高校全入
「反対してきた」
唐突に、あるとき廊下にいた僕に緑先生が言った。「そんな馬鹿なことはない。高校全入なんて、生徒の自由な選択を踏みにじっている」
なんのことを言っているのかさっぱりわからなかった。が、勉強もしないでどこか良い高校に入ることが保証されているなら、それは存外、楽なことのように思えた。
そういえば、先日も掃除の時間に、高校全入がどうのこうのと話をされていた。緑先生は続けた。
「泣くほどの経験を子供らから奪ってどうする」
先生が怒っているのを見たのは、初めてだった。「早く働きたい者だってたくさんいる。それに三年間待ったをかける権利など、国家にだってありはしない」
廊下に僕ひとり、他に生徒は誰もいなかった。
「全入なんてもってのほか、力を尽くして狭き門より入れだよ」
まだ、できたばかりの鉄筋コンクリートの象牙色のつるつる滑る廊下。その曲がり角に僕らは立っていた。そして先生は例のごとく、僕の向いている方を見ていた。視線の先にあった校舎をつなぐ渡り廊下は長くて太陽の光を反射し、てらてら眩しかった。
「また、公立中学の利口は、あえて自分が馬鹿になる難関私立高に行くべきだね。そうでもしなければ、壁を乗り越える忍耐力、発想力、自制心、そういうものを伸ばせないじゃないか。鶏口となるより、むしろ牛後となれ、だよ」
闊達な声で話す先生の考えについていけない。
しかしKなどは、緑先生の考えを地でいく生徒だったのだろう。
さらに先生は話す。
「社会は、失敗させないようにさせないようになっていく。でもね、自分からハードルを上げていかなければ、成功ばかりしておもしろくない」と言った。「もちろん、なんの努力もせずに失敗したんじゃ、それは失敗ともいわんがね」
自説をつらつらと語り始めた。
「この世はママならんからこそ、生きている価値がある。死ぬほど辛いときをしのぐから、有効な知恵も引き出せるというものだ。ーー他人を犠牲にしてまで生き伸びろというのじゃないがね」
先生が何をおっしゃっているのか解らなかったが、いい機会だと感じたのだろう、中学になってから思い始めた疑問を緑先生にぶつけた。
「授業で紹介してもらっただけではなくて、家に帰って練習問題を解いてできるようになるのは卑怯だ。それでは、自力じゃないです。テストする意味がないです」
即座に、
「学力テストは知能テストじゃないからね」
さらっと先生は流した。
先生にしてみたら、基本問題でしかない、生徒の甘い考えだったにちがいない。しかし『学力テスト』と『知能テスト』の違いを、僕は瞬時に把握することができなかった。
「学力テストは人生の縮図かもしれません」
と緑先生は付け加える。
「ひとりの人間の一生など、たかが知れています。歴史上の賢人や現存する偉人の知恵、経験、工夫。それらをありがたく拝借しなさい。彼らは喜んで分けてくれるでしょう。それから、深い真理を学びなさい。そうすれば、あなたが行きたいところに早く到達することができるでしょう」
馬耳東風とはこのことだ。
クラスメイトの説明(僕は1年の終わり頃、同様の疑問を奈緒子に投げかけたことがあった)にも納得がいかず、また緑先生の達観には理解が及ばない。そこでさらに僕は上塗りの質問をぶつける。
「自分で考えて解くのが数学です。それが賢いということです。解法を家でおぼえてきて試験で点数を取るのは、卑怯なことです。ズルです。カンニングとかわりありません」
すると先生は、
「それは、愚か者の賢さ」
と言った。僕には意味がわからない。
「誰かが発明したことは、即座に学ぶ。それが賢者の賢明さだと、わたしは思うがね。過去の発明や発見は素直にあやかって、それ以上のことを発明したらいい」
ーーサル真似にとどまらずにね。
この人は、僕を(いや僕だけでない)擁護などひとつもしていない。むしろ、辛辣なくらいだ。僕が愚か者だと明言しているのだから。
なのに、僕はこの人を最高の教師であったと、池田高校の蔦監督と肩を並べる教育者だったと思っている。
そこに差別バスターズが走ってきた。
階段を駆け上ってきた平目が例の細い目でヘラヘラしながら、
ばーか
と言ってあざけりの哄笑をした。ぐへ、ぐへ、ぐへへ
それまでやや後方にいた緑先生は平目が僕に罵声を吐きかけて去ったと同時に真横に来た。そして走り去っていく平目の背中を一緒に見ながら、
「ばかの基準の利口になることはありません」
と言った。
「人をあざけり、中傷することは悪いことです」
僕をかばうつもりか、語気を強めておっしゃった。けれど、僕はそうは思わなかった。彼には、僕をあざけり、中傷する権利がある。「やめろ」と言ったところでやるだろうし、現にやり続けている。第一、命令に従う義理も組織もない。「自由」を標榜する彼らを止めるものはない。ーー痛い目に遭って思い知るまでは。
まるで的外れな、それどころか自分に対する誹謗を跳ね返すためになされた彼にべっとりとついたスティグマを自分より弱そうな他人に貼り付けることで払拭しようと試みているようにさえ見えた。そんな努力と他人を貶めてやろうという確信犯的悪意に悲しくなった。
