製造業DXでは、IoTやデジタルツインという言葉を頻繁に聞くようになった。
設備にセンサーを付ける。稼働状況をリアルタイムで取得する。工場の状態をデジタル空間上に再現する。
ここまでは分かりやすい。
しかし、私は以前から一つ疑問に思っていた。
それで、会社の何が変わるのだろうか。
設備の温度が82℃になった。
モーターの振動が通常より大きくなった。
ラインの稼働率が76%まで落ちた。
もちろん、どれも重要なデータである。
だが、経営や業務の立場から本当に知りたいのは、その先ではないだろうか。
この設備は壊れるのか。
壊れたら、どの製品の生産が止まるのか。
どの顧客への納期に影響するのか。
交換部品は倉庫にあるのか。
修理にはいくらかかるのか。
そもそも、この設備を修理して使い続けるべきなのか。それとも更新した方が安いのか。
IoTだけでは、ここまで答えられない。
そこで重要になるのが、IoT、デジタルツイン、ERPの連携である。
そして製造業のERPを考えるなら、SAPはその代表的な存在の一つだ。
デジタルツインは「3Dの工場」ではない
デジタルツインという言葉から、巨大なモニターに3Dで再現された工場を想像する人は多いかもしれない。
もちろん、それもデジタルツインの一つの表現方法ではある。
しかし、本質はきれいな3D画面ではない。
重要なのは、
現実世界に存在する設備や製品と、デジタル上の情報を対応させること
である。
例えば、工場に「プレス機A」があるとする。
この設備には、メーカー、型式、設置年月、累積稼働時間、温度、振動、圧力、修理履歴、交換部品など、さまざまな情報が存在する。
これらを「プレス機A」という一つのデジタル上の存在に結び付ける。
すると、
「温度82℃」
という単なる数値が、
「第2工場のプレス機Aの温度が82℃」
に変わる。
さらに、
「このプレス機は製品Xを製造するラインに使われている」
「過去半年でベアリングを2回交換している」
といった情報までつなげられる。
つまり、データに文脈が生まれる。
これがデジタルツインを考えるうえで非常に重要だ。
IoTだけでは「温度82℃」で終わる
IoTでは、設備から大量の情報を取得できる。
温度、振動、電流、圧力、音響。
センサーから取得された情報は、PLCやエッジデバイスを経由してクラウドへ送られる。
例えば、
「Machine_ID:000184」
「Temperature:82.4℃」
というデータが蓄積されたとする。
設備担当者なら意味が分かるかもしれない。
しかし、企業システム全体から見ると、まだ情報が足りない。
Machine_ID「000184」は何の設備なのか。
どの工場にあるのか。
どの生産ラインに属するのか。
何を作っているのか。
故障すると、どの生産計画に影響するのか。
修理には何の部品が必要なのか。
費用はどこへ計上されるのか。
ここに、IoT単体の限界がある。
IoTが得意なのは、
「物理世界で何が起きているか」
を知ることである。
一方、ERPが持っているのは、
「その出来事が企業活動の中で何を意味するのか」
という情報だ。
この二つをつなげるところに、大きな価値がある。
SAPが持っているのは「企業の文脈」だ
SAPの強みは、センサーそのものではない。
工場設備を直接制御することでもない。
SAPが強いのは、企業活動に関する業務データを持っていることだ。
設備。
保全。
品目。
在庫。
購買。
生産計画。
製造指図。
原価。
受注。
こうした情報がERPには蓄積されている。
例えばIoTから、
「モーターの振動が異常値になった」
という情報が届く。
デジタルツインによって、
「それは第2工場の組立ラインにあるモーターだ」
と分かる。
SAP側の情報までつなげれば、
「この設備が止まると製品Xの生産に影響する」
「交換には部品Yが必要だ」
「部品Yは倉庫に3個ある」
「過去1年間で修理費が120万円発生している」
といった業務情報まで結び付けられる。
ここまで来ると、IoTは単なる設備監視ではなくなる。
企業活動そのものを動かす情報になり始める。
「故障しそうです」で終わらせない
予知保全を考えてみよう。
あるモーターの振動が徐々に大きくなっている。
AIが過去のデータを分析して、
「ベアリング劣化の可能性が高い」
と判断したとする。
IoTとAIだけなら、
「異常を検知しました」
というアラートを出して終わるかもしれない。
しかし、会社として必要なのはその後である。
異常を検知する。
対象設備を特定する。
保全担当者へ通知する。
必要な交換部品を確認する。
在庫を確認する。
不足していれば発注する。
作業者を手配する。
修理する。
作業時間と部品費を記録する。
設備履歴を更新する。
ここまでつながって、初めて一つの業務プロセスになる。
言い換えれば、
IoTが異常を発見し、ERPが会社を動かす。
この役割分担が重要なのである。
AIの精度が99%でも、会社は変わらないことがある
企業のAI導入では、精度が注目されやすい。
「故障を95%の精度で予測できる」
「異常検知モデルの精度が99%になった」
もちろん、技術としては重要だ。
しかし、少し極端な例を考えてみたい。
AIが99%の精度で故障を予測した。
