普通、アニメ作品の傑作といえば、爽やかなエンディングや、ハッピーエンドを思い浮かべるだろう。だが、ルパン三世「ワルサーP38」はまったくの逆である。ゲストヒロインも含めて、主要キャラ(ルパンファミリーと銭形警部)以外はほとんど死亡、お宝も手に入らない、という結末である。それなのに、なぜ、この作品は傑作と呼ばれるのか?

作品概要

1997年8月1日、金曜ロードショー(日本テレビ系)で放送されたTVスペシャル第9作『ルパン三世 ワルサーP38』は、視聴率21.8%で、それまでの「陽気でコミカルな泥棒紳士」というルパン像を鮮やかに解体し、視聴者の心理に爪痕を残した。

スリリングで、いつ死ぬかもわからない展開。猛毒、裏切り、決死の戦いというダークなハードボイルドアニメ作品なのである。以前も書いたが、カリオストロの城は「例外中の例外」である。紳士なルパンがお姫様(クラリス)を救い出す・・・これは、宮崎駿監督、独自の作風だったのである。

ルパンの冒険の動機は、「盗み」ではない。復讐と「過去への決別、決着、清算」なのである。ルパンは、泥棒稼業を始めたころ、相棒がいた。だが、その相棒に裏切られ、愛銃のシルバーメタリックのワルサーP38を奪われ、そして撃たれた。ルパンは九死に一生を得るが、必ず復讐すると誓っていた。

そして、ルパンの偽の予告状でおびき出し、ルパンの目の前で銭形警部を狙撃した・・・その人物は手首と銃だけが見えた・・・シルバーメタリックのワルサーP38、そして「タランチュラ」の模様がルパンの目に焼き付いた。どうも、タランチュラの模様を帯びたアサシングループは、バミューダトライアングルに本拠を置くらしい。ルパンは、過去と決別するため、バミューダトライアングルの本拠に侵入する。

愛銃「ワルサーP38」が象徴する、奪われたアイデンティティ

元相棒が奪ったものは、金品よりも、ずっと、ルパンにとって尊い「ワルサーP38」が大きかった。もちろん、信頼していたのに裏切られたこともそうだ。いわば、「奪われた過去とアイデンティティの写し鏡」といえる。奪われた自身の過去を取り戻し、決着をつける。それがルパンの復讐なのである。いつも、おちゃらけた感じのルパンとは違う。自分の存在、実存を懸けた戦いなのである。

管理された安寧か、死を伴う自由か——「タランチュラ」の支配構造

物語の舞台となる暗殺組織「タランチュラ」が支配する孤島には、冷徹なまでのシステムが敷かれている。構成員たちは、島内から噴出する特殊なガスを吸い続けなければ、数時間で死に至る。これは、「自由を奪われるかわりに生存を保障される」という、現代社会における個人と組織の歪な関係への強烈な寓意である。いわば、社畜と同じだろう。ゲストヒロインのエレンは、この支配の中で「檻の安らぎ」を享受してきたが、ルパンとの邂逅により、たとえ命を落とすことになっても「自分自身として呼吸する」自由を切望し始める。彼女の葛藤は、システムに飼い慣らされた我々自身の問いでもある。

一切の救いがない「バッドエンド」の美学

本作を「至高の大人向けルパン」たらしめているのは、シリーズ屈指の陰鬱な結末に宿る美学である。ゲストキャラクターのほぼ全員が死亡し、奪取すべき金塊も、仲間を救うはずの解毒剤もすべてが虚しく海の底へと沈んでいく。

特に、ヒロイン・エレンの最期はあまりにも苛烈だ。ルパンを庇って負傷したという純粋な自己犠牲による死だった。誰よりも自由を望んだのに、ルパンをかばったのである。この喪失は、ルパンに深い痛みを刻み込む。ルパンほど、(若い)女性を大切にする人はいない。その女性に守られてしまった、そして女性を守れず、死なせてしまった。ルパンは、過去に決着をつけることはできたが、また、心に深い傷を負ったのだ。

すべてを失いながらも、過去と決別したルパンの背中に、私たちは甘美なまでの絶望と、その先にある気高い自由を見出すのだ。

結論:自由の痛みと、実存の克服

『ルパン三世 ワルサーP38』が今なお色褪せないのは、それが単なる娯楽作の枠を超え、人間の根源的なテーマである「自由」と真っ向から向き合った作品だからだ。

他者が用意した管理された安寧の中で、組織の歯車として生き長らえるのか。それとも、たとえ痛みを伴い、すべてを失うことになったとしても、自分の意志で「自由」を選び取るのか。本作が描いたのは、現代を生きる私たちが直視を避けてしまいがちな、過酷で、だからこそ美しい選択の姿なのである。