先生の意図はしかし、そこではない。誹謗中傷しようとする意図そのものについて言及されていたのだった。出した非はかぶる。教育者たる者、非は戒めてやらねばならない。
ナハ、ナハ、ナハハハという叫び声と共に、遅れてツヨシがやってきた。
「良い大学出た奴ほど、悪いことをするもんなんだぜ。キーェヘヘへへー」
飛行機のように走って来ては、そう言い捨て、また走って行った。緑先生はかれらの奇行を遠目に見ながら、
「今は、ゲスが威張ってる時代なんです」
とつぶやいた。
「あんたみたいのが、軽く扱われるようになった」
彼女が言うと、ゲスを見下しているように聞えないから不思議だ。まるで歴史的事実のように語られた。
「今の時代、ゲスの身分が高いんです」
なるほど。身分が高いと威張っているやつは、ゲスなのだ。これほど辛辣な観察もあるまい。
「なにもかもヒックリ返ってしまった。これまで、にっぽんで善しとされていた価値が、戦争によって、すべて負けてしまったからね」
愉快そうに彼女は張りのある力強い声で言う。しかも面と向かってではなく、必ず、話している相手の横にいて同じ先を見ながら話すのだ。
「怠け者が威張って、勤勉な者を駆逐すれば、結局は怠け者がそのツケをかぶることになるのだがねえ」
先生は慨嘆するように言う。
「戦前は、そのことは当たり前に皆知悉していたから、勉学の才能を伸ばす者を拝んでありがたがっていたもんだ。自分はただの百姓だからという言い方に諦観が垣間見えた。ただ、田畑もない教養もない、それゆえに脆弱で怯えた者だけが、自分の愚かさを熟知しながらも嫉みから悔しがった。
ところがどうだ。今では、それが理屈をつけてさも偉いかのような素振りで跋扈している。嘆かわしいものだよ、まったく」
だが、勤勉な者は健気に勉強を続けたのである。ただし、国家のためというより個人の利得のためと矮小化された目的で。
先生は落ち着いた声で話を続けられた。けれども、僕には未知のことであり、この会話を言語化できたのはずいぶん後になってからのことだった。
「共産主義運動、部落解放運動、在日朝鮮人差別撤廃運動。それらは、昔っからあった。そして、それらを盾にした嫉妬も、それらで理論武装した怠慢もずっとありました。
子供が変質したのではありません。あなたがたは、社会の意識の発現者です。大人の隠している本音をおおっぴらにやらかします。今の時代、前から人間の心にあった暗い側面やヨコシマなものが関を切ったように出てきただけです」
ひと呼吸置く。
「ねたみというのはかつて私の時代には、ひっこんで、こっそり、密かにするもんでした。表に出すと恥ずかしいものだったんです。
人間は同じものだ。それはその通りです。大差ありません。だからそこ、努力によって自分の中から引き出した知恵で差がつくんです。そこで個性が際立つ。己の本心を引き出す選択をしてそれに見合ったことをなにもしなければ、知恵は眠ったままです。
戦後は、『反省』という言葉は、罪悪感を持ちなさいという意味で、それも人殺しの戦争を正しいと思わない自分を悪く思えという意味で用いられたからね。
日本的なものへのアレルギーが全身に広がった。
戦争に負けて喪失った自信とはなにかね?」
先生の発言は、つながりがあるようで、ないように思えた。この時の僕には全くこたえられない。
「戦争に負けたくらいで、キラキラ輝くものも、まだ使えるものまで全部、捨ててしまった。それを肥やしにして、生えてきたのが毒きのこだよ。中学生は、大人社会の生き写しだからね。なんの隠し立てもせず、身をもっておおぴらに暴き出す。
しかし、毒キノコ自体は、それまで守り、積み上げてきた日本の国体の暴走や矛盾を浄化している、と私は思う。けれども、そのふりまく胞子に触れたり、食して毒素に当たった者の中で、被害者意識の強い者、怠け者たちは、たちまちかぶれて、周囲にオノレの劣等意識を蔓延らせてしまう。感化して、さんざん他人を裁き、それがゆえに痛い目にあって、やっと変えるのは、他人の思想ではなく、オノレの意識だということに気づくことでしょう。
が、まだ、彼らは、今、自分が他人にさせている経験を受け取ってはいません。イケイケどんどんの真っ最中です。あなたが、心の奥に抱いている保守的な美しい思いが今は、日陰になっている」
先生はそう言ったが、僕の中にあった保守的な信念は、揺らぎつつあった。彼らの揺さぶりで。
「いろいろ言っても仕方ありません。ともかく、ゲスが跋扈して社会の調和の取れたためしはない。世の中、いつまでも同じということはありません。ずっと変化していくものです。今の風潮も、いずれ、終わります」
最後に、そう言った。安心したが、いつ終わるのだろうと思って僕は黙っていた。
彼ら差別バスターズのしょぼい態度を思うと、こう、胃のあたりがいやーな感じがして、気が滅入ってくるのだ。
僕はヨッシャの言動にいたく傷ついたが、彼の権利を咎めたり剥奪することはできないと思った。と、同時に、自分の他人に対するあざけりや意地悪について恥ずかしく思えてきた。二度とすまいと心に誓った。
