『シン・ゴジラ』を見ていて、不思議に思ったことがある。
なぜ、東京が壊滅的な被害を受けたあと、政府は立川へ行ったのか。
八王子でもない。
さいたまでもない。
横浜でもない。
立川だった。
映画だから適当に選んだのだろうと思っていた。
調べてみると、逆だった。
現実の日本政府が、本当に立川をバックアップ拠点としている。
しかも、想定されているのはかなり深刻な事態だ。
首相官邸が使えない。
内閣府も使えない。
防衛省も使えない。
そこまで東京都心の中枢機能が傷ついた場合、政府の災害対策本部を立川へ移す仕組みが用意されている。
そのための施設が、立川広域防災基地にある**「災害対策本部予備施設」**だ。
内閣府の公式資料では、政府災害対策本部の候補は、首相官邸、内閣府、防衛省の順。それらが使用不能になった場合に立川の予備施設を使うと明記されている。
だから「東京が壊滅したら政府は立川へ」という話には、ちゃんと現実の制度的な裏付けがある。
ただし、正確に言えば「東京」ではなく東京都心だ。
そして、立川が日本の臨時首都になるわけでもない。
国会も、日本銀行も、全省庁も、皇居も、一斉に立川へ移ってくるわけではない。
移ってくるのは、国家レベルの災害対応を指揮するための司令塔である。
それでも十分にすごい話だ。
なぜ、立川なのか
ここが一番気になった。
東京から離れればいいのなら、八王子でもいい。
もっと遠くてもいい。
では、なぜ立川だったのか。
答えは、内閣府自身がかなり明確に書いている。
立川広域防災基地のメリットとして、まず挙げられているのが東京都心から約30kmという距離だ。
内閣府はこれを、「都心と同時被災が考えにくく適度な距離」と説明している。
さらに、比較的地盤の良い台地、余裕のある空間、防災関係機関の配置も理由として挙げている。
この「約30km」という距離は面白い。
霞が関から5kmや10kmでは、同じ大地震、大規模火災、停電、通信障害に巻き込まれる可能性がある。
逆に100km、200km離れてしまえば、東京都心への救援や政府要員の移動が難しくなる。
つまり、
近すぎれば一緒に倒れる。
遠すぎれば使いにくい。
立川は、その中間にある。
企業のITで言えば、DRサイトの立地設計に似ている。
本番データセンターの隣に予備センターを建てれば、同じ災害で両方落ちる。
だからといって遠隔地に置きすぎれば、切り替え後の運用が難しくなる。
国家のBCPにも、同じ発想がある。
立川には「会議室」ではなく、災害対応の一式がある
しかも立川の強みは距離だけではない。
立川広域防災基地は約118ヘクタール。
そこには災害対策本部予備施設だけでなく、東京消防庁、警視庁、海上保安庁、陸上自衛隊立川駐屯地、東京都の防災施設、災害医療センター、日本赤十字社関係施設などが集まっている。
そして、立川飛行場がある。
首都直下地震が起きれば、中央線が止まるかもしれない。
高速道路も使えないかもしれない。
一般道も大渋滞になる。
その場合でも、ヘリコプターを使える。
内閣府の資料も、立川への移動について「利用可能なあらゆる手段」を使い、必要に応じてヘリコプター等を活用するとしている。
つまり立川に置かれているのは、単なる非常用オフィスではない。
政府が判断する。
警察と消防が動く。
自衛隊が人と物資を運ぶ。
負傷者を災害医療センターへ運ぶ。
東京都の防災機能とも連携する。
司令、輸送、救助、医療、備蓄を一か所に近接させた巨大な災害対応システムなのである。
令和8年版防災白書にも、首都直下地震などの広域災害に備え、立川災害対策本部予備施設を維持管理することが明記されている。
昔造った施設を、そのまま惰性で残しているわけではない。
今も国家BCPの一部なのだ。
しかも、阪神・淡路大震災後に増強されていた
施設の歴史も興味深い。
災害対策本部予備施設の本館は1988年に竣工した。
その後、1995年に阪神・淡路大震災が発生。
1998年には第2期工事として新館が完成している。
つまりこの施設も、大災害の教訓を受けながら増強されてきた。
さらに2026年、日本の防災行政そのものが大きく変わろうとしている。
防災庁設置法は2026年7月17日に公布され、9月25日の閣議で11月2日の防災庁発足が正式に決まった。現在の内閣府防災部門は新組織へ改組される。
したがってこの記事を書いている2026年9月現在、「内閣府の防災施設」と呼ぶことは正しい。
ただし数週間後には、防災行政の司令塔自体が新しい組織へ移行する。
立川の予備施設が、新しい防災庁体制の中でどう位置づけ直されるのかも注目点になる。
この土地は、もともと軍事基地だった
さらに時間を遡ると、この場所の意味が変わって見えてくる。
立川にはかつて飛行場があった。
旧陸軍が使用し、戦後は米軍に接収された。
その米軍立川基地が全面返還されたのが1977年。
広大な土地が日本へ戻ってきた。
1979年、跡地利用の大きな柱として決められたのが、大規模公園と広域防災基地だった。
後の国営昭和記念公園と、現在の立川広域防災基地である。
考えてみれば、非常に象徴的だ。
軍事のために飛行場が造られた。
戦後は米軍が使った。
そして返還後は、首都圏で巨大災害が発生したとき、人命を救うための基地になった。
用途は変わった。
しかし、
広い土地。
飛行場。
東京への近さ。
という立地の価値は、そのまま引き継がれた。
軍事基地の地理が、防災基地の地理へ転用された。
