インターネットで世界が繋がり、スマホによって、これまで「ライバル」としてカウントされなかった全ての事柄が横並びになった。
つまり、「『革命のファンファーレ』を読むか? 好きな娘とLINEをするか?」という勝負になってくる。
僕の場合はポコチンの主張が格別に強いため、余多あるエンタメは、エッチをさせてくれる女の子とのLINEに完敗するわけだけれども、しかし、僕のような人間は少なくないハズだ。
本というジャンルの中だけで競っているのは作り手側だけで、もう一度言うが、今のお客さんは「『革命のファンファーレ』を読むか? ポケモンGOをするか? ポコチンGOさせてくれる娘とLINEをするか?」という選択をしている。
全ての事柄が同じ棚に並べられているわけだ。
そこで、作品はお客さんが手に取る導線までをキチンと作ることを「作る」と呼び、導線デザインができていない作品を「未完成品」と再定義した。
見事な有田焼が焼き上がったところで、それはまだ未完成品だという話だ。
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これは確かにそうだなとおもった。
世の中に出されなければ、意味がない
認識されなければ、存在していないも同然
今、この時代は、いかに見られるかというプロモーション力も
アーティスト・製作者側には必要になってきているのだろう
そうなったのも、情報を選択できるデバイスがとんでもなく増えたからだろう
昔は、テレビかラジオしかなかった
でも今は、テレビ、ラジオ、インターネット
そしてのインターネットの中にも、SNS、ニュースアプリ、動画コンテンツetc
信じられないくらい大量のメディアが溢れている
どのメディアを使って、誰に、どうやって届けるのか
クリエイティブは作品それ自体だけでなくて、導線作りまで含めた事をさしていくのだろう
そういう教育を芸術系の教育と合わせてやったら、
思考を横展開できる人が増えそう