親に頼れない若者は、あまりにも大学進学が苦しすぎる。

学費を払う。受験料を出す。家賃や食費を負担する。パソコンを買う。就職活動中も生活を支え、うまくいかなければ実家に戻れる。

多くの若者にとって、こうした支援はあまりにも当たり前なので、「制度」として意識されることさえない。

しかし、その親を頼れなかったらどうなるのだろう。

最近、対照的な二人の人生を知った。

一人は、自分で学費と生活費を稼ぎながら慶應義塾大学法学部を卒業し、現在は行政書士事務所を経営している保利澄香さん

もう一人は、生活保護世帯で育ち、東京大学へ進学して数学を学び、東京大学大学院で博士号を取得した数学者の島田了輔さんである。島田さんは現在、京都大学で数学研究を続けている。

二人の経歴だけを並べれば、「逆境を努力で乗り越えた成功者」に見える。

しかし最初に明確にしておきたい。

二人は同じ境遇ではない。

島田さんは経済的困窮の中で育った。一方、保利さんは本人のインタビューによれば、両親がそれぞれ開業医で、子どものころ生活費に困っていたわけではない。ただし家族関係に安心感を持てず、その後の大学進学でも親から経済的援助を受けず、自分で学費などを負担したという。

したがって、二人を「貧困から這い上がった人」と一括りにするのは正確ではない。

それでも二人を並べる意味がある。

二人とも、普通なら家庭が引き受けるはずの負担まで、自分自身で解決しなければならなかったからである。


保利さんが突破したのは「所得」ではなく「家族を頼れない」という壁だった

保利さんは高校を中退した後、大学受験資格を得て、慶應義塾大学法学部に一般入試で進学した。

その資金を作ったのが、本人が公表している性風俗業での仕事だった。

SmartFLASHのインタビューで保利さんは、親からの援助はなく、大学の学費などを自分で負担したと話している。大学進学後も吉原で仕事を続け、コロナ禍には勤務先がオンライン授業のためにWi-Fiまで導入してくれたという。本人によれば、当時は月300万円ほど稼いでいた時期もあった。これはあくまで保利さん個人の当時の収入であり、夜職一般の収入水準を示す数字ではない。

私は、この経歴を「風俗で働かなければ大学へ行けなかったかわいそうな女性」という物語にするのも違うと思う。

本人自身が吉原への感謝を語っているからだ。

大学へ通えたのも自分で稼げたからであり、その経験は現在の仕事にもつながっている。保利さんの行政書士事務所は公式サイトでも夜職経験を明らかにし、ナイトワーク女性の相談などを扱っている。

本人にとって夜職は、単純な被害の物語ではない。

しかし、本人の自己認識を尊重することと、社会制度として何が起きているのかを考えることは別である。

保利さんの場合に見えるのは、典型的な低所得者支援とは少し違う穴だ。

親には所得がある。しかし、本人はその親から援助を受けられない。

ここが重要である。


日本の教育支援制度は、基本的に「親が支援する」ことを前提としている

JASSOの給付奨学金では、父母がいる場合、原則として父母二人が「生計維持者」とされ、その所得などを基準に支援対象かどうかが判定される。単に本人がアルバイトで自活していて、親から経済的支援を受けていないだけでは、原則として本人を独立生計者とすることはできない。

もちろん例外はある。

現在のJASSO制度では、父母と絶縁状態にあり、自分で学費や生活費を負担している場合などには、本人を独立生計者として認める仕組みがある。ただし、その場合には事実関係を確認する証明書類を求められることがある。

つまり制度も、「親がいる=親が支援してくれる」と単純には考えていない。

それでも原則は父母である。

ここに、

戸籍上は親がいる。親の所得も高い。しかし実際にはそのお金を使えない。

という若者特有の難しさが生まれる。

保利さんの事例を社会制度として読むなら、貧困対策そのものより、この**「家族の資力」と「本人が実際に利用できる資力」のずれ**を見る方が重要だと思う。


島田さんの場合は、もっと直接的に生活保護制度の壁だった

一方、島田了輔さんは生活保護世帯で育った。

本人のnoteによれば、小学校高学年には食事にも困り、中学校入学直後に両親が離婚。母親に引き取られ、生活保護を受けることになった。中学3年になる直前から猛烈に勉強し、15歳で数学者を目指すようになる。