立川の歴史を凝縮したような場所である。
ところが、立川には「立川断層」がある
ここまで調べると、立川は災害に強い街だから選ばれたように思える。
ところが、一つ笑えない問題がある。
立川断層帯だ。
立川市自身、市内中心部を立川断層帯が通っていると説明し、断層位置図も公開している。
地震調査研究推進本部の2026年1月1日時点の評価では、立川断層帯で想定される地震はM7.4程度。
30年以内の発生確率は**0.5~2%**で、最新の分類ではA*ランクとなっている。地震が起きた場合には、北東側が相対的に2~3m高くなる撓みや段差が生じる可能性もある。
ここで当然、疑問が出る。
東京の大地震に備える国家防災拠点を、活断層のある立川に置いて大丈夫なのか。
政府のバックアップ拠点まで壊れたら、笑い話では済まない。
それでも政府が「地盤の良い台地」と評価する理由
ここで、「活断層がある」と「地盤が悪い」を同じ意味で考えると話を間違える。
内閣府は、立川を選んだメリットとして明確に**「比較的地盤の良い台地」**を挙げている。
立川市が紹介している専門家の説明でも、武蔵野台地は地盤条件が良く、1923年の関東地震では立川の建物全壊率が0%だったとされている。
一方で、市が公開している断層図を見ると、推定される断層帯は市域を北西から南東へ横切っている。防災基地や飛行場に近い地域も含まれるため、「立川に断層があるが、防災基地には無関係」と簡単に片づけることもできない。
ただし、この地図だけから個々の政府施設が断層の直上にあると断定することもできない。
ここは分けて考える必要がある。
立川には活断層リスクがある。
しかし同時に、武蔵野台地という比較的良好な地盤条件もある。
政府は「災害が起きない場所」を選んだのではない。
東京都心との同時被災リスク、地盤、距離、広大な敷地、飛行場、関係機関の集積を総合して立川を選んだのである。
「30年以内0.5~2%」も絶対的な数字ではない
立川断層帯の数字にも注意がいる。
地震本部自身、2011年の東北地方太平洋沖地震による地殻変動の影響で、立川断層帯の地震発生確率が公表値より高くなっている可能性があると注記している。
一方、長期評価には過去の活動時期や平均活動間隔の不確実性があり、確率値そのものにも幅がある。
つまり「2%だから安心」「0.5%しかない」と単純に読む数字ではない。
断層の存在は確かだが、その地震がいつ起きるかをピンポイントで予測できるわけではない。
防災とは「絶対に壊れない場所」を探すことではない
ここまで調べて、立川の防災基地を見る目が変わった。
最初は、
「政府のバックアップ施設なら、もっと安全な場所に造ればいいのではないか」
と思った。
しかし、日本中を探しても「絶対に安全な場所」はない。
地震がある。
津波がある。
火山がある。
洪水がある。
土砂災害がある。
どこかにはリスクがある。
だから防災の考え方は、
絶対に壊れない一つの拠点を造る
ことではない。
一つが壊れても、国家を止めない
ことなのだ。
官邸が駄目なら内閣府。
内閣府が駄目なら防衛省。
そこまで駄目なら立川。
この多重化こそが政府BCPの本質なのだろう。
ただし、ここで最後の疑問が残る
では、立川まで使えなくなったらどうするのか。
実は、ここはきれいに答えが用意されているわけではない。
政府は以前から、立川やさいたま新都心だけでなく、東京圏外の札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡などを対象に、政府機能の代替拠点を検討してきた。
しかし政府業務継続計画の資料でも、さらに過酷な事象が起きた場合の**「東京圏外の政府の代替拠点の在り方等」は今後の検討課題**とされている。
つまり、
官邸。
内閣府。
防衛省。
立川。
ここまでは明確だ。
しかし、
「立川も駄目だったら、国家の司令塔を具体的にどこへ置くのか」
については、立川と同じレベルで一つの場所が明確に固定されているわけではない。
これこそ、立川断層の存在以上に考えさせられる点かもしれない。
立川は「絶対安全な街」ではない。それでも選ばれた
現在の立川を歩いていると、この街が国家防災の重要拠点だとはほとんど感じない。
昭和記念公園では家族連れが遊んでいる。
GREEN SPRINGSでは人々が食事をしている。
駅前では買い物客が行き交う。
そのすぐ近くに、
東京都心が機能しなくなった日のための政府施設
がある。
そして、その土地には、
旧陸軍飛行場があり、
米軍基地があり、
現在は広域防災基地がある。
さらに地下には、立川断層帯という別のリスクも存在する。
立川が選ばれたのは、ここが絶対安全だからではない。
むしろ逆だ。
災害は起きる。
施設も壊れるかもしれない。
通信も道路も止まるかもしれない。
その前提に立って、
東京と同時に壊れにくい場所に、もう一つの司令塔を用意する。
それが立川なのである。
『シン・ゴジラ』では、ゴジラに破壊された東京から政府が立川へ移った。
現実にはゴジラはいない。
しかし、
「東京都心が動かなくなる日」への準備は、本当に存在している。
そして今、その国家防災の仕組み自体も、11月2日に発足する防災庁によって新しい段階へ入ろうとしている。
立川を「多摩の商業都市」とだけ見ると、この街の半分しか見えていない。
ここはかつて空軍基地だった街であり、
今もまた、
東京が止まったとき、日本を止めないための街なのである。
