以前、あざとカワイイ女性アイドルについて、記事を書いた。その続編である。
https://note.com/thomasmor/n/n87d710387267
「頭のいい女性」と「あざとカワイイ女性」。
一見すると、正反対に見える。
だが、元AKB48の武藤十夢は金融や気象を語り、元日向坂46の影山優佳はサッカーやクイズで知性を見せ、元乃木坂46の山崎怜奈は歴史や時事を自分の言葉で語る。原田まりるは、アイドルから作家へ転身してニーチェをエンターテインメントにした。
その一方で、「自分のかわいさ」を堂々と表現するFRUITS ZIPPERや、「KAWAII MAKER」を掲げるCUTIE STREETが支持されている。
「賢い女性」と「あざとい女性」。
実はこの二つの人気は、別々の現象ではないのではないか。
共通するのは、
「自分の魅力は何か」を理解し、それを他者に伝わる形に編集する能力
である。
令和の女性アイドル・タレントを読み解くキーワードは、「高学歴」でも「あざとさ」でもない。
セルフプロデュースなのだ。
「インテリ」は、高学歴という意味だけではない
武藤十夢は、気象予報士、防災士、FP2級・AFP、キャリアコンサルタントなどの資格を持ち、成城大学大学院経済学研究科を修了している。現在はBSテレ東『マネーのまなび』のMCも務めている。
だが、ここでいう「インテリ」を、偏差値の高い大学を出た人だけには限定したくない。
重要なのは、
「このテーマなら、この人の話をもっと聞きたい」
と思わせる知的個性である。
武藤十夢なら金融・気象。
影山優佳ならサッカー、勉強、謎解き。所属事務所の公式プロフィールでも、この三つが趣味として並んでいる。
山崎怜奈なら歴史と時事、そして言語化。慶應義塾大学卒で、歴史好きとして知られ、現在はラジオや情報・教育番組へ活動を広げている。
原田まりるなら哲学だ。『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』で第5回京都本大賞を受賞し、「哲学ナビゲーター」として難しい思想をエンターテインメントへ翻訳してきた。
知識量を競っているのではない。
知識に「その人らしい軸」がある。
それが令和型インテリ女性タレントの強さだ。
そして、この魅力は接触時間が長いほど効いてくる。
写真を一枚見るだけでは分からない。
10分話を聞く。ラジオを1時間聞く。本を読む。
そこで初めて、
「この人、こんなことまで考えているんだ」
という奥行きが現れる。
「あざとカワイイ」も、実は知的である
では、「あざとカワイイ」はその反対なのか。
そうとも限らない。
「あざとい」という言葉には、かつて「計算高い」「わざとかわいく振る舞っている」といった否定的なニュアンスが強かった。
昭和の「ぶりっ子」だって、考えてみれば高度なセルフプロデュースだったはずだ。
どんな声を出すか。
どんな表情をするか。
男性やカメラの前で、どう振る舞えば「かわいい」と思われるか。
違うのは、計算していること自体を表に出してよいかである。
かつては、「自然にかわいい」という物語を守る必要があった。
今は違う。
「あざとさ」そのものをテーマにしたテレビ朝日『あざとくて何が悪いの?』は、恋愛だけでなく「あざとい男女」の「人間関係の処世術」まで扱っている。
つまり「あざとさ」は、
恋愛テクニックから、自己表現や対人コミュニケーションの技術へ
意味を広げている。
「かわいい」は、判定されるものから作るものへ
この変化を象徴するのが、現在のKAWAII系アイドルだ。
FRUITS ZIPPERの代表曲は『わたしの一番かわいいところ』。2022年のデジタルリリース後に大きく拡散し、2023年にはCDシングル化された。
タイトルからして、
「私のかわいいところは、ここです」
と本人側から提示している。
さらにCUTIE STREETの公式コンセプトは、そのものズバリ、
「KAWAII MAKER」
である。
公式プロフィールでは、メンバー自身が「KAWAII MAKER」として、自分たちの生み出した「KAWAII」を原宿から世界へ発信すると説明されている。
これはかなり象徴的だ。
以前の「かわいい」は、
アイドル → 観客
観客が「かわいい」と判定する
という構造が強かった。
令和は、
アイドル ⇄ ファン
一緒に「かわいい」を作って楽しむ
へ変わっている。
SNSでは本人が発信し、ファンが反応し、切り抜きやダンス動画を共有し、それがまた本人へ返ってくる。
かわいさそのものが、双方向のコミュニケーションになったのである。

インテリとあざとカワイイの共通点は「メタ認知」
ここで二つがつながる。
インテリ系女性は、
「自分は何に詳しいのか」
「どう話せば分かりやすいのか」
「自分の知識を、どんな仕事につなげられるのか」
を理解している。
あざとカワイイ女性は、
「自分のどこが魅力的なのか」
「どんな表情が伝わるのか」