そして、これまで、ただノロマで愚鈍で醜女だというだけで意地悪していた女生徒に対して、涙を流しながら心の中で何度もわびた。
そして、そんな反省を促したヨッシャが天使に見えた。
180点 学年1位
このクラスの1番は直木だった。第2回目のフクトのテストでついに学年1位になった。なると、各教室で、何組の誰々が何点で1位だった、と教師たちが言うので全生徒が周知する。
直木は背が高く、つぶらな目をしていて、色の白い、銀縁メガネをかけた秀才風の少年だった。運動はからっきしで、反射神経が鈍く、のろまで、音痴で絵も下手。5教科はオール5だが、他が3ばかりという典型的なペーパーテスト偏重型の生徒だった。

その彼が中3の半ばの実力テストで学年1位に躍り出たのだった。
5教科総得点180点 校内偏差値は75だった。
「福岡県全体だと、偏差値は73になります」
と教師が言った。緑先生でなく、他の教師だった。事実ではあったろうが、せっかくの快挙に水を差すような言葉ではなかったか。直木の表情を見た。黙っていたが、ちょっと口を動かし反応した。
偏差値がいくつでも、点数が全科目で9割なんて、そうそう取れるものではない。
このテストが終わった後、教室の後ろで答え合わせをした。
国語に、サイシンの注意の漢字書き取り問題が出た。自信満々に解答していた僕は、不勉強者の同じ轍『最新』などと書いていたが、彼はちゃんと『細心』と書いたと言った。頻出漢字を難なく仕留めただけなのだろう。こともなげに言った。
「こまかなところまで気をつける、という意味でーー。だから、細心」
直木と自分の差。僕は鬱屈した思いを感じた。
体育の時間に移動している最中、どうして冬に車のフロントガラスが曇るのか、ということを話した。いつものように、直木の横にはぴったりと七田くんがくっついていた。
もごもごっと口籠って言い淀み、直木は、
「わからない」
と言った。
中と外の温度差で結露するのと調子に乗って説明する僕の横を歩きながら、直木は唇を噛んでいた。
言いたいが言えない何かがあったのだろう。
ある日、教室でクラスメイトが直木に向かって言った。
「おまえ、馬鹿にされると悔しがるだろう」
直木は黙っていた。僕はちょうどそこに居合わせていた。直木は表情を変えなかったけれど、明らかに本音を見透かされているように狼狽した。
小学校はちがったから知らないが、直木は幼い頃からバカバカと言われ続けたらしい。彼の穏和でおっとりした性格が、小賢しく回転の速い質の者には愚鈍に見えたのかもしれない。バカと言われると直木は黙りこくった。
テストでだけ点数の取れるバカだと思い込んでいたが、どうやら彼はテストでだけ点数の取れるバカを演じているのだな、と感じた。なるほど、そう思うと直木の行動のすべてが腑に落ちる。
そうすることが、彼にとっては最も自分を生かすことだと思っていたのだろう。将来を見据えて、副教科は捨てている
あるとき、直木とこんな会話をしたことがある。
「言うのは勝手だ」と彼は言った。「でも、オレはさみしかった。仕返してやると思った。オレがバカかどうかを他人に決められるのは、さびしいだろう?」
なぐりかかったり、猛烈な悪態を考えたりはしなかったのか、と僕はきいた。
でも直木は首を振りながら答える。
「現代には、頭の悪くないことを証明するいいものがあるじゃないか」
「なんだ」
「勉強だよ」
なるほど、と僕は思った。
「実はオレ、たいしたI.Qじゃないんだ。ちょっとサボるとすぐに成績が落ちるんだ」
おそらくこんな告白は僕以外にはしていないのではなかったか。直木はよく自分を知っていた。
ひとことも聞いたことはないが、おそらく小学校の時分から家に帰ったら毎日夜遅くまで勉強し続けてきたのだろう。銀縁のメガネがそれを物語っていた。それで、偏差値が県レベルだと73だと言われた時に、日頃の刻苦勉励が思い出されて唇が震えたのかもしれない。
その勢いは止まらず、直木は高校になっても上位にいた。理由もなく暗記が得意の『中学脳』以上のものがあったのだろう。頭の悪い自覚。それが彼の勉強の原動力になっていたのにちがいない。だからだろうか、難関私立高校は受験せず、地元の公立高校に進んだ。
彼の本意を知らぬ者たちは、高校になっても相変わらず嘲笑と共にバカだバカだと言い続け、不屈の精神を焚き付けていたようだ。現役で九大の教育学部に受かった。
僕の大学受験の終わった年、駅前通りでばったり出くわしたことがある。彼にとっては2年生の春だ。ほんの一瞬、立ち話をした際、直木はこんなことをもらした。
さすがに九大に通ると、
「このごろではバカって言ってくれる人がいなくなって、それがちょっとさみしいよ」
暴走俗『差別バスターズ』の活動記録
平目は日頃から、人をあざけって回った。
「おまえ、点数の悪いやつは汚いやつだと思ってるだろう?」

思ってもみないことを平目は言った。僕は、ただ、やつがチクチク小馬鹿にし見下してくるから払っていただけだ。思っていないことを思っていると決めつけ悪者扱いする奴だった。そうやって有無を言わさず他人を加害者に仕立て上げ、どんな攻撃をしてもよい理由にした。
