蛯名正義騎手が引退。騎手生活最後は2勝! 3月からは調教師に。 | 趣味のブログ

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「蛯名正義」(51歳、美浦・フリー)が28日(日)の騎乗を以て34年の騎手生活にピリオドを打ち、静かにムチを置いた。

「中山」の最終レース終了後に「ウイナーズサークル」で「引退式」が行われた。

「松岡正海」騎手から花束を渡され、更に「武豊」騎手からメッセージ動画も放映された。

「無観客」の中での引退式となったがその模様は「JRA公式YouTubeチャンネル」でライブ配信された。

1987年3月1日の中山5Rで「アイガーターフ」で初騎乗し、14着に敗れた。

同年4月12日の中山4Rで「ダイナパッション」で初勝利を挙げた。

1992年の「フェブラリーハンデキャップ」[当時G3、現フェブラリーS(G1)]で「ラシアンゴールド」で重賞初勝利を飾り、1996年の「天皇賞秋」で「バブルガムフェロー」でG1初勝利を飾った。

1998年には「エルコンドルパサー」で「ジャパンC」を制すると、翌1999年の欧州遠征では同馬でフランスのG1「サンクルー大賞」を制覇、「凱旋門賞」では日本調教馬初の2着と健闘した。

更に1999年には「ウメノファイバー」で「オークス」を制し、2001年には「マンハッタンカフェ」で「菊花賞」、「有馬記念」を、2002年には「天皇賞春」春を制した。

そして、2010年には「アパパネ」とのコンビで「3歳牝馬三冠」を達成。

中でも同年の「オークス」では最後の直線で「横山典弘」騎手騎乗の「サンテミリオン」と激しいデッドヒートを繰り広げ、2頭が馬体を併せてゴールに飛び込んだ。

約15分間にも及ぶ長い写真判定の結果はJRAG1史上初となる1着同着であった。

勝利騎手インタビューでは「横山」騎手と抱き合い、お互いに勝利を称え合うシーンが今でも脳裏に焼き付いている。

2013年、2014年には「フェノーメノ」で「天皇賞春」を連覇、2014年には「イスラボニータ」、2016年には「ディーマジェスティ」で「皐月賞」を制する等JRAG1·26勝を挙げた。

海外では「香港国際C」[当時G2、現香港C(G1)]を「フジヤマケンザン」で制し、日本競馬史上初となる海外グレードレース制覇の偉業を成し遂げた。

騎手生活最後となった28日(日)の「中山」で7鞍に騎乗し、5Rと10Rで計2勝を挙げた。

そして、ラスト騎乗となった「中山記念」(G2)では「ゴーフォザサミット」(6番人気、牡6歳、美浦・藤沢和雄厩舎)とのコンビで道中中団追走から最後の直線で伸びるも4着に敗れた。

3月からは「調教師」として新たな道を歩む。

<成績>

(1)中央

通算成績:2万1183戦2541勝(歴代4位)、重賞129勝(内、G1·26勝)

総獲得賞金:505億2664万円