あの嫌いな人はなぜ自分の人生に登場したのだろうか?
最近読んでいる本の中からの引用です。
そしてよく言われることですが、自分の周りに起きることは意味がある
嫌いな人にも意味がある、いやなことにも意味がある、と。
確かにその通りです。
渦中にいるときは認めたくありませんが、その通りです。
もう少し言うと
その嫌いな人そのものはどうでもよく別の誰かやものでもよかったのです。
だから自分の環境が変わってようやくあの人に会わなくてよくなったと
思ってもしばらくするとまた同じような嫌いな人が現れてきたりします。
これってどうなのというところですね。
自分の人生についてくるなーと言いたくなります。
嫌えば嫌うほど感情的になって忘れられなくなります。
場合によっては眠れなくなることも。
しかし、これは実はありがたいことであって何かを伝えてくれています。
まず自分の意識に何か思い違いや何らかの誤解があるということ、
それに気づかぬ限り、それが解決されないうちは延々とその嫌いな人が
やってくるということ、です。
もう少し紐解くとなんでもなかった相手をそのように見てしまっている
というのが真相のようで自分の意識を正確に写し出してくれているようです。
本当の相手の姿を見ていない、自分特有の色メガネで見ていたのです。
だからいくら相手について考えても答えはでてきませんでした。
出てくるのは許せない、腹立つ想いだけというのもよくあることで
好きな人、嫌いな人で終わらせているうちはそれに翻弄されます。
なぜこんなことを書くのかというと実は私自身が結構嫌いな人、
嫌いなものが多く、こうあるべきという考えが人一倍多いのです。
この理屈から考えると修正される意識使いが多いということです。
自分でも気付かぬうちにその嫌いな人やものを退けていました。
もちろん全て解決、理解されることが一番いいのですが、
あの嫌いな人自体が気付きのヒントだと思えるだけでも少し展開が
変わっていくようです。
こと自分のこととなるとわからないもので知らず知らずのうちに
自分でも気付かぬうちにその嫌いな人やものを退けていたのですね。
まさにトリックにかかったかのように。
まだまだ修行中の身、その道すがらそんな気付きを得たので
記事にしました。
まだまだ続きはありますが、今日はこの辺で
そして今日も素晴らしい気付きがありますように。