
なぜあの「大泥棒」だけが年老いないのか?
『シティーハンター』や『キャッツ・アイ』、『スペースコブラ』といった、一時代を築いた名作の多くは、ある一定の期間でシリーズの幕を閉じている(シティーハンターは実写で復活したものの、Netflixでの限定配信である)。
ルパン三世だけは、大人向けアニメとしては異例の、50年以上の歴史があり、2025年まで断続的ではあるがテレビアニメ放送、映画作品がある。これに匹敵するのは、大人向けアニメ(漫画)ではゴルゴ13くらいだろう。さらに、フルCGや、実写映画も二回あり、実験的な作品が多いといえる。これは、なぜなのだろうか?
ルパン三世は「ジャンル」ではなく「器」である
ルパン三世は、アニメジャンルではない。ハードボイルド風の時もあれば、ギャグ路線の時もあるし、SFの時もあるし、お姫様を守る騎士(紳士)となることもある。ハードボイルドは「ワルサーP38」、Part 5~Part 6、劇場版Lupin the Thirdであり、お姫様を守る騎士はカリオストロの城である。SFは、複製人間やタイムマシンに気をつけろ、などである。要するに、「何でもあり」である。
つまり、ルパン三世とはジャンルではない。何でも入る器であり、赤や青のジャケットを着てサル顔で高身長の泥棒であり、大野雄二氏のジャズ音楽の作品であれば、どんな監督がどんな作風でもつくれてしまうアニメなのである。
※なお、大野氏は慶應義塾の大先輩であり、最近、亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。
さらにいえば、Part 1, 2, 3は一話完結が多かったので、実験的なことをする余地が多かった。例えば、Part 1前半はハードボイルド全開で人が死ぬ作品が多かったが、後半は子供向けにしたり、Part 2で視聴者から作品募集してアレンジしたものを放送するなど、相当に実験的なことをしている。映画版やテレビスペシャルも、色々な監督が担当しており、毎回、作風は異なっている。だが、全てが「ルパン三世」なのである。
ヨーロッパなど国際性のある世界観
ルパン三世は、日本やアジアが舞台となることもあるが、ヨーロッパやアメリカが舞台となることが多い。これは、世界的な大泥棒であり、マルチリンガルのルパン三世という主人公に由来する。さらにいえば、ルパン三世はあの「怪盗ルパン(アルセーヌ・ルパン)」の孫という設定である。そのため、フランスなどヨーロッパで活躍(盗む)するのは当然といえる。シティーハンターは、あまりにも日本的で、バブル期の東京を舞台にしているので、広がりに欠けた。その点、ルパン三世は冷戦期もバブル期も不況期もどんな時期にも放送されており、設定に制限が事実上「無い」のである。
Part 4などは、なんとイタリアで先行放送され、その後、日本で放送された。イタリアは、ルパン三世が日本を除くと最も人気がある国であり、このような試みとなった。
「カリオストロの城」は、実はシリーズ最大の「異端児」だった
ルパン三世は、基本的にはハードボイルドにギャグ路線を混ぜたものである。ところが、宮崎駿監督の「カリオストロの城」だけは、どちらも色が薄く、ルパン三世は城に幽閉された少女を救う「正義の騎士」のようである。しかも、この作品では、ルパンはワルサーP38を一度も射撃していない。これは、宮崎駿の人殺しを嫌う作風が影響していると考えられる。普段は色仕掛けやお色気シーンの多い峰不二子も真面目、普段はドジでまぬけな銭形警部も有能、つまり、カリオストロの城は、「異例中の異例」「異端の作品」だったのである。だが、これが一番、ルパン三世で有名になってしまったという皮肉がある。
これは、コアなファンは「もともとはハードボイルド」と知っているが、ライトファンは「カリオストロこそルパン」という、断絶を生じてしまっている結果になる。
原作者からの「早期の自律」が長寿を支えた
多くのIPは、原作者の意向や健康状態にその寿命を左右される。それを回避しているのは、ドラえもんやクレヨンしんちゃんのような、「最終目標や最終結末が無い日常のアニメ」が多い。しかし、ルパン三世の目的は「盗み」である。ルパン三世は早い段階で「原作者のリスク」を構造的に回避していたのである。
原作者のモンキー・パンチ氏は、制作の細部までを支配する「統治者」ではなく、クリエイターの自由な解釈を許容し、一歩引いて見守る「監視者・調整役」という立場を貫いた。これにより、ルパンは特定の個人の持ち物ではなく、多くの才能ある監督が進化させる「共同プロジェクト」のようなアニメ作品となったのである。