2018年9月6日 午前3:07
最大震度7。

北海道胆振東部地震から
7年が経過した。


あの深夜(早朝)のこと、
その後の数日のことを
振り返る。


寝ていると、
けたたましくスマホが鳴り、
震源から離れたこの地でも
大きな揺れを感じた。

前日には、台風直撃で、
木々がバタバタ倒れる
被害が出ている中の
大地震だった。

この辺りでは震度5弱で、
あんな大きな揺れを
体感したのは初めてだった。


家の中に被害はなく、
とりあえずテレビをつけ
ニュースで状況を把握していた。

そのとき停電が起こり
テレビが突然消えた。

そんな大惨事の中でも
とにかく眠くて眠くて
そのまままた眠ってしまった。

朝、目を覚まし
停電が復旧していないことを知る。

職場からは
『無理して出勤しないように』
と指示が来たが
ここでスマホの電源は
ほぼ底をつき、
物理的にも
心理的にも
孤立状態が始まる。

震源地の
厚真火力発電所が被災し、
電力の安定が
保てなくなってしまったたため
北国の各地の発電所も
次々に停止してしまい、
北国全ての電源が喪失する
ブラックアウトが
発生してしまったのだった。

当時は
備蓄の食糧もほとんどなく、
冷蔵庫の中にあるものだけ、

後から同僚に聞いた話では、
同僚の奥さんは
地震の直後に米を炊いたらしく、
地震の多発する地域で育った
彼女らしい素早い判断だったと
思いながら、
もし今後そのような災害があれば
教訓の1つとして覚えておこうと
思った行動だった。

話を戻して、、、

冷蔵庫の中で
早く消費した方がよさそうな
食材からやっつけ始めた。

当時IHだった部屋では
料理は不可能だったが、
鍋にしか使っていなかった
カセットコンロのおかげで
何とか乗りきれた。

発泡スチロールに
保冷剤とともに移動させ
近所のドラッグストアへ。

とんでもない数の人が並び、
入店制限のかかった
薄暗い店内へ
10人ずつくらいの集団で
誘導された。

カップ麺、レトルト食品は
軒並み売り切れで、

缶詰など
かろうじて残っていた食品を
何とか買い込む。

飲み水だけは備蓄があったので、
何とか大丈夫だったが、

店では
ミネラルウォーターは品切れで
緑茶などを箱で買い込む人達も
たくさんいた。

レジは当然動かない。
手動で動くバンディ型の機械で
会計の対応をしていた。


風呂はたまたま溜めていた湯を
捨てずにいたので、
少しずつぬるく
徐々に冷えていったが
行水のように
体は洗うこともできた。

夜は懐中電灯と
アロマのろうそくで過ごした。

不安でしかなかった。


もうここからは
何日過ぎたかなどの記憶は
かなり曖昧なのだが、

近所の人に
給水所を教えてもらい
水をもらってきた。


翌日だったろうか・・・
公的な場所の電気の復旧は
比較的早く、
そこへ行き、
スマホの充電をさせてもらったり

ガソリンスタンドに
並んでやっとのことで
たったの10リットルを
補給してもらったり

2日後くらいには
何とか出勤して
同僚に心配されながら、
できる仕事をこなし、

夜、帰宅するときには
信号の消えた
明かりのない街を通り抜け
車のライトだけで
照らされた世界を走った。

寂しいなんてもんじゃない。
恐怖だった。

電気のない生活は
いかに無力かを
本当に思い知らされた
災害だった。

そして、
その教訓から
備蓄の大切さを知り
食糧や水は
ローリングストックをしながら

また、非常用のトイレや
コンロ、ガスもある。

キャンプ道具で
明かりも炭もある。

対策はできている!

ただ、
災害は起こってほしくはない!

でも、
近い未来に必ず
大地震は起こるとされている。

あと、現金も必要なんだ!
カードも
PayPayも使えなくなるんだ!

様々な対策を継続したい!