ところが、大学進学について調べるうちに別の問題を知った。

生活保護世帯の子どもが大学などへ進学する場合、原則として進学した本人を生活保護世帯から外す「世帯分離」という扱いになる。

これは家を出て別居しなければならないという意味ではない。同居を続けることはできるが、大学生本人については生活扶助や医療扶助などの対象外となり、学費や生活費などを奨学金やアルバイトなどで賄う必要が生じる。

そこで島田さんは15歳で、自分が数学者になるための資金計画まで考え始めた。

授業料免除のある国立大学。

安い学生寮。

給付型奨学金。

アルバイト。

そして当時見つけた条件のよい給付型奨学金が文系の難関大学を対象としていたため、

東大へ文系で入る → 数学科へ進む → 大学院へ行く

という極めて特殊なルートを考えた。本人によれば、後に文科から数学科へ進んだのは史上初だったという。

そして、本当に実現した。

東大へ合格し、数学科へ進み、大学院へ進学。2024年3月には東京大学から博士(数理科学)の学位を授与された。

これは驚異的な成果だと思う。

しかし、ここで「努力すればできる」と話を終わらせると、本人が最も警戒している読み方になってしまう。

島田さん自身、自分の経験が「生活保護世帯でも努力すれば大学へ行ける。行けないのは努力不足だ」という自己責任論に利用されることを明確に拒んでいる。

本人が強調しているのはむしろ逆だ。

努力しても、それだけでは足りない。奨学金に受かること、入試に失敗しないこと、数学科へ進むこと、大学院入試を突破すること、研究支援を獲得することなど、何度も「運よく当たりを引く」必要があった、と振り返っている。


そして、これは二人だけの逸話ではない

ここで最も重要なのは、島田さん一人の成功例だけから「制度の壁は高い」と結論づけないことだと思う。

数字を見る必要がある。

厚生労働省によると、**2024年4月1日時点の生活保護世帯の大学等進学率は40.6%**だった。

一方、全世帯の大学等進学率は76.4%

厚労省自身が、両者は算出方法が異なるため単純比較には注意が必要だと注記している。それでも、進学状況に大きな差が存在していることは分かる。なお既卒1年目まで含めると、生活保護世帯側は45.7%となる。

さらに地域差も大きい。

同じ2024年の生活保護世帯の大学等進学率は、京都府では56.6%だったのに対し、和歌山県では18.9%だった。兵庫県49.0%、島根県19.2%など、住んでいる地域によっても大きな差がある。

つまり、「東大へ行けた人がいる」だけを見て、機会が十分に開かれているとは判断できない。

同様に、「一人で学費を稼いで慶應へ行った人がいる」ことも、家族を頼れない若者全体の状況を示すものではない。

成功者を見るなら、その後ろにある母集団も見なければならない。


ただし、制度は何もしてこなかったわけではない

ここも重要だ。

生活保護世帯の大学進学支援は、この十数年で改善されてきた。

2018年には進学準備給付金が創設され、生活保護世帯から大学等へ進む若者に対し、新生活の立ち上げ費用として、自宅通学なら10万円、自宅外通学なら30万円が支給されるようになった。島田さんが大学へ進学したのはこの制度の創設以前である。

