「英語を頑張って、いつか海外で働きたい」
そう考える日本人は多い。
もちろん、英語は重要だ。
しかし、少し厳しいことを言えば、
英語が話せること自体は、海外ではそれほど珍しい能力ではない。
アメリカで営業職を募集している会社があるとしよう。
候補者の一人は、日本人。英語はかなり上手だ。
もう一人はアメリカ人。英語は母語で、現地の文化や商習慣も知っている。
仕事内容が同じなら、企業はなぜ、ビザなどの追加コストを負担してまで日本人を採用するのか。
海外就職を考えるとき、本当に重要なのはここだと思う。
「英語ができます」ではなく、
「なぜ、現地人ではなくあなたを採るのですか?」
この問いに答えられるかどうかだ。
私は以前、
「日本人がアメリカで働くなら、コンピューターサイエンスや会計が有利だ」
という記事を書いた。
今なら、少し違う書き方をする。
CSや会計が魔法の専攻なのではない。
本質は、
専門性 × 英語 × 日本との接続能力
によって、「外国人である自分を採る理由」をつくることなのである。
英語ではなく、「英語×何か」
日本にいると、
TOEIC900点
英検1級
海外留学
ビジネス英会話
などが強い武器に見える。
実際、日本国内では大きな武器になる。
しかし英語圏へ行けば、周囲の多くは自分より英語が上手い。
だから海外キャリアでは、
English
だけで勝負するのではなく、
English × Something
にした方がいい。
例えば、
英語 × ソフトウェア
英語 × AI
英語 × サイバーセキュリティ
英語 × 会計
英語 × 税務
英語 × SAP
英語 × 半導体
英語 × 製造業
である。
日本人ならさらに、
専門性 × 英語 × 日本語 × 日本企業への理解
まで組み合わせられる。
そうなると、競争する市場そのものが変わる。
なぜITは海外就職と相性がいいのか
ITの大きな特徴は、専門能力の一部が国境を越えやすいことだ。
Pythonは日本でもアメリカでもPythonだ。
AWSもAzureもSAPも、国境を越えた瞬間に別の技術になるわけではない。
もちろん商習慣や要求定義の進め方、言語は違う。
それでも税法や法律のように「国を変えたら専門知識をほぼ一から覚え直す」度合いは比較的小さい。
米国のH-1Bを見ると、この構造の一端が分かる。
USCISのFY2024統計では、承認されたH-1B申請約39.9万件のうち、**コンピューター関連職が25万5,250件、63.9%**を占めた。
ただし、ここには重要な注意点がある。
これは「2024年に新しく39.9万人のIT外国人がアメリカで採用された」という意味ではない。
約39.9万件のうち、初回雇用に関する承認は約14.1万件で、継続雇用は約25.8万件。つまりおよそ65%が継続雇用側だった。
コンピューター関連職に限れば、初回雇用約7.5万件に対して継続雇用約18万件である。
したがって、
「H-1Bの64%がITだから、CSを勉強すればアメリカへ行ける」
とは言えない。
むしろ言えるのは、
H-1Bという外国人高度人材制度の既存の受け皿として、IT産業が非常に大きい
ということだ。
しかも2026年、アメリカのビザ環境は大きく揺れている
ここは2024年にこの記事を書いたときとは状況が違う。
2025年9月19日、米政権はProclamation 10973を発出し、米国外にいる一定のH-1B対象者について、新規申請時に10万ドルの支払いを求める措置を打ち出した。
ところが2026年6月8日、マサチューセッツ州の連邦地裁は、この実施政策を議会の授権を欠く違法な課税などとして無効化した。
政府は控訴したが、7月24日に第1巡回区控訴裁判所が政府側の執行停止申立てを認めなかった。
そのため、2026年9月15日現在、この10万ドル措置は執行できない状態にある。訴訟そのものは続いている。
しかも元のProclamationは、延長されなければ2026年9月20日に12カ月の期限を迎える。
つまり米国については、
「ITならビザと相性がいい」
とだけ書くのは危険になっている。
専門性が重要なのは変わらない。
だが、移民制度そのものが政治や裁判によって大きく動くことも、海外就職の現実である。
オーストラリアでもITと会計は面白い。ただし「リストに載れば移住できる」ではない
オーストラリアを見ると、別の形で同じ構造が見える。
2024年12月に政府が公表したCore Skills Occupation List、CSOLには456職種が掲載されている。