その行動、物言いでいかんなく劣等感と被害者意識を発揮していたのだ。こういう強烈なことを言う者がなにを考えているか知りたいのと、差別はいけないと言う奴だから、僕はこいつと遊ぶことも多々あった。裏では陰口を叩き、蔑んでいるとも知らずに。
ワビサビのあることをあざける。情緒情操をからかう。科学的思考を馬鹿にし、そして彼自身は、ガンダムに凝っていて、幼稚だと切り捨ててこの良さが解らないのは馬鹿だと主張するのである。もちろん、誰もガンダムについて文句を言った者はいない。
愉快な奴かと思って、平目に冗談を言っても、通じない。馬鹿にされたと怒りだし、恨みをあらわにする。
「見てくれの悪い者、頭の悪い者、スポーツや芸術の才能のない者、そんな俺たちがこんなに頑張って生きとるとバイ。苦労しよっとバイ」
主婦のセンチな嘆きのように聞えたが、彼にしても、最大に自分を生かしたいにはちがいない。奥底の望みは、偉大な自分を認められることであった。ところがそれが素直に出ない。これほど卑屈な考えをしているところをみると、よほど虐げられた社会集団の出自であったかもしれない。
ツヨシはこちらを振り向き、
「なめたらいかんバイ。あんまのぼすっと、タダじゃすまんけんな」
と、脅すような声で言った。
バスターズは、学校の課外にはない器械体操の大会で優秀な成績をおさめていた田嶋徹くんにもさんざんちょっかいを出していた様子で、彼はいつも暗い顔をしていた。
ヨッシャのとる方法にはこんなのもあった。「キャプテンなら、こうすべきじゃないか」とか「教師なら、こうあるべきだ」と大理想を求め、それが少しでも合致しないなら、最低の奴だと烙印を押し、あざけりさげすむというやり口だった。それで自分が頂点にいるような気になっている。いわゆる、のぼせあがっている状態だった。トドメに、集団を動員して、さんざんにやり込めた。
仮想敵なのだ。ヨッシャより何かが優れている者は、すべて敵と見なされ攻撃対象にされた。自分と平等以下でない者は、悪だったのだ。自分がレギュラーになれないチームが強くなることなど望んでいない。
こうやってライバルを蹴落として回る。
勉強のできないことを鼻にかけているくせに、どういわけか博識で、中学生が知らないような歴史を知っていた。
「日本が悪い戦争ば仕掛けたっちゃろ?」
と平目に確認していた。
また、かれらは九州の方言をしゃべらなかった。筑後弁を自在に操れないのだった。標準語の語尾に「バイ」をつけてそれらしく話す。
「とーじょーひできは、えーきゅうせんぱんバイ」
歩きながらそんなことを主張して回る。日本の国体を命がけで守った宰相を犯罪者呼ばわり。
「戦争犯罪人のテンノーは、処刑せんといかんやったとバイ」
自分も日本人なのに、日本人を敵視している。その態度が僕には非常に奇異に映った。
が、要するに妙な思想を振り回すことで優位に立とうとしていたのだ。
まず、平目が劣等感を持つ。それで、周囲にチクチク牽制パンチを食らわす。ネチネチ、ねちねち、バカにしてくる。未熟な僕などそれに応じ、まんまと自分の優越感を誘発されてしまったのである。だから、緑先生は、
「なんでん、あんたが言うごつ」
と返していたのだ。
相対的に、自分が成績上位者であることを自覚しなければならなかった。それだけで、彼らにとって、僕は敵だったのだ。理解していないところがたくさんあるだの、上には上がいると彼らに言っても無駄である。うわっぺりの数字だけ見て彼らは判断するのだから。
彼らが「点数だけで人を判断するやつはクズだ」と、吐き捨てるのはそのためだ。
ただ、僕がなんとなく勉強していたということは反省しなければならない。進路をどうするか、考えてもいなければ、あがいてさえもいなかった。もし、勉強が命なら、彼らの低級な意識に巻き込まれることも、不可解さに首をかしげることもなく、黙ってボコボコにしていたことだろう。
だが、少なくとも、この時期、勉強のできない彼らは、とりあえず上級学校に進んでモラトリアムを謳歌できるはずもなく、早々に自己を決定しなければならなかったのである。親や周囲によって決められたマズイ自己像に必死にあらがったり、乗り越えようとしていたのかもしれない。それゆえ、自己選択において、僕よりも真剣だった。
彼らは僕に『自分に眼を向けろ』と伝えていたにすぎない。彼らが自分たちに注目させたいとは、裏返せばそういうことである。自分を見つめて、選択すべき自己を定めよと鼓舞していたのだ。
ところがそれに気づかなかった僕は、百人並の親や周囲に同化して、同化することで摩擦や軋轢を回避し、そのままズルズルと幸せな日々を送り、希薄な自己意識に成り下がって行こうとしていたのだった。(そのツケというか神の慈悲というか、高校に行って、反吐を吐くほど自分を問い直さずにはおれなくなったのだが)
社会的不平等の上に成り立っている、生まれつき有利な者の努力など、彼らには無視されるべきことどころか、蹂躙しなければならないことであったのか?
