私は、東京都多摩地域に住んでいたことがある。そのため、立川市は思い出の場所である。むしろ、もともとの東京都民よりも、地方出身者(お上りさん)のほうが、目新しい東京という街を遊びつくしたいという欲求が強かったのかもしれない。だからこそ、後で述べるように、街が「どこにでもある普通」に均質化していくことに、人一倍敏感なのだと思う。
立川駅北口には、2012年まで「第一デパート」という、昭和の遺物のようなビルがあった。「デパート」と名乗ってはいるが、三越や伊勢丹のようにテナントを厳選して入れる百貨店とは違う。書店、プラモデルショップ、コインショップ、スポーツ用品店など、品揃えが一部に偏った専門店の寄り合い所帯だった。
この建物の出自自体が、立川という街を象徴している。1964年、国鉄立川駅で米軍専用のタンク車が普通電車に衝突・炎上する事故(立川駅タンク車衝突事故)が起き、焼けた跡地に1966年、約80店舗を集めて開業したのが第一デパートである。米軍基地の街・立川の戦後史が、そのまま一棟のビルに刻まれていた。計画的に開業した寄合百貨店が、年月を経て自然と専門店・マニア色を濃くしていった——そこが面白かった。
ここには、鉄道模型の老舗「マイホビーキョーサン」があった。多摩地区随一の品揃えと言われた店だ(第一デパート閉店後も近隣で営業を続けたが、2023年に惜しまれつつ閉店した)。フィギュアメーカーとして世界に出ていく前の「壽屋(コトブキヤ)」も、ここのテナントから始まっている。正直、私自身もう細部はあまり覚えていない。だが「何があるか分からない雑多さ」の記憶だけは残っている。
ここで、最近のインバウンドの話を重ねたくなる。来日した外国人観光客が、日本の中古レコードやカセットテープに数千円、時に1万円を払う。ファミコンソフトやポケモンカードを今も大事に持っている人は多く、欧米では失われた「昭和の物」に高値がつく。日本人の「物持ちの良さ」が生んだ現象だ。
ただ、ここで論理を一段慎重にしたい。中古品に高値がつくのは「モノの希少性」の話であって、第一デパートが提供していたのは「雑多なテナントが偶発的に同居する場(体験)」の価値である。両者は別物だ。だから「外国人が昭和品に金を払うのだから、第一デパートを壊したのは失敗だった」とまで直結させるのは、やや乱暴だろう。
では、第一デパートを壊して、駅直結の複合ビル「タクロス」(2016年開業)にしたことは、純粋な失敗だったのか。ここは公平に見るべきだ。タクロスは新自由通路や北改札の新設、行政窓口、住宅を含む駅前の結節点整備であり、回遊性や利便性という別の公共目的を確かに達成している。失われたのはマニア文化の磁場で、得られたのは都市機能だ。これはトレードオフであって、片方だけを見て「失敗」と断じるのはフェアではない。
それでも私が惜しいと思うのは、「均質化」の代償がきちんと計算されていたのか、という点だ。立川は今、「多摩のミニ新宿」のようになった。きれいで便利だが、タクロスもグランデュオも「まあ、普通のオシャレ系商業施設でしょう」で済んでしまう。「ミニ秋葉原」という別の道もあり得たのではないか——とつい思う。
だが、ここも正直に言わねばならない。秋葉原も中野ブロードウェイも、行政が「オタク街にしよう」と号令をかけて作ったものではない。テナントの集積が需要を呼び、需要がさらにテナントを呼ぶという自然発生の連鎖で育った街だ。中野ブロードウェイがいまだに機能しているのも、建物が古いからではなく、まんだらけをはじめとする集積が客を引き寄せ続けているからである。意外な珍味の店や高級腕時計まで同居する「ごった煮の出会い」は、ハコではなく集積が生んでいる。
つまり論点は「古い建物を保存すべきか」ではない。「偶発的な集積を、どうすれば守り、育てられるか」である。そしてここは、行政が手を出せる領域だ。再開発で既存テナントが家賃高騰で散り散りになるのを防ぐ再入居支援、低層階の用途規制、小規模店舗への家賃補助——こうした地味な政策の積み重ねが、街の個性を残せるかどうかを左右する。再開発を止めることではなく、再開発の中に「集積を再生させる設計」を組み込めるかどうかが問われている。
私もヲタの一人として、「昭和レトロ」や「ヲタ街」を応援し、その保存を支援したいと考えている。だが感傷だけでは街は守れない。お上りさんとして東京を遊びつくしてきたからこそ言いたい。どこにでもある「普通の街」は、つまらない。その「つまらなさ」を避けるために行政に何ができるのかを、具体的に考え続けたいのである。