そこには、
Software Engineer
Developer Programmer
ICT Business Analyst
Systems Analyst
Cyber Security Engineer
などのIT職が含まれる。
さらに、
Accountant (General)
Management Accountant
Taxation Accountant
などの会計職も含まれている。
私が2024年の記事で「CSと会計」と書いたのは、まったく見当外れではなかったことになる。
ただし、ここにも大きな注意点がある。
CSOLは、
「この職種なら誰でもオーストラリアへ移住できるリスト」
ではない。
Skills in Demand visaのCore Skills streamでは、承認されたスポンサー企業から指名される必要がある。
さらに2025年7月以降、Core Skills Income Thresholdは年7万6,515豪ドルに引き上げられている。市場賃金がそれ以上なら、そちらも満たす必要がある。
また、ポイント制の189・190・491などは、CSOLとは別の職業リスト体系を使う。
つまり、
職業リストに載る
= 海外就職できる
ではない。
雇用主、給与、資格、職歴、英語、ビザ条件。
全部を満たして初めて現実になる。
なおCSOLは更新プロセスの途上にある。Jobs and Skills Australiaは2025年版について意見募集を行い、2025年10月20日に政府へ助言を提出した。最終的なリストや更新時期を決めるのは政府側なので、実際に申請するときには最新版を確認する必要がある。
ヨーロッパでは「高度専門職」であること自体が武器になる
ヨーロッパも一枚岩ではない。
ドイツとフランスとオランダでは、言語も税制も採用市場も違う。
それでもEUには、域外国の高度専門人材を受け入れるEU Blue Cardがある。
原則として、6カ月以上の高度専門職の雇用契約または拘束力のあるオファー、専門資格や実務経験、各国が設定する給与条件などを満たす必要がある。
現在はEU27カ国のうち25カ国で適用され、デンマークとアイルランドは対象外だ。
そしてITにとって面白いのは、学位だけがルートではないことだ。
加盟国の制度によるが、一定の専門職では実務経験を高度専門資格として認める仕組みがある。欧州委員会も、少なくとも3年の関連実務経験を資格として認める場合があると説明している。
ここでも、
国境を越えて説明しやすい専門性を持つ人ほど有利
という構造が見える。
では、なぜ「会計」が日本人に面白いのか
ITと会計では、強さの理由が少し違う。
会計は国境を越えれば制度が変わる。
税法も違う。
会社法も違う。
資格制度も違う。
日本の簿記を勉強したから、そのままドイツの会計専門家になれるわけではない。
それでも会計にチャンスがある。
理由は、
世界中に日本企業が存在するからだ。
例えば日本企業がオーストラリア企業を買収したとする。
現地では豪州の会計・税務制度への対応が必要になる。
一方で日本本社への報告も必要だ。
さらに、
連結決算
内部統制
移転価格
M&A
ERP統合
データ統合
などが絡んでくる。
そこで価値が出るのが、
現地制度を理解し、日本本社とも会話できる人
である。
実際に「日本語×専門性」の市場は存在する。ただし巨大市場ではない
DeloitteのJapanese Services Groupは、この市場が実在することを分かりやすく示している。
Deloitte Australiaによれば、グローバルJSGは約80拠点、約1,200人のバイリンガル・バイカルチャー人材で構成されている。
豪州ではシドニー、メルボルン、ブリスベン、パースなどで日系企業を支援している。
ここで重要なのは「1,200人」という数字だ。
世界規模の巨大雇用市場ではない。
むしろニッチだ。
だから、
日本語ができれば簡単に就職できる
わけではない。
しかし逆にいえば、
会計・税務・M&A・ITなどの専門能力を持つ人が、日本語と日本企業文化まで理解している
という組み合わせには、明確な市場が存在する。
ドイツのDeloitte JSGも1986年から存在し、中心拠点のデュッセルドルフを、ロンドン、パリに次ぐ欧州第3位の日系企業集積地と説明している。
現在のサービス領域もAudit & Assurance、Strategy, Risk & Transactions、Tax、Legal、Technology & Transformationと広い。
