「なぜ?」と考えて、昨夜自分なりの答えを見つけました。
「なぜ、あのように最後の試験の真っ只中にぎっくり腰になったのか?」
実は、あの試験の最中もう一つ気になる出来事がありました。
ぎっくり腰を起こした直後、自分の前の席に座っていた25歳の若者、バングラデシュからやってきているクラスメートが試験時間を30分近く残して席を立ち、退出した事。彼は前期から何かわからない事があると私によく質問してきたんですが、後期はそんな事もあまりなく、かつ彼は私が2時間25分かけて全問回答する事が出来なかった試験を余力を残して終えて先に帰って行ったんです。
この記事を書く前に、書きかけた記事で、こんな事を書いていました。
今回、クラスメートから学んだ事。以前にも知らせた通り大多数はインド、中国といった新興国と呼ばれる国から来ている訳ですが、10年後、35歳になっているだろう彼らと50になっている私…私はきっともう彼らには勝てない、彼らは私に勝るだろう…。
昨夜、ベッドの中で考えていて、ハッとしたんです。
私は思い違いをしている…10年後までに抜かれるんじゃない…もう抜かれ始めているんだと。
こんな大事な場面でぎっくり腰になって、苦悶のまま格闘していて目の前の若者が先に帰った衝撃…これは神様が「お前気づけよ」と、そう言ってくれているきっかけなんじゃないか…そう気が付いたんです。
自分で言うのもどうかとは思いますが、これまでの40年の人生、自分なりに一生懸命自分の山を登ってきたと思います。
親しい仲間達よりも沢山遊んだとも思いますが、自分なりに回り道をして、俺の山はあれだろうか…いや、こっちだろうか…そんな迷いの中、(皆さんもそうだろうと思いますが)自分の道と信じて必死に登ってきました。
昔から故障は多かったですが、スポーツを得意にした自分が30過ぎてからは肋骨骨折、足首骨折、前十字靭帯損傷、右肩の故障…近年のぎっくり腰に至っては慢性的になりとそれはもう酷いものです。そして、近年感じ始め、今年本当に思い知らされたのが記憶力の低下。
必死で自分の山を登ってきたけど、もう私は恐らく自分の山の頂上を過ぎた…今は平たんなようだがこれからは(いやもう始まっているのかもしれないが)下り坂なんだ…崖から転げ落ちたり、スピードが出過ぎたりしないように気を付けながら下りないといけないんじゃないか…。
そんな事を悟ると、今まであまり周りの景色も見ずにただただ登ってきたから、これかの下りは少し周りの景色も見渡しながら、ゆっくりと下ってみたいな…そう思いながら昨夜は眠りにつきました。
私の同年代の友人達は多くが配偶者と子供達という家族を抱えています。私の家族は嫁さんだけですから、こんな気楽な事を考え、言っているのかもしれません。
しかし、私は友人達に伝えたい。
「私はこれから山を下りる。ゆっくりだが下山を始める。」
現在の高齢国家、日本でそんな話をしたら「お前、40の若造が何を爺さんみたいなこと言ってるんだ!」と叱られそうですが、こう考えると恐ろしい事なんです。
今、ある挑戦的な事業機会があって、枠は一つ。候補者は入社3年目25歳の若者と社会人経験が20年近くになる40のオッサン。
25歳の若者は5段階評価で2の結果しか出せないかもしれない。
40のオッサンは4の結果を出すかもしれないし、3は確実に出すだろう。
しかし、25歳の若者は(たとえ失敗でも)今この経験を積むと10年後には4を出す確率が大幅に高くなって、15年後には5を出すようになる可能性がある。
対して40のオッサンはどうだろう。10年後3は維持しているかもしれないが、15年後には間違いなく4は出せなくなっていて、3も危うい…。
一つの機会に若手とベテランの候補者がいたら、絶対的に若手に機会を与えるべきだ…私はそう思うんです。
今のご時世、目先の失敗を怖がってできるだけ確実に少しでも高い成功を収められる選択を常にしていたらどうなるのか…日本では多くの重要なポジションでご老人がご活躍ですが、そうやって若い人から機会を奪っていたら国としてはますます弱体化していく。これは間違いないだろうと思います。
プロスポーツの世界のベテランの優遇と冷遇の問題…自分が坂を下る決心、覚悟が出来て違う角度から考えられるようになった気がします。(育成はやはり二軍の仕事だとは思いますが。)