いや。バスターズが点を取る者をさげすみ足を引っ張るのは、努力しない自分を正当化しているというよりも、点数に善悪や優劣をつけて、点数の高い人が、低い人より聖人であるように見なすことについて反発しているのであるはずだ。
順位や偏差値は、これまでやってきたことの成果を確認した瞬間に用済みとなる。相対的な評価が良かろうが、悪かろうが、自分としての伸ばしどころを見つけたら、すぐに捨て去るものだ。いつまでもほおずりするものではない。ーーといった諦観に導いてくれたのも彼らであった。
彼らの仲間には、同じ小学校から来た双子のキムラ兄弟というのもいた。小学校から野球をやっていたのたが、彼らも方言が使えず、どういうわけか、自分たちは日本人より優秀だという空気を漂わせていた。日本人を虫けらのように思っている。体力や運動神経はよかったけれども、他地区の者と息を合わせようとしない。
そこにレギュラーになれなかったヨッシャと平目がチームメイトやキャプテンの悪い噂を流して分断工作を図ったことも重なり、どことなくバラバラでチームワークが育つこともなく僕らの学年は各々がスタンドプレーをするだけのチームになった。
この違和感について、大人の誰も教えてくれた者はいなかったし、誰も介入して改善することもなかった。
兄弟とも目が細く吊りあがりエラが張っていた。彼らの部落は三池の炭鉱労働に従事している者が集団で住まう地区のようだった。
戦後の平等意識が主義に変貌し、正義となり、妬みと結びついて発露されれば、努力も知恵も品格も美学も吹き飛ぶ。結果を攻撃すれば、済む。不良とはちがう『差別バスターズ』
小学校時代には称賛された努力、協調、礼儀、などが全て悪と定義しなおされた。これは、自意識の芽生えと同時に、この時代に大人社会の隠していた本音が現れ、旧体制的な価値観をことごとく駆逐していたのである。
「学校の規則を生徒同士で守るよう注意し合うように」
などという教師の無責任な発言にまんまとひっかかってしまう高慢稚気で教師になびく僕のような者が標的にされるのは、当然としても、目標を持って勉強したり、目標を持ってスポーツをしている者にとっては地獄だったにちがいない。
校則を嫌う者や劣等感を持つ者の支持を受け、バスターどもは猖獗を極めていた。だが、(やらないとやられるからと)バスターズと一緒になって集団シカトをしていた者も、今度はそのターゲントにされた。
精神的に追い込まれ、僕のところに悲しそうな目で避難してきた。
バスターズに足を引っ張られて萎え、勉強しなくなった者、または足を引っ張られても決して伸びるのをやめなかった者。
直木と磯部もこうした足の引っ張りに屈しなかった生徒だったのではないか。
気の強い女の子のように気の強い磯部は、嵐のように吹き荒れるバスターズの走り去っていく様を見て、ゲスが! と言った。

すると、すかさずヨッシャと平目は、
「サベツだ!」
「ビョウードーだ!」
と騒ぎ立てた。
癪に障った彼らがつっぱり連中に告げ口した。
磯部は徹底的に彼らと対峙し譲らなかったので、左手の甲に根性焼きなど入れたやつがいた。けれども、決して萎えることはなかった。比較的小柄でそれほど運動の得意でなかった磯部は、いちいち心を揺らすような暇人ではなかった。
磯部の思いを代弁するなら、きっと、直木にコバンザメのようにくっついて回る七田くんの威勢よく叫んだ、
「おとなになってからの序列は、腕力じゃない。学歴だ!」
ではなかったか。
七田くんはけれど、なんだと! とすごまれると、シュンとなって、あ。はい・・とすぐに引っ込んだ。

直木は徹底的にバカなふりをすることでノーマーク、やり過ごしていた。瀬戸橋くんは父親が学校の教師をやっていて、クラスメイトとの間の取り方がうまかった。安西女子は顔が仏様、観音様のようで、風格があり、その微笑に誰も文句を言えなかった。

獣や人間や神の入り乱れている公立中学では、妬みや足の引っ張りをうまくかわす術を会得していなければ、おちおち学年1位にはなれたものではなかった。
そしてバスターズ活動の極めつけはこうだ。
こんなことは、悪びれた中学生の流儀などと言って捨て置くものでもない。
真冬の寒いなか赤ギレになりながら、バケツに浸けた雑巾を固く絞って廊下の拭き掃除したあと、掃除をサボって遊んでいたヨッシャが土足で歩き回った上履きのままあがってくる。雨でぬかるんだ中を歩きまわった泥を、上がり框のところでこさぎ落とし、足をぐねぐね動かしピカピカに輝いている廊下にねしくりつけた。まるでゴキブリが黒いクソを後ろ足で壁に塗りたくるようにーー。
この時点で、こいつが将来どんな職に就くのか、おおよその見当がつく。
少年ナイフ
どうやら、僕を集団で追い込もうと、こそこそ陰で策動しているような素振りを見せた。彼らの常套手段だった。ヨッシャと平目があらぬことを告げ口して標的に仕立てあげようとしていたのだ。
2年生のときだった。
家に帰った僕は道具箱から錆びた切りだしナイフを探した。次の日から、ポケットにしのばせて登校した。何日か待っていたが、廊下で会っても手を出してこなかったので、持っていくのをやめた。
ツヨシは命拾いをした。
危害を加えてきたなら、本気で刺そうと思っていたからだ。
彼らは、僕から向上心を殺いで喜んだかもしれないが、日頃おとなしく黙っている者こそ最もアブナイことを彼らは知らないようだ。彼らと同じように『平等』にひれ伏せば手を出してこないのだ。卑怯というかズル賢いというか。