会計だけの世界ではないのである。
私自身も「交差点」で仕事をしてきた
これは私自身のキャリアでも実感している。
私は長く、SAPのFI/CO、つまり財務会計・管理会計領域を軸に、製造業のERPや海外案件に関わってきた。
英語だけなら、私よりうまい人はいくらでもいる。
会計だけでも、会計士の方が詳しい。
プログラミングだけなら、優秀なエンジニアにはかなわない。
それでも仕事になるのは、
SAP
+会計
+製造業
+英語
+日本企業での業務経験
が重なる場所があるからだ。
例えば海外のメンバーと話すときも、英語そのものだけで会話しているわけではない。
勘定科目。
原価。
在庫。
決算。
仕訳。
SAPの設定。
業務プロセス。
こうした共通の専門言語がある。
英語は、その専門知識を相手へ運ぶ手段になる。
ここは、英会話そのものを目的にしていたら見えにくい世界だと思う。
経済学の「比較優位」を、キャリアに少しだけ借りてみる
ここで経済学の考え方を少し借りたい。
比較優位とは、本来、
誰が一番優秀か
ではなく、
何をする機会費用が相対的に低いか
から分業を考える理論だ。
これをそのまま個人のキャリア理論にすることはできない。
ただ、発想としては役に立つ。
日本人が20代から何千時間もかけて、
英語ネイティブ以上に英語で営業できる人
を目指す道もある。
一方で、その時間を、
日本語・日本企業への理解
+会計
+IT
+英語
の組み合わせを作ることに使う道もある。
どちらの方が、自分にとって小さい機会費用で大きな希少性を作れるのか。
そう考える。
日本で育った人なら、日本語や日本企業文化の理解については、すでにかなりの人的資本を持っている。
それを捨てて完全にゼロから現地人と同じ競争をする必要はない。
自分がすでに持っている資産に、世界で売れる専門性を足す。
私はその方が合理的だと思う。
海外で働きたいなら、この質問から始めた方がいい
「TOEICは何点必要ですか?」
「CSを専攻すればアメリカに行けますか?」
「US CPAを取れば海外Big4へ入れますか?」
もちろん重要な質問だ。
だが、その前に聞いた方がいい質問がある。
「現地企業が、現地人ではなく私を採用する理由は何だろう?」
その答えが、
AIでもいい。
会計でもいい。
SAPでもいい。
半導体でもいい。
製造技術でもいい。
そして日本人なら、
日本語と日本企業への理解を捨てる必要もない。
英語はゴールではない。
自分の専門性を世界へ運ぶインフラだ。
海外就職で本当に強いのは、
英語が一番うまい外国人ではない。
「この仕事なら、この人を採る理由がある」と言わせられる外国人だ。
私は、そう思っている。
※制度情報は2026年9月15日時点。移民・就労ビザ制度は頻繁に変更されます。特に米国H-1Bについては、Proclamation 10973の期限が2026年9月20日に迫っており、延長・再発出や訴訟の進展によって状況が変わる可能性があります。
主な参照資料
U.S. Citizenship and Immigration Services, Characteristics of H-1B Specialty Occupation Workers, Fiscal Year 2024(FY2024統計、2026年9月15日参照)
The White House, Restriction on Entry of Certain Nonimmigrant Workers, Proclamation 10973(2025年9月19日、2026年9月15日参照)
Australian Department of Home Affairs, Core Skills Occupation List/Skills in Demand visa (subclass 482)(2026年9月15日参照)
Jobs and Skills Australia, 2025 Core Skills Occupations List Consultations(2026年9月15日参照)
European Commission, EU Blue Card / EU Immigration Portal(2026年9月15日参照)
Deloitte Australia, Japanese Services Group(2026年9月15日参照)
Deloitte Germany, Japanese Services Group(2026年9月15日参照)