旅の想い出を続ける前に少し変わった話を。
アメリカ・イリノイでコンピューターサイエンス専攻の大学院生だった頃、勉強の合間に教授の目を盗みパイロットの訓練の授業も受けた。 大学は、当時の羽田空港の3倍の広さのある空港を所有し、多くの教官に多くの練習機があった。
ブログを長く読んで下さった方は私がたまに空を飛ぶ話を書いたので、小型機で飛ぶ事をご存じかも知れない。 リタイアする少し前から二人乗り小型機をガレージで自作した話を少し書いてみる。 ガレージは3台用で独り暮らしに車は一台だったので、2台分のスペースがあり、そこで製作した。
夢
空を自由に飛び回るのは昔から人類の夢だったと言う。 今では、かなり自由に空を飛び回れるが、ジェット機でなく、好きな時に好きな所を鳥のように小型機で飛ぶ人は、まだそう多くはない。 しかし北米やヨーロッパには、飛びたい人が多くいる。 そのような人達はセスナやチェロキーと言った小型機を所有するか、フライングクラブで借りて飛ぶ。
一方、そのような小型機の開発・製造費用は30年余り前に高騰し、普通のサラリーマンの手から離れてしまった。 以来、大量に生産販売されていない。
現在、新品のセスナ等は高額で会社員の収入では手が届かない。 以前から小型機を持つ人や、フライングクラブ、市場で見る小型機は大体1970年頃に生産された古い飛行機だ。
それに、工場で生産された飛行機は維持するのも難しい。 オイル交換ひとつにしても免許を持つメカニックがする。 何ひとつ持ち主が変更修理等を許可されてなく、維持費が高くなる。