そして彼らは決して直接に手を下さない。かげでボロクソに悪口を言い募り、仲間を洗脳し、さらに悪い噂を撒き散らさせ、全員を疑心暗鬼にさせていく。
その悪い噂とは、それを発した者のことであるのだが、まるで自分から剥がすかのようにターゲットを孤立させていくのだ。噂を信じ彼らと一緒になってターゲットを軽蔑していたゴマメの構成員も、その内、標的になる。そうすると、自分がなにをやらされていたのかを知ることになった。
「ぼくは、そんなつもりでーー」
「うるせえった。お前なんか、どげんでんよかった!」

吐き捨てた。なるほど。と僕は妙に納得した。確かに、僕がどうあろうが、こいつには責任のないことだ。どうしてこう、人は真実しか口にできないのだろう。と思った。僕がどういうつもりであろうが、彼が決めつけたことが真実であり、その真実に忠実に行動しているのだ。自分の貼り付けたレッテルが僕そのものであると信じ込み、それを攻撃している。
つまり、僕にそんなつもりがなくても、俺のシッポを踏みつけている、と彼は言っているだけなのだ。ヨッシャにとって、何かが自分よりデキる奴は敵だった。敵に敵意がなくても、被害を受けていると思い込んでいるのである。彼は妄想と戦っている者だ。
おそらくは、同じように親に凄まれて生活してきたのだろう。それを周囲に撒き散らしている。
しかし彼らはそんな手で追い込むこともしなくなった。その理由は二つあった。一つは、僕の成績が下がったからだ。彼らにとって脅威ではなくなったのだ。もう一つは、腕っぷしの強い、僕の1級上の従兄のマサルちゃんがこいつらを締め上げたからだった。
特に頼んだのでもなかったが、マサルちゃんが察知して手を回し、彼らを呼び出して始末をつけたのらしい。
「もう、なにもせんごとなったやろ?」
とある日、マサっちゃんは学校で出くわした時、僕に言った。
締め上げられたあとヨッシャは、恐る恐る近寄ってきては、腫れものでも触るようにタッチしては、おおげさに、うわぁーなどというように、のけぞってよけるようになった。
それから僕は『裏番』ということになった。まさるちゃんがどう触れこんだのかは知らないがーー。

なんにしろ、こいつらは命拾いした。僕の抑制のスイッチが切れたとき、人間の法律は消えうせる。
だが暴力より、もっと効果的で賢明な『復讐方法』がある。
そんなある時、ツヨシがいつになく弱々しい口調で言ったのを耳にした。
「キチガイって言うたらいかんとバイ」
はて? さんざん言って回っていたが、と思った。おそらく安田あたりが、ツヨシはキチガイじゃ、と笑いながら言ったのが利いたのだろう。
他人にしていたことを自分がされて学ぶことも、この年頃には多い。
同じことは、勉強でも起きた。
このヨッシャ、ーーさんざん成績優秀者の足を引っ張っていた彼は、この時から1年後、公立に落ちて入った私学の商業科でクラス2番になってしまったのだった。
1組から15組まで750人ほどいる学年の中でも、上から片手に入る番付を得たのだ。
下には下がいるものだ。
主に公立の商業科や工業科に入れなかった者たちの集団であるから、勉強の不得意な、やる意義も持たない生徒たちの中にあって、相対的に押し上げられたツヨシは、計らずもエリートになってしまったのだ。その学校の商業科の中では、紛れもなく成績最上位者に名を連ねてしまった。
ヨッシャが何を恐れたか?
想像に難くないだろう。自分が中学時代に同級生全員にやっていたことがなんだったのか。この時、気づかないわけにはいかなかった。
嬉しさ、優越感? そんなものはあっと言う間に消え失せ、居心地の良くない思いがしてくる。クラスや学年の成績下位者たちが何を思うか。勉強なんか糞食らえだと思っている連中が。ヨッシャに対してどのような目を向け、どんな態度を取ってくるのか。
共に伸びようと切磋琢磨する同志ではない。あるのは、執拗な嫉妬。すなわち平等主義だ。
このあたりのことは後日談になるので、軽く触れるに留めておこう。だが、中学時代のヨッシャは自分がこの後、どんな目に遭うことになるのか、夢にも思わなかったろう。
こいつらのやったことが、僕にどれほどの影響を与えただろう? もしあったとすれば、勉強しない言い訳の一つとして新たに陳列されただけのことだ。非常に不可解で不快であったがーー。
ましてや、小学校の頃から東大だ、九大だ、旧帝大だと明確な目標をいだき毎日勉強してきた者たちが、こいつらの横槍や足の引っ張りやパンツの引き摺り下ろしごときで、己の意思を曲げるとは思えない。ますます自分を焚きつけ、やる気を出したことだろう。
これまで毎日、ヨッシャや平目が周囲をねたんだりひがんだり噂を撒き散らしたり足を引っ張ったり世の中のせいにして嘆いたりしている時間を勉強に当ててきたのだ。それを今更放棄するわけがない。何百時間、何千時間とつぎ込んできた時間と労力を、暇人のお遊戯につきあって捨て去るものか。
己の目標をまっすぐに見据えて日々努力尽力している者たちの足を引っ張れると思っているグシャ、それが差別バスターズの構成員たちだ。
ゴキブリ・らーめん
高校を出て10年くらい経った頃だった。なにかの用事で実家に帰った日、偶然、新聞チラシが入っているのを目にした。黄色い薄っぺらい紙に漫画が描いてあり、「みんな食べに来て、僕を助けて」といった意味のコピーがついていた。
ツヨシが中学時代呼ばれていたニックネームと同じ店名のラーメン屋がオープンするとのこと。いやな予感がした。
まさか、ツヨシじゃ?