「人との距離をどう縮めればいいのか」
を理解している。
両方に共通するのは、
自分を一歩引いて見る能力――メタ認知
ではないだろうか。
前者は「知」をセルフプロデュースする。
後者は「魅力」をセルフプロデュースする。
使っているフィールドが違うだけだ。
だから「あざとい=頭が悪い」という理解も、「インテリ=近寄りがたい」という理解も、今となってはかなり古い。
鈴木愛理は、二つの世界の交点にいる
この構図を一人で説明できる女性がいる。
鈴木愛理だ。
℃-ute、Buono!でトップアイドルとして活動しながら、慶應義塾大学環境情報学部を卒業。大学では認知科学を中心に学び、音楽と認知科学を組み合わせた卒業研究にも取り組んだ。
そして2023年10月から、山里亮太とともに『あざとくて何が悪いの?』のMCを担当している。
つまり、
インテリとあざとカワイイを、同じ人物が両立している。
知的であっても、最高にかわいく振る舞っていい。
かわいくても、論理的に考えていい。
大学で研究してもいいし、ステージではアイドルとして完璧な表情を見せてもいい。
そもそも、なぜどちらか一つを選ばなければならないのだろう。

「もっと見たい」と「もっと話を聞きたい」
二つの魅力には、効き方の違いがある。
あざとカワイイは、一瞬で伝わる。
笑顔。
ウインク。
声。
仕草。
ファッション。
ショート動画。
理屈を説明しなくても、
「もっと見たい」
を作る力がある。
インテリ系の魅力は、時間をかけて効いてくる。
話を聞く。
文章を読む。
その人の専門分野を知る。
すると、
「もっと話を聞きたい」
になる。
そして両方を持った人は、そのさらに先へ行く。
「この人そのものを、もっと知りたい」
になる。
これこそ、現在のアイドル・タレントにとって非常に強い魅力ではないだろうか。
外見でも、学歴でも、資格でもない。
その人の「世界」にファンが入りたくなるのである。
「見られる女性」から「自分を編集する女性」へ
昭和にも賢いアイドルはいただろう。
昭和の「ぶりっ子」にも、高度な演出能力はあったはずだ。
変わったのは、人間そのものではない。
何を表に出してよくなったのかだ。
「私は歴史が好きです」
「私は金融を勉強しています」
「私はニーチェが好きです」
「私の一番かわいいところはここです」
「私たちがKAWAIIを作ります」
全部、堂々と言っていい。
女性タレントは「どう見られるか」を待つだけでなく、
「私はこう見せたい」
を自分で発信するようになった。
知識も。
かわいさも。
趣味も。
専門性も。
自分の中にある材料を自分で理解し、編集し、社会へ届ける。
令和の女性アイドル・タレントは、
「見られる女性」から、「自分というメディアの編集長」へ
変わりつつあるのかもしれない。
ただし、「全部できる女性」を要求してはいけない
ここには、一つ落とし穴もある。
評価軸が増えることは、本来は良いことである。
外見だけで評価されるより、
歌。
ダンス。
知性。
専門性。
文章力。
コミュニケーション力。
いろいろな魅力が認められた方がいい。
しかし、
「かわいいだけではダメ」
「頭も良くなければダメ」
「自立していなければダメ」
「コミュ力も必要」
「自分の意見も必要」
となれば、それは自由ではない。
女性に要求する項目が増えただけになってしまう。
※これは男性も同じだ。特に婚活ではそのように評価されがちである。
かわいいだけでもいい。
歌が圧倒的でもいい。
哲学しか語らなくてもいい。
数学オタクでもいい。
ファンサービスが天才的でもいい。
大切なのは、
女性の魅力を、一つの物差しで測らないこと
だと思う。
評価軸を「かわいい」から「かわいい+賢い+自立」に置き換えるのではない。
評価軸そのものを増やす。
そこに令和らしさがある。
かわいいは作れる。知性は育てられる。そして魅力は一つではない
「インテリ系」と「あざとカワイイ系」。
最初は正反対に見えた。
しかし両者を追っていくと、同じ時代の変化から生まれた二つの表現に見えてくる。
一方は、
「私は何を知っているのか」を知っている。
もう一方は、
「私はどう見えるのか」を知っている。
そして、その両方を知っている人もいる。
だから、もう、
「美人なのに頭がいい」
「頭がいいのにかわいい」
という「○○なのに」で女性を見る必要はないのだと思う。
かわいい。
賢い。
話が面白い。
専門分野がある。
人との距離の縮め方がうまい。
一人の人間の中に、全部あっても不思議ではない。
もちろん、一つだけでもいい。
女性アイドル・タレントの魅力は、
「理想の女性像にどれだけ近いか」から、「その人にしかない魅力を、どれだけ自分の方法で表現できるか」へ。
「あざとカワイイ」も「インテリ」も、その変化の一つなのだろう。
これからますます強くなるのは、
「かわいい女性」だけでも、
「賢い女性」だけでもない。
「この人にしかない世界を持っている女性」なのかもしれない。