状態の時。それは、病気でないので歪みを肉体に発症させないし、ウイルスさえ無害化する。

 

逆に、魂を歪ませ、ちいさく目減りさせていく方法もわれわれは知っている。(そのことは後で述べる)

 

魂が大きな正円になっていくことが倫理で言う絶対的な善であるとは言わない。あくまで、苦痛にのたうち回らず、苦悶しない、朗らかで力の漲った状態で生きて行くと決意するなら、の話である。

 

思考や想念あるいは洞察や認識とは、原子構造さえもたないエネルギー波であり、クォークやレプトン(ニュートリノ)のレベルもしくはそれらを構成するエネルギー波であるかもしれない。いや、もっと微細、精妙なレベルであるだろう。おそらく、思考や想念にもレベルがあり、物質的なものから純粋なエネルギーにコミットしたものまであるだろう。

原子やその構成要素である陽子や電子、あるいはそれらを構成しているクォークやレプトンが粒子に見えるのは、それが高速で回転(自転と公転)しているからであり、より微細なレベルのエネルギーが集まって大きな構造物を作っている。いずれにせよ、あらゆるものは、回転しているエネルギー体である。星も銀河も回っている。クオークやレプトンがいくつ集まるか、そして中性子や陽子がいくつ集まるかで性質がちがっているのである。そのことは、人の輪にも同じように現れる。個人の意識と集合意識の関係である。

二律背反や二項対立あるいは第三項排除に象徴されるネガティブな思考というのは、物質的なエネルギー波であり、しかもそれが「歪んでいる」と表現できるのではないか。「暗い」とか「小さい」などと、この世的に二元性で、あるいは文学的に表現しなければ、無味乾燥に数値で表すことになるが、われわれの多くが望んでいる方向に照らして好ましい、好ましくないといった指標で語ることにする。歪み方については後に考察する。

 

ウイルスの有する振動パターンが体の原子に転写される。どんどんその振動が広がっていく。遺伝子の情報が混乱し、生化学反応が正常に行われなくなる。すると、機能不全の度合いが高くなる。体は恒常性を維持しようと免疫機構を発動したり、体温をあげたりするだろう。だが、それをも弱弱しく、ウイルスの波動レベルに同化していき、やがて機能不全に陥っていく。

 

病気を治すのを正常化と共に「浄化」という言い方もされる。それは、強い毒によってウイルスをより歪めたり、死滅させたりしてキレイキレイにするという意味ではない。

自分たちの思考や意識の歪みをなくしていくという意味である。即ち、より高度な目的で生きていくということだ。原子を正常に戻すとは、元々の神の波動に戻るということではないか。「神」という言葉に引っかかるなら、ビッグバン直前の意識、暗在系の諸元の状態とでも言い換えておこう。

いや。そんな難しい言い方でなく、なりたい自分になっていく、と言い換えてもいい。エゴに取って最も望ましい現実や結果を生じさせるには、古来伝えられてきた在り方になっていくしかないように思える。人の数ほど道はあるが、結局は上に行くしかないのである。

 

しかしこの状態は、よく誤解されているように、教祖なりメンターなりの考えに堅く固くなっていこうとすることではない。“正しい考え”に凝り固まり、挙句、他人を裁き非難することとはまるで異なった状態なのだ。

 

われながらかんながらになっていくのは、まず戻り、そして創造していくこと、より大きな正円になっていくことであろう。創造しながら戻ることで大きくなると言い換えてもいい。おおきな人物とか、大人あるいは聖人・君子と呼ばれる人たちに対して、盲目な人が望んでいるような在り方はずいぶんズレている。それらは、赤子の言う事をなんでも叶える奴隷ロボットではないのである。

こうしたことは幾ら口で説明したところで解らない。そうなっているか否かを測るのは、己の健康状態と抱えている人間関係の調和度、あるいは、達成したいことの進捗度、またはやりたいと思ったことがどれくらいのスピードでできるか、などである。

「世の中、思ったようにならない」が口癖だったり、しょっちゅう風邪をひいたり、持病があるなら、考え方(魂)が歪んでいると思って間違いない。

 

 

 

世界は今、蟲毒状態にある。

勝ち残った国を使い、神を嘲笑する悪魔的世界制覇を成し遂げようとしている者たちがいる。だが、創造を凌駕することはできない。悪魔的発想のすべて、どんな微分子の毛先までもが創造性の血脈に彩られているからだ。しかも、悪魔的支配を超越するアイディアを創出することができるのだ。もちろん、我々がだ。

これが、胸躍るゲームなのである。誰かがやってくれるだろう、ではなく、また恐れでパニックになることなく、ひとり一人が考え実行する、一世一代のシュミレーションゲームなのだ。

サーファーは、大きな波ほど胸躍る。百年に一度の大波なら、雷の中にも泳ぎ出す。世界を破滅させるか、地球独特の高次元文明に至るか、この時代に生きるわれわれにかかっている。