まだ、成り上がろうとしていたのだ。それも、なんの努力もなしに。品格も持ちあわせず、工夫もせずに、ただ勢いだけで? いや。きっと、どこかの料理店で修業を積み、ノウハウを盗み、資金を貯め、満を持しての開店だったにちがいない。と僕は思い直した。
「ラーメン屋ば、なめたらいかんバイ」
中学時代、とつぜん彼がそう言って意気込んだのを思い出した。学年自習の時に、ある教室に不良が10人くらいつるんでいる所にでくわした。
その中央に椅子に腰掛けたツヨシがいた。
「おれは成り上がってやるとバイ」
と意気込んだ。
たいていは、売れているタレントや歌手などを対抗して口汚く罵るのだが、矢沢永吉だけは崇拝していた模様だ。
「こんなおれだけど、いつか、きっと、地獄から這い出してスターになってやると夜空の星を眺めているとバイ」
ツヨシはいきなり自分の世界に入り込んだのだろう。感傷をたれた。深夜ラジオの受け売りか?
「たかがラーメン屋くらい誰でもできると思っとるやろ」
ツヨシがしたり顔で言った。
他人の無理解には唾を飛ばして抗議するが、こうして、こちらの思ってもいないことを咎めるのが、バスターズの常とう手段だった。彼らは、意識して尊敬していなければ、さげすんでいるという論法を立て、相手を責めるのだ。
まさに、朝日新聞と同じ手法だ。
たとえば『進出か侵略か』問題。
「教科書の草稿に侵略と書いてあったのを政府が進出と書き換えさせた」とありもしない事を書き立て、騒ぎ立てる。
やっていないことをやったと、火のないところに煙を吹き込み、事実を捏造する。
「ゴキブリらーめん。へっ、ゴキブリ大盛り五百円!」

なぜだか自虐めいた声で叫ぶと、狂気じみた声でゲラゲラ笑った。
そうして、小学校の横にあったラーメン店がとうとう潰れた、とツヨシはあざけった。それでもその店は10年くらいは開いていた。
父の話しによると、
「ラーメンがきたので箸を割って麺をつかんで口にもっていこうとしたとき、店の女が、いまおれの横で食い終わった客の飲み残したスープをダーと釜の中に戻したじゃんか。よく見ると、店の奥の棚にはネズミがちょろちょろ走り回っている。食う気が失せて、金だけ払って早々にでてきたぜ」
のようなのだ。
こんなよくできた話しが彼によって体験されたはずもないから、誰かに聞いたことをさも自分が被害にあったように話したのにちがいないけど、小学校の生徒の間ではゴキブリラーメンと呼ばれていた。
実際にそこで食べた同級生によると、実にうまいのらしい。店の前が通学路だったので、僕も小学生の時に暖簾の奥をのぞいたことがる。湯気の立ちこめる中、中年の女の人がひとり、カウンターだけの店にいた。
ゴキブリラーメンという響きが気に入ったのか、ツヨシはなんども嘲りの口調で繰り返した。ゴキブリラーメン! ゴキブリラーメン! 周囲の者は愛想笑を浮かべ黙っていた。
「ラーメン屋ば、バカにしとるやろ?」
とまた、ツヨシが思ってもいないことを思っていると言い張り悪罵してきた。いましがた、ゴキブリラーメン店のことをボロクソにけなしていたばかりだったのに。
いつもこの手で、自分が被害者になりすまし、仕返しや報復を正当化するのだ。
「ラーメンでのし上がって、ベンツに乗り回す人だっておるとバイ」
自分の話に酔い、いきり立った。

自分の欲することをけなしにけなしまくる輩は時々いる。公務員のことをボロカスに罵っているのに、ちゃっかり自分の子供を公務員に導く自営業者とかーー。
「おれは、ラーメン屋で成功して、ベンツに乗るとバイ! 1億円の豪邸に住むとバイ!」
ビッグマウス
頭の中では成り上がりのロックスターが踊っていた。
(言うだけなら誰だって言える。出来ないから、言いたくても言えないのに)
と思いながらも、僕の中にも、いつでも解き放たれたくてうずうずしている〈大きな自分〉がいることを感じていた。
しかし平目にしてもツヨシにしても、こいつらは人の思ってもいないことまで言い当てる能力が卓越しているのだから、占い師にでもなった方が大儲けできるのではないかと思わないでもなかった。
車を走らせていると、国道沿いのよく目に付く場所にその店はあった。らーめんヨッシャ ちょうど開店したところのようで、『半額セール』と貼り紙がしてあった。
あの時の夢をついに実現したのだ。あのビッグマウスはハッタリではなかったのだ。
知りあいに声をかけたのだろう、十脚ほどあるカウンター席に同じ年ごろと背格好の人ばかりが埋まってた。
信号が赤だったので、ゆるゆると進める車の窓から店内をうかがった。競馬馬のスタートのように、サクラたちは一斉にラーメンをすすり始めた模様だ。こんな場面に、1寸の狂いもなく出くわすとは。ほんの数秒だったが偶然に目撃することができたのだった。
その後、そこを何度か通ることがあった。なんど通っても、誰もいなかった。昼時も、夕飯どきも。客が居るのを1回たりとも見かけたことはなかった。店主の顔さえ見えない。
みつきと経たぬうちにシャッターが降り、二度と再び開くことはなかった。
町中からの総スカン?