その結果を担当者がメールで受け取る。
Excelへ転記する。
倉庫へ電話して在庫を確認する。
購買担当者へチャットする。
最後にSAPへ保全指図を入力する。
AIは高度になった。
しかし、業務はあまり変わっていない。
ここには、企業のAI活用を考えるうえで重要な問題がある。
AIの価値は「正しい答えを出したこと」だけでは決まらない。
その判断を受けて、
業務がどれだけ速く、正確に、低コストで動いたか
まで考える必要がある。
だから私は、AI、IoT、ERPを別々のプロジェクトとして考えすぎない方がよいと思っている。
ITとOTの境界が薄くなっていく
製造業には昔から、ITとOTという二つの世界がある。
IT、つまりInformation Technologyは、ERPや会計、販売、購買、人事などを扱う。
一方、OT、Operational Technologyは、PLC、センサー、制御装置、生産設備などを扱う。
歴史的には、この二つはかなり離れた世界だった。
SAP担当者と工場設備担当者がほとんど会話をしない企業もあるだろう。
しかしIoTが普及すると、この境界が薄くなる。
工場で発生したデータがデジタル世界へ送られる。
AIが分析する。
ERP上で業務判断が行われる。
その結果が保全作業や生産計画として、再び現場へ戻る。
つまり、
Physical → Digital → Business → Physical
という循環が生まれる。
現実世界で何かが起きる。
それをデータとして捉える。
企業システムが判断する。
そして、その判断によって再び現実世界の人や設備が動く。
私は、この循環こそスマートファクトリーを考えるうえで重要だと思う。
「全部SAPに送る」は正しくない
では、工場のデータをすべてSAPへ送ればよいのか。
そうではない。
例えばモーターから毎秒大量の振動データが発生するとする。
それを数千台の設備から集めれば、データ量は膨大になる。
こうした生データをすべてERPへ送る必要はない。
IoT基盤やエッジ側で処理し、
「正常」
「注意」
「異常」
まで判定する。
さらに、
「ベアリング劣化の可能性が高い」
という業務上意味のあるイベントに変換する。
そして、その結果をERPへ渡す。
ERPに必要なのは、多くの場合、
大量の生データではなく、業務上意味のある情報
だからである。
これはデータ戦略全般にも当てはまる。
「取れるデータは全部取ろう」
「とりあえずデータレイクへ入れよう」
という発想だけでは、データは増えても意思決定は良くならない。
必要なのは、
何の意思決定に使うデータなのか
を先に考えることである。
AI、IoT、デジタルツイン、ERPはつながっていく
ここへ生成AIまで入ると、さらに面白くなる。
設備から温度、振動、音、電流などを取得する。
AIが異常兆候を検出する。
デジタルツインによって対象設備を特定する。
ERPから過去の保全履歴、交換部品、作業時間などを取得する。
さらに生成AIが、
メーカーの保全マニュアル。
過去の故障報告書。
作業手順書。
類似設備のトラブル事例。
こうした文書を検索する。
すると将来的には、
「設備Aの振動上昇を検知しました。過去の類似事例からベアリング劣化の可能性があります。交換部品Bは倉庫に2個あります。3日後に予定されている生産停止時間での点検を推奨します」
といった支援まで考えられる。
ここまで来ると、
AI。
IoT。
デジタルツイン。
ERP。
これらは別々の流行語ではない。
企業を動かす一つの情報システムとして、つながり始める。
最後は「設備投資の意思決定」につながる
私はIoTについて考えると、最終的には会計や経営管理へ戻ってくる。
例えば、ある設備で故障が頻発しているとする。
IoTから設備の状態が分かる。
デジタルツインから、その設備がどの工程に使われているか分かる。
保全履歴から過去の修理回数が分かる。
購買データから交換部品費が分かる。
原価データから保全コストが分かる。
生産データから設備停止による影響が分かる。
すると最後には、
「この設備を修理しながら、あと5年間使うべきなのか」
それとも、
「5,000万円を投資して、新しい設備へ更新した方がよいのか」
という設備投資判断まで考えられる。
ここまで来れば、IoTは単なる工場技術ではない。
経営管理の仕組みである。
デジタルツインの本当の価値は、きれいな3D画面ではない
IoT導入では、
「センサーを付けました」
「クラウドへデータを集めました」
「ダッシュボードを作りました」
というところで満足してしまうことがある。
しかし、本来そこはゴールではない。
むしろスタート地点だ。
重要なのは、
そのデータによって、会社の意思決定や業務がどう変わったのか。
IoTが現実世界を見る。
デジタルツインがデータに意味を与える。
AIが異常や将来を判断する。
そしてERPが、
「では、会社として何をするのか」
につなげる。
工場で起きた一つの小さな振動が、
保全につながる。
在庫につながる。
購買につながる。
生産につながる。
原価につながる。
そして最後には、経営判断につながる。
設備データを、経営データへ変える。
私は、ここにIoT、デジタルツイン、SAPを連携させる本当の意味があると考えている。