また、2020年度からは高等教育の修学支援新制度が始まり、低所得世帯を中心に授業料減免と給付型奨学金が組み合わされるようになった。

高校生のアルバイト収入や奨学金などを大学の入学料、受験料、交通費、宿泊費などに充てる場合、一定の条件で生活保護の収入認定から除外する仕組みもある。

だから、

「生活保護世帯には大学進学支援が何もない」

と書くのは正確ではない。

問題は、「制度があるか、ないか」という二択ではない。

現在の支援で、どこまで実際の進学負担を吸収できているのか。

こちらを考える必要がある。


二人が示しているのは、実は二種類の「制度の外側」ではないか

ここまで整理すると、二人を比較する意味がはっきりしてくる。

島田さんの場合は、

家族にもお金がない。だから公的制度に頼る必要がある。

という問題だった。

保利さんの場合は、

家族にはお金がある。しかし本人はそれを利用できない。

という問題だった。

同じ「親に頼れない」でも、制度から見える姿は全く違う。

所得を基準にした支援を充実させれば、前者には届きやすい。

しかし後者では、親の所得が高いこと自体が支援対象から外れる要因になり得る。

だから教育格差を考えるとき、

世帯所得だけを見るのでは足りない場合がある。

家庭内の関係。

実際に誰がお金を出しているのか。

家に帰れるのか。

困ったときに誰かに頼れるのか。

こうした数字になりにくい条件も、若者の教育機会に影響する。


親は「見えないセーフティネット」である

考えてみれば、多くの大学生は親からさまざまな支援を受けている。

それは単に授業料だけではない。

受験に失敗したら浪人させてもらえる。急にお金が必要なら立て替えてもらえる。病気になれば休める。就職が決まらなくても数カ月は実家にいられる。

この**「失敗しても一度は受け止めてもらえる」こと**が大きい。

ところが、その安全網がない若者には、一つ一つの失敗が生活そのものの危機になりやすい。

島田さんは大学院入試に落ちれば、授業料免除や奨学金が止まり、寮を出なければならなくなる可能性を恐れていたと書いている。一般の学生にとって「一年遅れる」で済むことが、本人にとっては「数学を続けられなくなる」ことにつながりかねなかった。

これこそ、経済格差を単に「持っているお金の差」として見るだけでは分からない部分だと思う。

格差とは、失敗できる回数の差でもある。


「成功したから制度は機能している」とは限らない

保利さんも島田さんも、自分の力で人生を切り開いた。

そのこと自体は、素直に評価されていい。

しかし、

個人を称賛することと、制度が十分に機能していると評価することは別問題である。

むしろ二人の人生から分かるのは、一般的な学生なら勉強以外に考えなくて済む問題まで、自分で解かなければならなかったということだ。

大学に合格できるか。

それだけではない。

どうやって学費を払うか。

どこに住むか。

生活費をどうするか。

家族を頼れないことを制度にどう説明するか。

失敗したらどこへ戻るか。

学力試験とは別の試験が、同時に課されていた。


では、何が論点になるのか

制度をどう設計するかについては意見が分かれている。

2022年には日本弁護士連合会が、生活保護世帯の子どもの大学等進学について、世帯分離の取扱いの見直しなどを厚生労働省に求めた。一方、厚労省の社会保障審議会資料では、大学等へ進学せず就職する人や、自力で学費・生活費を負担する一般世帯の学生とのバランスなどを理由に、大学生を生活保護の最低生活保障の対象とすることには慎重な考え方も示されている。

したがって、単純に「この制度をなくせば解決する」と言える問題ではない。

今後考えるべき論点としては、少なくとも次の三つがある。

  • 進学準備給付金や給付型奨学金が、受験から入学直後までの実際の費用にどこまで対応できているのか。

  • 生活保護世帯から進学した学生の生活費・医療費などを、本人・家族・公的制度のどこまでが負担するのか。

  • 親には所得があるが実際には援助を受けられない若者を、現在の「生計維持者」制度でどこまで適切に把握できるのか。

ここは、価値判断も含めて社会全体で議論する必要があるテーマだと思う。


二人ほど強くなくても、再挑戦できるのか

私は、保利澄香さんや島田了輔さんの人生から、

「努力すれば何とかなる」

という教訓だけを取り出したくない。

二人は、あまりにも強いからだ。

自分で高い収入を得て、働きながら難関大学を卒業できる人。

15歳で資金計画まで設計し、東大へ合格し、数学科へ進み、博士号まで取得できる人。

この二人が突破できたことは、それ自体として素晴らしい。

しかし社会制度を考えるとき、本当に見なければならないのは、その一歩手前にいる人ではないだろうか。

一度受験に失敗した人。

働きすぎて勉強時間を確保できなかった人。

制度を調べきれなかった人。

家庭から離れたかったのに、経済的理由で離れられなかった人。

途中で疲れてしまった人。

成功者の物語は目立つ。

しかし、制度の性能を測るなら、成功者だけを見ることはできない。

生活保護世帯の大学等進学率40.6%という数字も、地域によって18.9%から56.6%まで差があるという数字も、そのことを考えさせる。

保利さんと島田さんの人生を称賛する。

同時に、

なぜ二人には、普通の学生にはない「もう一つの試験」が必要だったのか。

そこまで考えて初めて、この二人を単なる美談として消費せずに済むのではないかと思う。

「もっと努力すればいい」で終わらせるのではなく、

努力できた人の成功の裏側に、どんな条件が必要だったのかを見る。

それが、この二人の人生から私たちが考えられる、もう一つのことなのだと思う。