ツヨシのラーメン屋は、彼がさんざん馬鹿にしあざけり倒したゴキブリラーメン屋より長続きしなかった。
かれのやっていたことを誰一人忘れていた者はいなかったのだろう。いや、そうではない。きっと、別のことでひと儲けし、税金対策で店を構えたのにちがいない、と僕は思い返した。ーーその時点では。
だがよくよく考察してみれば、ヨッシャはどこに居たのか? この問いが浮かび上がらざるをえない。
この市の人口が4万5千人として、僕らの同学年が450人だから1%、1%の者しか彼の非業を知らないし、彼に直接の被害を受けた者はさらに少なく、45人ほどだったはずだ。0・1%の者が恨んでいたとしてもたいした影響はないだろう。
にもかかわらず、市内の誰も食べに行かないということが起きた。中学から15年ほど経っているので、みな忘れているか、記憶も定かではなかったはずだ。けれども、彼の店が繁盛することはなかった。たいていの場合、どんな店でも『オープン景気』というラッキーが生じるものだ。それが起きずに、the END。
店舗自体は借り物とはいえ、カウンターやら棚やら新しく作った設備もあったろうし、椅子や寸胴や包丁はもちろんのこと、箸や箸入れ、コショウや爪楊枝などの小物類、どんなに節約しても、開店には少なくとも200万は費やしたのではないか。それプラス賃貸料を1円もペイすることができずに終わる。
彼は『全体をひとつとした内側』に居たとしか考えようがない。他人が皆かれの外側にいたのではなく、彼はみんなの中に居たのである。彼が他人にしたと思っていたことは、自分にもしていたのだ。いや、他ならぬ自分自身にしていたのである。そうとでも考えなければ、開店閑古鳥即閉店の憂き目に説明がつけられない。
また数年が経ち、平日の夕方に久留米の1番街を歩いているとツヨシがいた。僕に気付かぬふうで、いや、僕をみとめバツの悪い顔をしたかもしれない。丸刈りの頭に、前掛けをして足早に歩いて行った。折りたたみ式の台車に醤油や酒の1升瓶を数本乗せて運んでいた。酒屋に勤め、繁華街の夜の店に配達にでも行っているようだった。
後ろ姿を見送った。相変わらずガニ股の歩き方をしていた。どこかの路地に消えていった。きっと、次のラーメン店を出すべく種銭を貯めているのだろうと思った。が、それ以来、ツヨシを見たことはない。
平目のことは全く知らないが、いつか早朝のテレビで波止場コンクリートに打ってあるポストに腰掛けていたよく似た男がいるのを見た。話を聞こうとした鶴瓶に、いいなあ、おまえそんなことやって金もらえて、と言い放ち、鶴瓶は内心ムカつきながらも顔ではニカついて、そんなことって、たいへんなんやで〜と返していた。

ツヨシが高校になってからどんな目に遭ったか。僕は要所要所で現場を見せられた。また、見知らぬ者の口を介していくつかの情報を与えらえたので彼の境遇のおおよそを知っている。
ツヨシのことを生意気だ、横着だと目を付けた、ツヨシよりもっと狡猾で、もっと喧嘩の強いやつが、自意識過剰で見るからに幼いツヨシのことをまるで猫でもいたぶるようにオモチャにしたのだった。なにせ彼は、勉強のできる秀才エリート様に成り上がってしまったのだから。
僕はその一部始終を偶然、校舎の3階の窓から外を眺めていた時、いきなり視界に飛び込んできたために目撃することになったのだった。その日の放課後、ちょうど帰宅途中に出くわしたツヨシはその腹いせを僕にしてきたけれども、取り合わずに済ませた。そのあと、かなり悲惨な高校生活を送っていたようだ。
ひざまづいておしぼりを差し出したり、客の吐いたゲロや便器から外れた大便を拭き取ったりーー。
なんの仕返しもせずとも、一発のパンチを喰らわさずとも、ツヨシは夜の街に沈んでいった。
最期は50センチほど浮いた姿で発見されたそうだ・・・。彼が最後に乗ったのは、一升瓶ケースだった。
その3につづく








